92歳が歌う話まで少々前置きが長くなります。
それは2012年初夏辺りから2013年3月辺りまで。西野真理51歳、喉を壊して歌えなくなっていました。授業ではそっと歌っていました。生徒を連れてボランティアコンサートに行ったときは、ドレスにティアラ姿でリコーダーを吹きました。
色々あって2013年4月ころにはよくなりました。しかし、その歌えない間にすることがなかったのと
「男性が歌う曲なら低くて歌いやすいかもしれない」
という安易で馬鹿な発想などから
(※女性が歌う曲だって音を下げればいいだけなのです。つまりこのころ、今思うと相当追い詰められていました。このあたりの詳細は過去に紙媒体で出版していたエッセイに詳しいので、そのうちそれを貼り付けます)
シューベルト作曲「美しい水車屋の娘」を日本語で歌う(松本隆訳詩)ことに手を出しました。結果的にそれが現在の西野真理オリジナル日本語訳詩につながったかと思うと、人生何が幸いするかわかりません。
そして喉の回復した2013年7月、第18回美女コン。川岸香織さんのピアノにより「美しい水車屋の娘」の演奏を終えました。
時は経ち、2022年3月末定年退職。2023年2月から八ヶ岳声楽セミナーがらみでシューマン作曲「詩人の恋」を訳し始めたことから訳詩活動が本格化。
2023年11月、第31回美女コン。小林美智さんのピアノで「詩人の恋」全曲を西野真理訳詩版で演奏。
2024年7月、第35回美女コン。近藤陽子さんのピアノで「リーダークライス 作品24」全曲を西野真理訳詩版で演奏。
現在訳詩は230曲を超えました。
さて、そんな退職後、週2回「Sing幾多郎」という歌の会を開催していますが、ほぼどなたもいらっしゃいません。仕方がないので借りている会場(コンサート会場でもあるコミュニティセンター)で練習することになり、おかげでとてもうまくなっています。それでもこの状況はまずいとは思います。
さて、このSing幾多郎を始めた動機には
「歌好きで高齢の母が父の他界後、山口県から石川県へ越してきてくれた。そのため母は仲間のたくさんいた合唱団からも離れ、歌う場所がなくなってしまった。だから週に2回、歌う場所を作ってあげよう」
ということも含まれていました。
しかし、母は私の会には興味を示さず、この地域の小さな合唱団に入りました。私は最初からこの合唱団では無理だろうと思っていました。過去に母が所属していた合唱団はママさんコーラスで上位大会にも出るような合唱団。こちらで入ったのは、上位入賞を目指すような合唱団ではなかったからです。思った通り、1年以内(?)にやめてしまいました。
しばらくはそのままでしたが2024年10月、私から再度
「Sing幾多郎で歌えばいいのに」
と声をかけたところ、今度は母も承知しました。
さあ、私と母のマンツーマン歌のレッスンが始まりました。
はじめのうちは適当な曲を歌っていました。
そんな3か月ほど前、母がFMで「美しい水車屋の娘」の日本語版をたまたま聞き、日本語で歌いたいと言い出しました。
後は上記からご想像の通りです。
私はそのうちこの様子を
「92歳(93歳以上になっているかも)の母『美しい水車屋の娘』を歌う」
と題してYouTubeにアップしようかと思っています。多分母は嫌がるでしょうが、頑張ります。
ピアノ伴奏は、いつもお願いしているピアニストの皆さんにお願いしようかとも思いましたが、あんまり失礼。そこで昨日ネット検索したところ、伴奏ピアノ音源が販売されていたので即刻ダウンロード購入。
準備は整いました。
現在週2回、母という貴重なお客様にご参加いただいてSing幾多郎を開催しています。もちろん母からも参加料をいただいて。
ただし、一般の方にご参加いだきやすいよう、母の時間はずらしてあります。参加ご希望の方、どうぞご遠慮なくいらしてくださいね。
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