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50~51歳で声帯を痛めた時のお話(過去のエッセイより)その1 2025年3月27日(木)
をお読みになってからどうぞ。
声帯結節手術妄想記(2013年3月頃・51歳のエッセイ)
<想像>
ホーミーもどきの声でジタバタしたあと、その不調が完全には治らないまま年を越してしまった。毎日耳鼻科に吸入に通い、薬を飲みマスクもかけていたがやっぱりよろしくない。小さな突起(指にできる『ペンだこ』みたいなもの)が耳鼻科で鼻から入れたカメラに映し出されていたので、これがどんどん大きくなってしまっているのだろうと想像していた。
<ネット検索>
「声帯結節」
でネット検索すると、その症状の悪化で手術を経験した人のブログがたくさん出てきた。特にプロの声優さんのものには興味津々。
さらに
「声帯結節 手術」
で検索するとやはり声優さんたちのブログには次のように書かれていた。
・手術中ちょっとでも動くと大変なので全身麻酔だが、手術そのものは15分ほどで終わる
・費用は6万円くらい
・翌日には食べたり(酒たばこ以外)何でも出来るが、おしゃべり絶対禁止
・おしゃべりさせないために1週間ほど入院
・その後も極力しゃべらない、笑わない、咳をしない2週間を過ごす
しかし、どのブログにも
「やって良かった」
の記述があふれていた。
<決断>
「手術しよう」
こう決めたら早い。
1月11日(金)、1並びのめでたい日、朝の占いで魚座が1位の勤務終了後、ずっと通っていたY耳鼻科で先生にこう切り出した。
「先生、私手術しようと思います」
Y先生は
「結節みたいに見えるけどそれほど大きくないし、こういうのを切るのはかえって難しいんだよ・・・・&%#{`”Q”%$#&%$’&%’(&)///////」
とあまり手術には乗り気でなさそうなムードを醸し出しながらも金沢医科大学病院への紹介状を書いて下さった。
その日の夕飯時、決意を家族に述べ、手術日程を考え、さらに心の中では
「声帯結節手術日記」
というエッセイの題名まで考えていた。
<翌朝>
土曜日の朝9時半に家を出て医科大へ・・・っと、その前に、職場である内灘中学校へ立ち寄り、野田元総理大臣似の林教頭先生に事情を説明した。手術をすると3週間喋れなくなるから、今年度末から来年度最初にかけて手術をするのが一番授業に支障がない。その時期に合わせて手術休みをもらおうという相談である。
休日にまず学校に来ない私が学校に来たので、英語教師で天然パーマでインドネシア語が喋れてメガネをいっぱい持ってて卓球部顧問の優しい三輪さんが
「曜日、間違ってるんじゃないですよね?」
とちょっと意地悪に聞いてきた。
(※ここの記述に関しては本人と相談。「意地悪仲間の三輪さんが」にする予定だった)
本当に優しい教頭先生はすぐに事情を理解して下さり
「校長先生にも了解を得ないといけないですけど、そこは私がアシストします」
と強力な一言。
安心して向かった金沢医科大病院は「金沢」と名乗っているが、間違いなく「河北郡」にある。ネーミング的には「東京ディズニーランド」と同じ。職場から車で3分、家からも車で12分の最高の立地条件である。
<受診>
「269番」で呼ばれて入ったH―1診察室担当は、医科大学病院の耳鼻咽喉科の教授・M先生だった(廊下に書いてあった)。肩書きや権威に弱い私はそれだけで嬉しくなった。あとで判ったのだが、M先生は普段、月曜日と木曜日のみの診察で、この日はたまたま土曜日当番だったそうだ。
早速事情を説明しY耳鼻科と同様、鼻からカメラを入れて声帯の撮影。
(これ、本当に嫌い。痛いし嘔吐反射が出る。なるべくやりたくない)
画像を見た先生の説明は、ほぼY耳鼻科の先生と同じで、およそ次のように説明して下さった。
・結節と言うほどの大きさではない
・声帯が開いたときは突起がなくなっている(私も画像で確認)
・切るにしても難しいし、かえって痛めることになるかもしれない
「先生、歌を歌うには支障がないはずなんですね」
「この状態でも発声の工夫で
ちゃんと歌えるはずです」
そして
「言語聴覚士と相談されるほうがいいですね。今日来ているかどうか聞いてみましょう。・・・・・大丈夫です」
<言語聴覚士Yさんとの面談>
言語聴覚士との相談は完全予約制らしく、私のように急に入れていただくのは稀な様子だったが、2時間後ならということで、一旦病院を出て学校に戻り、教頭先生に手術はなくなったことを報告。その後暇つぶしにこのエッセイを書き始めた。
12時過ぎに始まった言語聴覚士Yさん(30歳前後の可愛い女性)との面談は
・音域検査・・・30年以上前のものだと思われるエレクトーンが置いてあって、どの音まで出るか確かめる。
・朗読検査・・・「北風と太陽」のお話を3行ほど読んで録音。これもテープレコーダーで、30年以上前のもののように見えた。
・音声測定・・・心電図を測る???ような感じの機械で、これまた古い。物持ちのいい病院だ。
・質疑応答・・・「いつから悪いのか」など
最終的にYさんから受けたアドバイスは、一生懸命面談していただいて申し訳ないが、
「無理しない」「歌わない」「しゃべらない」「マスクをする」
というごく普通のもの。
Yさんはこの結果をM先生に報告に行かれたのか30分ほど待って、もう一度M先生と面談。
「結節になりかけという感じかもしれないから、なるべく歌わずに様子を見て、1か月後にまた来てください。・・・まあ、長年の喉の酷使・・・年に応じた喉の使い方を工夫するとか・・・そうやってこれからもずっと歌えるように・・・・予約入れて行かれますか?私が出ているのは月曜か木曜ですけど、どこかご都合のいい日ありますか」
M先生は
「歳のせいですね」
と言いたいところを優しくオブラートに包んで表現してくださっていた。
ということで、次回は2月21日(木)西野真理51歳の誕生日に決まった。
<今後の展開予想>
31歳で白髪染めを始め歌の勉強を再スタート、41歳で老眼が始まり奏楽堂コンクールで2位になった。51歳で何があるのか楽しみにしていたら、こういうことだったのか。
「発声を整えて再スタートしなさい」
ってことだねきっと。
51歳西野真理、さらなる展開の予感!
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