先日「50~51歳で声帯を痛めた時のお話」と題して3本ブログにアップしました。懐かしく書きつつ読み返しながら、あれ?あの事が書いてない・・・と思い出すことがあり、過去のエッセイを丁寧に見返しました。しかし、どれだけ見てもその部分のエッセイは見当たりません。そういえば書いた覚えもありません。でも、確かにそういうことはあったし、学校でその部分を何度も生徒にしゃべった記憶もあります。
そこで登場するのが5年日記。これを見ればその部分が書いてあるはず。
私が書き足したかったのは
「京大病院を受診する予約をしていた」
という事実です。
さあ、5年日記を探してみましょう。
手掛かりはその2にある
「次回は2月21日(木)西野真理51歳の誕生日に決まった」
金沢医科大学病院での診察日。
5年日記、2013年2月21日の記述。
「医科大耳鼻科予約日。カルテ画面に『お誕生日おめでとう』と出る。『安静にして一か月後』ということになる」
次に1か月後を探すと
2013年3月28日の記述。
「医科大11時。治療なく『京大病院で診てもらいなさい』ということで終わる。4月18日(木)京大病院予約。夜、18日の電車予約」
ではなぜこの部分をエッセイにも書いていないのによく覚えていたかというと、それは授業で何度も生徒に見せた「声帯」に関するテレビ番組絡み。
ある時(この声帯のトラブルより後)医療系の番組で声帯を扱っていたので私はすぐに録画を開始しました。その時その専門家として登場したのは「東京ボイスセンター」の先生でした。私はこれを見てちょっと嬉しくなりました。それは、医科大で京大病院を予約するとき
「声帯を見てもらうのなら『東京ボイスセンター』か『京大』。どちらにしますか?」
と聞かれていたのです。そのころはまだ北陸新幹線がなかったので私は早く行ける京大を選びました。
「私はあの時、東京ボイスセンターに行くことになっていたかも」
生徒に歌を教えるとき、声帯を大事に使いましょうということも込めて、自分の声帯トラブルのことも話していました。その時この映像を見ながら
「私実はね、この東京ボイスセンターに行くことになっていたかもしれない」
というのはなんとなく楽しい場面でした。もちろん何もなかったから言えることですが。
その後のことは前にアップしたブログに書いた通り、4月に入ってから喉の調子は改善の方向へ。そのころの5年日記を見ると
・4月7日(日)
少し喉の調子よくなったような気がする。ここで無理しないように我慢我慢
・4月8日(月)
気を付けてしゃべるがやはり疲れやすい
・4月10日(水)
加茂整形外科へ。喉(首)にいっぱい打ってもらって(トリガーポイント注射)いい感じ
・4月11日(木)
朝、喉の調子がいい。京大病院キャンセルしようかと思い始める
・4月12日(金)
京大病院キャンセルする。京都行の電車チケットキャンセル
・4月13日(土)
静岡へ、のぞみちゃんのオペラ「森は生きている」観に行く。13時からのと17時からの両方観る
・4月14日(日)
静岡から京都へまわり、京都瑞穂の会コンサート聞きに行くことにする
喉の調子ずいぶんよくなる
・4月16日(火)
セーブしながら授業するようにして喉の負担減ってきている
・4月22日(月)
喉痛くて夜目が覚める。無理せず授業するやり方にしてかえって歌はいい感じになった気がする
その後、喉に関する記述はなくなっていました。
以上で声帯を痛めたときのお話を終わります。
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