バタフライテーブル復活 2023年2月28日(火)

この家を建ててもう30年ほど。
その新築の家に引っ越して間もなく、現在も使っているバタフライテーブルを、当時あった「ダイエー」というスーパーの通信販売で購入しました。
決して高級品ではありませんが、たくさんの家具屋さん、ホームセンター、通販雑誌を見てもこのような
・折りたたみの椅子を入れられる


















・両方がバタフライ状になっている














・お値段が手頃
・家まで届けてくれる
のすべてが揃っているのはこれしかなくこれに決めたということを今もよく覚えています。

そして30年ほど経った現在、もうそろそろ買い替えてもいいかなと私は思っていました。
足の部分が外れたからです。

しかし、我が家の日曜大工職人さんはあっという間に修理してしまいました。
私はまさかそんなに早く修理できてしまうとは思わず、近所のホームセンターまでコピーに行き、コピーを終えて帰ってみると修理は終わっていました。
ですから残念ながら修理の途中経過写真はありません。







詩人の恋'(シューマン作曲)op.48 自作日本語訳で歌います! 2023年2月27日(月)

思いついたので、決意が鈍る前にブログで決意表明をしてしまいます。
シューマン作曲「詩人の恋」全曲(16曲)
 3年以内に自分で訳した日本語で歌います
(ステージまたはYouTube)

閃いたのはつい30分ほど前。
なぜ急に?
ではその理由(経緯)をお伝えします。

3月20日から八ヶ岳の声楽セミナーに参加します。(これに関してはこれ以前のブログでお読みくださいね)
このセミナーはこれまで「日本歌曲」に絞ったものだったのですが、今年から外国歌曲など選曲の幅が広がり、私は以前コンサートで日本語で歌った、シューベルトの「美しい水車小屋の娘」をもう一度きちんと勉強しようと、受講曲に含めて受講曲一覧票を提出しました。

提出して数日後、八ヶ岳セミナーのプロデューサー・堀内さんからお電話を頂いて雑談をしていたときのこと。
「西野はシューベルト出してきたけど、〇〇さんは『詩人の恋』出してきてるよ」
「へえ~『詩人の恋』・・・」

もうおわかりですね。
この事が頭にずっと残っていたからというのが最大の理由。
そしてあと2つ。
①YouTubeをはじめてからJpop関係の新曲にはかなりチャレンジしてきたけれど、クラシック関係はそれほどでもない。

②病に倒れられた呉先生に以前「シューベルトの三大歌曲は日本語でですが一応全部やりました」とお話した時、「じゃ次はシューマンだね」と言われ、そのことも何となく頭に残っていた。

この2つが堀内さんから聞いた「詩人の恋」と突然合わさって・・・どんな時の突然かというと、シューベルトを練習していたとき・・・「『詩人の恋』日本語で歌おう!」となったわけです。
そもそも私は飽きっぽく、シューベルトも改めておさらいをし始めたものの、一応ステージにかけた曲なので、苦労して音取りをする、というような場面はないわけです。つまり飽きるのです。飽きるほど勉強したわけでもないくせにです。シューベルトごめんなさい。
しかも私はドイツ物はほとんど勉強してこなくて、シューベルトの三大歌曲がちゃんと勉強した初めてのドイツ作品と言っていいほどです。
ですから「詩人の恋」も
「名前とその中の数曲をちょっと聞いたことがあります」
程度。

でも、やります。
おそらく堀内敬三さんの訳詩があると思われますが、それを頼りに「西野真理訳詩版」で。
みなさまご期待くださいませ。
(あ~宣言しちゃった・・・)

↓なぜか持っていた楽譜




動画撮り直し 2023年2月27日(月)

2022年終わり頃からFM放送のエンディングに「はるなつあきふゆ」という曲を使い始めました。優しくて愛らしくてじゃまにならない感じがとてもいいなと思ったからです。そして、さらに5月の美女コンでも歌おうかなと思い始めました。

そんな今朝、
「だれか『はるなつあきふゆ』をYouTubeにアップしていらっしゃらないかな?」
と探してみると、普通に出てきました。そして聞いてみたところ。
「音が違う!」
・・・できればこの人が違っていて欲しい・・・と思いつつ楽譜を確認したところ・・・
「私が間違ってる・・・」

ということで、今日は朝から「はるなつあきふゆ」の撮り直しです。
FM放送でも間違った演奏を流していたので、YouTubeにアップしていたFMの部分はその部分をカットしました。バックミュージックとして使っていた放送はもう仕方ありませんが、次回からは今日撮り直したものを使います。

そんな「はるなつあきふゆ」を撮り直し、編集作業に入っている時、最近「歌おう 声高く」という曲がよく聞かれていたので、そちらも聞いてみることにしました。音はあっていますが、音質も歌とピアノのバランスも非常に悪いのです。撮り直しましょう。

そんなわけで今日は午前中に2本の動画をアップしました。
これからはよく注意します。
これまでこの2本の動画を見てくださったかた、ごめんなさい。




 

特製コンサート用スマホ台 2023年2月25日(土)

先日からずっと考えていました。本町コミュニティセンターで開催する美女コン時のスマホ置き場について。

「人生で100回のコンサート」
を決意し、ピアノパートはピアニストに依頼したカラピアノで歌うことにしたのはいいのですが、その音源がスマホであるため、ちょっと困ったことになっていました。
譜面台にはコンサートの台本が置いてあり、そこにスマホは置けません。
音が出てくるのはCDデッキ。スマホとはブルートゥースで繋いでいるわけです。
ここまでお読みになった方は
「デッキの横に置いておけばいいじゃない」
とお思いでしょう。
その通りなんです。前回までは。
前回はそうしたのですから。

ところがです!
いくつか前のブログでお知らせしたように、スマホに入れた音源をスマホのドライブから出すと、あっという間に通信容量を使い果たしてしまうということが先日わかりました。
前回のコンサートは幸いそれを知らず、しかもまだ容量がたくさんあったので無事に済んだのです。
しかし、先日から練習に使っているうち、その使い方はだめだとわかり、ファイルに入替えて通信容量を使わなくていいようにし、めでたしめでたし・・・のはずでした。
すると今度は、そのファイルから音を出した場合、1曲終わるとすぐ次の曲を演奏し始めてしまうことが判明。ドライブからだと1曲ごとに止まったのに。
なんとか1曲ごと止める方法はないかとChatGPTに聞いてみましたが
「そういう方法はありません」
との答えが帰ってきました。
つまり、手元近くにスマホを置いて、1曲歌い終えたらすぐに止められるようにしなければならないのです。

2月24日(金)
ホームセンターなど2軒を回りましたが適当な台は見つけられません。
どうしたものかと考えながら家に帰ると・・・
なぜ気づかなかったのでしょう!我が家には日曜大工が得意な夫がいるではありませんか。
言ってみました。
「コンサートの時スマホを置ける小さめでマアマアの高さのある台、作ってくれないかな?あなたなら3秒で作れると思うけど・・・」


できました↓実物は3月5日に御覧くださいね。















ゆる言語学ラジオより「直感を裏切る語源クイズ」 2023年2月24日(金)

 ゆる言語学ラジオより「直感を裏切る語源クイズ」

<「ゆる言語学ラジオ」とは>

言語オタクを自称する水野太貴さんと言語学素人を自称する堀元見さんのYouTubeチャンネル。「ゆるく楽しく言語の話をする」をコンセプトとしている。

~Wikipediaより~

水野 太貴

水野 太貴(みずの だいき)は、集英社に編集者として勤務している「言語オタク」である。1995年8月31日生まれ。2021年11月時点では26歳。趣味は辞書を通読することである。小学校低学年の頃から言葉に関する関心が高く、難読漢字本などを収集して、漢字の知識を友人と競い合っていた。その後、中学時代は陰謀論や都市伝説に、高校時代には英単語の語源や英文法に熱中し、名古屋大学文学部の言語学研究室に入った。

堀元 見

詳細は「堀元見」を参照

堀元 見(ほりもと けん)は、「衒学者(げんがくしゃ)」の肩書きを用いてブログやnote投稿を行なっている作家・YouTuber・Podcasterである。2021年11月時点では29歳。慶應義塾大学理工学部情報工学卒。著書に『教養(インテリ)悪口本』がある。

<直感を裏切る語源クイズ>

このYouTuberさんも番組でおっしゃっていますが、日本語は英語ほど精緻にたどれるものではないので、このお話はあくまでも諸説ある一つとしてお聴きくださいとのことです。また典拠は「新明解語源辞典」「オックスフォード英単語由来大辞典」だそうです。


①ポン酢

柑橘系の「ポンカン」と「お酢」の酢を組み合わせたと思いがちだが違う。

「ポン酢」で一語。オランダ語の「pons」から。もっと遡るとサンスクリット語のパンチャみたいな言葉で「5」の意味。

「5種類の素材を混ぜ合わせた飲み物」から来ていて、フルーツポンチのポンチとも語源が一緒。


②ネギトロ

「ネギ取る」から来ていると言われることもあるが、「ねぎ取る」という動詞を観測できないので、逆なのではないか。つまり、「ねぎとろ」は「ネギ」と「トロ」からできて、その後に「ねぎ取る」という動詞ができたと推測される。


③フリーマーケット

このフリーは自由を表すFreeではなく「のみ」をあらわすflea。よく「蚤の市」。そういえば「蚤の市」って言葉聞いたことある。

④ムショ

刑務所の隠語を「ムショ」というがこれは「刑務所」のムショではなく、「むしよせば」の略語。囚人に出されるご飯が麦6割、米4割だったことから。よせばは「寄場」は人を集めておく場所のこと。そのため「むしよせば」と呼ばれる。「むしよせば」は1922年(大正11年)に刑務所という名前に改称された。この言葉は「刑務所」という言葉ができる前からあったらしく、大正4年には「隠語収攬」という本のの中に「ムショ」が確認されている。

⑤ペンとペンシルは語源的に無関係

「ペン」はラテン語で羽根を意味する「ペンナpenna」から来ている。昔は羽ペンだったから。「ペンシル」はラテン語のpenicillius画家が使うブラシや絵筆を意味するが、そのもとは尻尾からの連想の言葉。ラテン語のpeniculusが小さいpenisの意味で、ラテン語のpenisは尻尾を意味する。「小さい尻尾」からpencilが生まれた。だからpencilはpenisと語源が一緒。 

⑥maleとfemaleは語源的に関係ない

maleはラテン語のmasculusが縮まったもの。femaleはラテン語のfemellaがフランスで縮まり、14世紀に英語に入ってきた。それがmaleの発音と綴に引きづられて変化した。

⑦muscle(マッスル 筋肉)

力こぶがネズミのように見ることから。

⑧「あくどい」と「悪」は無関係

「あくどい」とは、「程度を過ぎていていやらしい」という意味で、悪いという意味はあまりない。「悪い」の「悪」ではなく、「灰汁」からきている

⑨「無し」と「なし崩し」の「なし」は無関係

「なし崩し」の「なし」は「返済する」という意味の「済す」という言葉があり、そこから来ている。簡易を当てるとしたら「済し崩し」となる。元々「なし崩し」とは「少しずつ返済する」という意味。

⑩「にやける」

「男が妙に色っぽいさま」という意味。元々「にゃくけ 若気」という言葉があり「にゃくけ」の字音が徐々に「にやけ」に変化した。

ニヤニヤという言葉とは語源的な関係はないが、「にゃくけ」という言葉からの類推という説はある。

⑪労働組合のユニオンと玉ねぎのオニオンは語源が同じ

「結束して一つにまとまる」という意味。uniは「一つ」という意味。例えばユニホームといえば一つの形。同じ服。

⑫panパンとカンパニーcompanyは語源が同じ

カンパニーのcomは「一緒に」の意味。「一緒にパンを食べる人」というのがカンパニー。日本的に言うと「同じ釜の飯を食う」的な感じ。コンパニオンも「同行する」で、語源は同じ。unity結束とも語源が同じ

⑬batバットとcombatコンバット(戦闘)は語源が同じ

バットを一緒に持って争う

⑭bar棒とembarrass恥ずかしい は語源が同じ

棒で叩くことから、屈辱的な思いにさせる→恥ずかしい思いをする。当初は「邪魔する、阻止する」の意味だった。19世紀初頭から「決まりの悪さ、困惑」の意味まで拡大された。

⑮monsterモンスター怪物とdemonstrate示す は語源が同じ

どちらも「現れる」というのがもとの意味。

monsterはラテン語のmonstrum「驚異的なもの、怪物」から生じた古フランス語のmonstreに由来する。

demonstrateはラテン語のdemonstrare「指摘する」から生じ、当初はこの意味で用いられた。本質的には「認識させる」の意味があり、これが19世紀なかばに民衆の抗議行動と結びついた。

⑯asとalsoは双子

all soから来ている。「同じようなこと」という意味。

⑰travel旅行するとフランス語のtravailler労働するは語源が同じ

元々travailは「苦労する」「大変な取り組みに携わる」で、「旅をする」という意味は当初からあった。

⑱restraurantレストランはrestore回復させるから来ている

⑲fence壁とfencingは両方defenceと同じ語源

⑳quiet静かな quiteとても quitやめる は全部語源が一緒

度重なる台風災害や干ばつのため、全島民が放棄した無人島。「放棄=quit」「全て=quite」「全て去った後の静けさ=quiet」

㉑custom服装costume慣習は兄弟

服装も慣習の一つ

㉒弟子と丁稚は語源が同じ



湯たんぽのすすめ 2023年2月24日(金)

このブログ、車の中で書いています。母を外科へ送り、終わるまでの駐車場待機時間に。
家を出る前に
「駐車場でエンジンをかけっぱなしで待つのもエコじゃないからエンジンを切るとして、そうすると寒いからひざ掛けでも持っていこうかな」
そこまで考えて閃きました
「湯たんぽがある!」
この湯たんぽ、大学1年生の寮生活の時買ったもの。つまり43年前の物。ちゃんとつかえるんですよ。

教員時代は職員室でのデスクワークや教室での保護者懇談会のときなど、椅子と腰の間に挟んで暖をとっていました。
今日はそれを人生初、車のシートで使おうというわけです。
車に乗り込むとき、シートに置いてみました。



なんていい気持ち!
どうして今まで思いつかなかったのか、もったいないことをしました。
駐車場の車内、スマホでブログを書いている今このときも本当に心地よく暖めてくれています。

この湯たんぽに関しては20年ほど前にも文章を書いているので、家に帰ったら、さらに以下に付け加えますね。
ここまででお読みの方、また後で開いてみてください。


<湯たんぽ24年の驚愕>
※この文章は2006年、43歳頃、金沢市立北鳴中学校勤務時代のものです
 「美女エッセイ PART6」掲載として出版したもので、ブログとは文体が違います


冬の学校は寒い。
始業時間である8:10になると全室に暖房が入るのだが、それ以前は寒い。普通教室の2倍ほどの広さに小さなストーブが2台。
暖房が入る時間になっても、授業のある先生はみんな出て行ってしまい、デスクワークのため職員室にいるのは数名。部屋全体はなんとなく暖かいが、足腰は冷える。
寒がりの私は今までコートを着るなどしてしのいできたが、ある日ふとその存在を思い出した。
「湯たんぽ使おう!」

それは24年前。大学1年生のとき、私は寮生活をしていた。
寮はそれなりに快適だったが、当時から寒がりだった私は、寝るときの足の冷たさに困っていた。そしてそれは私だけではなかったのだ。
そんな一人がある日、
「薬局に赤ちゃん用の湯たんぽ売ってたから買ってきたの。これ、とってもいいよ~!」
その湯たんぽはプラスチック製で、全体がピンク、上半分が白いカバーで覆われたとてもかわいらしいもので、私の抱いていた
「銀色の波々」
というイメージをすっかり払拭してくれた。
その噂を聞きつけた寮生に静かな湯たんぽブームが起こり、私もすぐに購入した。
寮を出、大学を卒業し、結婚し、家を引越し・・・・と住む場所はどんどん変わり、湯たんぽを使うこともなくなっていたが、汚れも壊れもしない湯たんぽを捨てるに忍びなく、それから24年間私はずっと所持し続けていた。それが教員生活20年目に再び日の目を見ることになったというわけだ。

職員室へ持ち込んだ私は早速お湯を入れ腰に当ててみた。
「あったか~い!!!!!」
もうこれなしでは生きていけないというほどの心地よさだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。
 
感激がひと段落すると、冷えていそうな同僚に自慢を始めた。
隣に座っているまだ20代のゆりちゃん(現在も時々ブログに登場してくれています)が大変興味を示してくれたので、うれしくなった私は、彼女より先に帰るとき
「今日、私もう帰るから、よかったらまだこれ暖かいし使って」
と、湯たんぽを貸し出した。
これでゆりちゃんはすっかり湯たんぽファンになってしまいついに
「私も買います」
と宣言した。

数日後、携帯にメールが入った。
「湯たんぽ買いました。明日持って行きますから楽しみにしてください」
あれから24年。どんなに進化しているんだろう!翌日私はわくわくしながら出勤した。

ゆりちゃんがバックから取り出した湯たんぽは、24年前の私のものと全く同じだった。色も形も。
「すごいね~、ずっと同じなんて」
「全く変えずにずっとこのまま作り続けたんですね、このメーカー」
「私のは『Made in Japan』だけど、ひょっとしてゆりちゃんの
『Made in China』になってたりしてね~ハハハハハ」
冗談半分に湯たんぽを裏返してみたゆりちゃんは驚きの声を上げた。
「なってる!」

新しい炊飯器と古い炊飯器のこれから 2023年2月24日(金)

2月20日に12年使った炊飯器が壊れたため、ネットを色々調べて
「これ!」
という商品を注文、2日後には届きました。
これです↓




















なかなか美味しく炊けているような気がします。
そこで、壊れてしまった炊飯器ですが・・・

その前に、教員最終年のお話。
教員生活最後の年、私は学校で環境整備部のトップをしていました。こう言うとかっこいいですが簡単に言えば「お掃除担当」です。
大した仕事ではないのですが、年度の最初、4月最初の職員会議のあとから数日間だけは本当に大変です。
「学級の掃除場所(掃除監督の職員)を決める」
という仕事が。
他のいろいろな仕事は3月の終わりの比較的時間のある時に準備してしまうことができます。私は部活動もなく(家庭部でしたから)、できることはどんどんやってしまっていました。しかし、掃除担当だけは先にやることができません。
なぜでしょう?
それは、配属される先生が決まり、学級数が確定し、担任が決まり、副担が決まり、教科の先生が使う教室が決まり・・・などがわからないと、清掃担当を割り振る事ができないからです。しかも割り振りが確定した1~2日後には生徒が登校し、掃除が始まるのです。
短期決戦!
滅多に残業などしない私ですが、このときだけは残業せざるを得ません。残業しないので普段の夜の学校の様子はよく知りませんでしたが、先生たち、いっぱい残っていました。
・・・と、これは炊飯器のお話には関係なく、ただ書きたかっただけ。

環境整備部のお仕事には「PTA環境整備部担当」も含まれていて、保護者のみなさんが学校の除草作業やプランターへのお花植えなどをしてくださる時ご一緒したりもしました。
これは主として土日ですが、特に土日に用事もない私のような人間には、平日よりむしろあありがたいくらいでした。
その環境整備部の保護者代表が、担任していたクラスのKさんのお父さん・Kパパさんでした。Kパパさんは鉄工所を経営されていて、穏やかでとても子煩悩。お仕事の関係でちょっとした作業も手際がよく専門知識を生かして冬には学校壁面にイルミネーション設置。そのハンダ付けは結局全部Kパパさんが。
また、
「夏休み、学校が閉鎖になる10日ほどの間、学校のプランターへの水やりをPTAにご協力いただけないか」
という私の申し出に対してもすぐに対応。環境整備部の保護者のみなさんで水やり当番を割り振ってくださり、確実に水やりが行われるようにライングループを作り連絡し合うということまでしてくださいました。

さて、環境整備部で春に向けたチューリップの球根植えの作業日のこと。
かなり寒い日でした。
Kパパさんは様々な便利グッズを持っていらっしゃったのですが、そこに古い炊飯器が。
「Kパパさん、これなんですか?」
「炊飯器としては使えないんですけど、保温だけはできるので、缶コーヒーを温めるのに使ってるんですよ」
Kパパさん、おそらく普段から経営する鉄工所の職員の方のためにこうして温かいコーヒーを準備されているんですね。

もうおわかりでしょう。
そうです。我が家の引退となる炊飯器も、炊飯はできませんが保温は大丈夫。保温調理器として使おうではありませんか。
早速今日は鳥胸肉の保温調理をしてくれています。




第27回美女コンまであと10日 2023年2月23日(木)

3月5日(日)は第27回美女コン、10日前のお知らせです。
クラシックから童謡まで、演奏もおしゃべりもお楽しみいただけるコンサートです。


























日時 2023年3月5日(日)13:40~
場所 石川県かほく市宇野気ト110-1
   本町コミュニティセンター
入場料 1000円
    ※中学校3年生まで 500円
演奏とおしゃべり 西野真理(バリトン系ソプラノ)

今回は「早春・卒業の歌スペシャル」と題してお送りいたします。
ご予約いただけると助かりますが、当日思いついて
「行こう!」
と思ってくださったらぜひどうぞ。
ご予約・お問い合わせは
singkitarooo@gmail.com
までどうぞ。

明日香ちゃんとお食事 2023年2月22日(水)

ちょっとした用事で、昨年まで津幡中学校でご一緒していた明日香ちゃんからご連絡を頂きました。用事の方は簡単に済んでしまったので
「一緒にお食事でも」
とお誘いして、今夜は明日香ちゃんと 二人で夕食ということになりました。

場所は
レストラン「ぶどうの森」(以前は『ぶどうの樹』という名前でした)

彼女は3年前、津幡中学校に新採用国語科教員として着任。私の担任していた2年3組の国語担当と副担任となりました。若いし可愛いし性格はいいし生徒との会話も上手いしで、見たわけではありませんが、私が休んだり出張だったりしてHRに彼女が行ってくれる日、生徒はきっと大喜びしていたことでしょう。

そんな明日香ちゃんとも退職とともにお別れ。
退職前の職員送別会(当時はコロナのため、会議室での簡単なもの)では、明日香ちゃんが私に花束を渡してくれる役。彼女は泣きながら私に餞の言葉を述べ花束を渡してくれました。

待ち合わせの18時、ほぼ1年お会いしていませんでしたが、久し振りの彼女は相変わらず可愛く元気で話も弾みました。中でも私が明日香ちゃんに力説したのは、先日からブログにも書いているChatGPTのこと。国語の先生として学級担任としてChatGPTはこれから先、本当に使えるアイテムになるでしょう。
また、来年度津幡中学校にはポルトガル語しか話せない生徒さんが入学していらっしゃると聞き、
「音声文字書き起こしアプリと翻訳アプリ、それにChatGPTを組み合わせれば心配なし。『翻訳こんにゃく』はそこまで来てるよ」
と、部外者ならではの楽天的で無責任な助言をして喜んでいました。

さて、そんな明日香ちゃんのご両親ですが、50歳代。
年下です。
明日香ちゃん、ご両親より年上の西野真理とおつき合いくださってありがとう。
またあそんでね!


世界一幸せな二人のために「Butterfly」を歌う 2023年2月22日(水)

今日は「Sing幾多郎」の日。
参加者がいらっしゃらない日は練習する日なのですが、コンサート用のカラピアノをスマホから流して練習していると、ドコモ様から
「まもなく通信容量上限に達します」
の警告が!
え?また?
前回そんなことがあったので、今度はちゃんとしたつもりだったのに・・・
仕方ないので息子に電話したところ、ちゃんとしてないことが判明。Sing幾多郎の参加者がいらっしゃらないのをいいことに、一旦家に帰って息子にそれを今度こそ
「ちゃんとして」
もらって会場へ戻り、カラピアノ練習再開。
(家から会場まで車なら1分)

そうこうしているうちに、八ヶ岳日本歌曲セミナー事務局の堀内さん(社長でありプロデューサーであり関定子マネージャーであり私の恩人でもある)からセミナーについてのお電話をいただき、ついつい長話。

時間も来たので帰宅。

さて、今日は娘が婚姻届を提出すると言っていた日。
何を歌おうかずっと考えていて、出した結論が「Butterfly」
私からの精一杯のお祝いです。
幸せになってね。



103歳、友さんとのお電話(「野口先生との出会い」エッセイより転載付き) 2023年2月21日(火)

ChatGPTとのチャットを終え、そろそろFMへ行こうかなと思っている時、着信に気付きました。千葉県在住の野口芳宏先生から1時間前に着信があったようです。

※野口先生との出会いはエッセイに詳しく書いていたので、最後に貼り付けておきます。(エッセイから転載ですので、その部分は文体が違います)

電話しました。
「やあ~西野さん」
野口先生は86歳ですがとてもお元気で声にも張りがあります。
「お誕生日おめでとう!」
なぜ千葉県の先生が(それも、私の小学校、中学校の恩師ではなく、42歳で出会った方です)石川県の西野真理のお誕生日なんて覚えてくださっているのでしょうか?
それは、私と野口先生のお母様のお誕生日が一緒だからです。
しかもそのお母様は103歳!
野口先生とのおしゃべりのあと、お母様の友さんとも電話でお話しました。
感覚的には80歳くらいの人とお話しているというほどお元気です。
多分今日かほく市で103歳の人とおしゃべりしたのは私だけです。

<野口先生との出会い>
2004年9月、42歳が野口先生との初対面。
何の下知識もなく、京都へ公費で行けるというだけの理由、しかも野口先生のことさえ知らずに参加した京都教育大学付属小学校の研究大会で、私は野口先生の授業を拝見して衝撃を受けた。
その衝撃を受けた授業が以下「手品師」。

「手品師」あらすじ
一人の売れない手品師がいる。大舞台を夢見ているがとてもかないそうにない。ある日町を歩いているとき一人の不幸な少年にあう。手品を見せてやると大変喜び、明日も見せてやると約束し別れた。その日の夜手品師の友人から電話があり「病気の手品師のかわりに舞台に立たないか」と言われる。しかし、手品師は「大事な約束があるから」とそれを断り、翌日約束どおり少年に手品を見せる。

この作品を元に参加者は10分の時間を与えられ感想を書き始めた。
以下が机間巡視をする野口先生の目に留まり、全体の前で発表することになった私の感想文である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「手品師を読んで」           西野真理

「手品師」という道徳で使われる読み物を読んだ。レポート作文のエクササイズとして、「発、材、析、束」のある文章を書くためである。

この物語の主人公は売れない手品師。いつか大きな舞台に立ちたいと夢見ているがチャンスは来ない。
そんなある日、街角で出会った不幸な少年に手品を見せ、明日も見せると約束した。すると、その日の夜、友人から電話がかかってきて大きな舞台に立てるチャンスをもらうが、手品師はそのチャンスを捨て、少年との約束を守る方をとるという、一見美談である。

この物語の細部に見られる矛盾を私はつつこうとは思わない。大事なのはこの手品師が本当に大舞台をつとめることのできる実力を有していたか、そして、大舞台に立ってやろうという心構えができていたかということに尽きると私は考える。

世の中で様々なチャンスを狙う人達は、常にそのチャンスに備えている。そして、チャンスが来たとき、そのチャンスにとびつけるよう万全の準備と心構えをしている。
結局この手品師にはそれがなかったのだ。チャンスに手を伸ばすだけの自分の技術に対する自信がなく、そのために持つべき心構えを持っていなかったのだ。そうしてこの手品師はひっそりと「美談」の中に自分をどっぷりつけてそっと喜んでいるのであろう。
今大舞台では、別の新しい将来有望な手品師が技を披露している。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

発表を終えた私に野口先生は
「文章はすばらしい。しかし、・・・題をもう一度読んでみて」
「・・・『手品師』を読んで・・・」
「ぜんぜんダメ!!そんな題じゃダメだ。たとえば子供が感想文で『野口英世を読んで』なんて書いてきたら、それだけでその作品はダメ!切り口を見せるような題をつけなけりゃダメだ」

こう言われて私はとても嬉しくなった。もちろんほめられたことも嬉しいが、ダメな部分をきちんと指摘していただける嬉しさ・・・しかも、この日一日ですっかりファンになってしまった方から言われると、自分に向上するチャンスが与えられたようで、とても新鮮な喜びが湧き上がってきた。

・・というわけでこの作文の題名は何がいいだろう・・・
     「美談への逃亡」なんていかかがでしょう?

☆野口素麺塾☆
「野口素麺塾」?
そば打ち名人がいるように、この世には「素麺打ち名人」がいて、その第一人者が野口さん。毎年夏のはじめになると、その技を盗みに日本各地から野口素麺塾に多くの人が訪れる。
嘘です。
「野口」とは私が教育界で師と仰ぐ野口芳宏先生。
「素麺塾」とは、その野口先生のご自宅に各地から学びに集まったみんなが、お勉強のあと、そこに設置してある流し素麺セット(グルグル回るやつじゃないです。ちゃんと竹で作ってあるあれ)でお素麺を食べたり、まあ、あとは大人なので宴会になる会。

野口先生宅は千葉県君津市。
初めてこの会の存在を知った時は、
「何が楽しくて、いい大人が千葉まで行ってお素麺食べなくちゃいけないのよ」
と、鼻で笑っていたのに行ってしまった。
飛行機に乗って、高速バス(東京アクアライン通った!)に乗って。
しかしそこは西野真理なので、なんとかお得にこのことを使えないかと考えたところ、9月に出演させて頂く音楽の友ホールでの独唱曲をちょうどこのタイミングで決めていただいたので、
「塚田先生、7月12日の日曜日、合わせお願いできませんか?」
と連絡を取ったところ◯。
11日の朝、石川県を出て野口塾に参加。その日は君津駅前に泊まり、翌日は高速バスで東京に入り塚田先生宅へというスケジュールを、ものすごい勢いで決めてしまった。

さて、野口素麺塾だが、普段は「素麺」の無い「野口塾」。全国各地に野口先生をお呼びしようという方がいらっしゃって、お呼びがかかると野口先生は基本お断りになることなく、どこへでも出向いてくださる。
組織化されているわけではなく、やりたい人がやりたいようにやっている(のだと思う)。
野口先生はその要求に答えて、全国の野口先生を師と仰ぐ人たちのために、野口先生が様々なところでおっしゃったり書かれたりしている
「手に入れたものは全て失い、与えたものだけが残る」
を、実践してくださっている。

そんな野口塾を石川県ではYさんが開催して下さっているのだが、今年はYさんのご都合が悪く、今年石川県開催は無し。参加できなくて残念だなと思っていたところに素麺塾の情報を得、そのお世話役の山中さんにも無理を言って、定員に達しているのに無理に西野真理を押し込んでいただき、千葉まで出向くことにしたのである。

☆お宅拝見☆
先生のお宅は一山だった。
豪邸という表現とはちょっと違う。ものすごく敷地の広い、田舎のおじいちゃんの家って書くのが一番感じが出るかな。
・家にパワーショベルがあります。通勤に使うのではありません。
・観音堂があります。
・なんかすごい銅像みたいなのが立っています。
・大きな池が複数あります。鯉が泳いでいます。
・家が複数あります。蔵もあります。
・下の家から上の家に行くとき、野口家の人はバイクです。(坂道)
・冷蔵用に作られた横穴があります。
・一族のお墓があります。
・すももがなっています。食べ放題。みんなで食べました。
・書斎として1つ家が建っています。それとは別にまだ書庫があります。
・お地蔵さんが坂道の途中にあります。
・犬がいます(普通)

☆素麺塾概要☆
まず3人の先生の実践報告。終わったらお素麺を食べてから野口先生の敷地内散策。これ、小学校1年生なら遠足。
戻ったら「俳句大会」。
一人ニ句作ってそれを1枚の紙に貼って、それぞれが1番いいと思う句と2番目にいいと思う句を発表して、最優秀賞を決める。
私はこの句会がこんなマジなものとは知らず、適当に書いて出した。知っていても出来た句は同じだが。そんな私の句がこれ。
    「なんとまあ 流しそうめん 野口塾」
ふざけている。
当然誰にも相手にされなかった。

あとは自己紹介をしつつ宴会スタート。
参加者32人は、東京・愛媛・埼玉・千葉・栃木・大阪・青森・北海道・神奈川・秋田・広島・石川(私)。
一番驚いたのは、うち10人が出版社の方だということ。
私は当然、自己紹介で歌うのであるが、今回は謙虚に、野口先生から「何か1曲」と言って頂いてから歌いましたよ。

ここまでが過去のエッセイ転載
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

先程のお電話に戻りますが、上記エッセイに書いていた「素麺塾」ですが、コロナはなくなりそうにもないので、次回からは「おでん塾」にするそうです。
真夏のおでん!楽しそう。

61歳の朝、ChatGPTとチャットしました 2023年2月21日(火)

今日は西野真理61歳のお誕生日です。
そしてFM放送の日ですので、そのことをおしゃべりするために、
「61歳で偉業を成し遂げた人」
をChatGPTで調べてみました。
まさにコンピュータと西野真理とのChatを、面倒でない方はお読みくださいませ。

<質問1>
有名人の中で、61歳で偉業を成し遂げた人を教えてください

<回答1>

ジェフ・ベゾス (Jeff Bezos) は、61歳で偉業を成し遂げた有名人の一人です。彼はアマゾン・ドット・コム (Amazon.com) を創設し、オンライン小売業界の巨人となりました。また、彼は私有宇宙企業のブルーオリジン (Blue Origin) も設立し、再利用可能な宇宙船の開発を進めています。

ベゾスは、アマゾンを世界最大のオンライン小売業者に成長させ、世界中で数百万人の雇用を創出しました。彼の財産は、世界で最も裕福な人物の1人となっており、慈善事業にも多額の寄付を行っています。さらに、彼は2013年にワシントンポスト (The Washington Post) の所有権を取得し、新聞業界に進出しています。

ベゾスの成功は、その起業精神、創造性、そして長期的なビジョンによって支えられています。彼は世界を変える可能性を秘めたアイデアを実現し、61歳で偉業を成し遂げた一人として高く評価されています。

<質問2>
先程61歳で偉業を成し遂げた人を教えて、と質問して、ジェフ・ベゾスと教えいただきました。しかし、ジェフ・ベゾスは現在59歳で、61歳にはなっていませんので、間違いです。

<回答2>
おっしゃる通りでした。ジェフ・ベゾス氏は2022年1月時点で58歳であり、まだ61歳には達していません。私の回答が誤っていたことをお詫び申し上げます。もし正しい年齢での偉業を成し遂げた人についての情報があれば、お気軽にお知らせください。

<質問3>
61歳で偉業を成し遂げた人を教えてください

<回答3>
以下は、61歳で偉業を成し遂げた人物の例です。

ハーランド・デーヴィッド
サンダース(Harland Sanders)- ケンタッキーフライドチキンの創業者であり、61歳で初めてフランチャイズ契約を締結し、その後急速に拡大しました。(愛称:カーネルサンダース)90歳没

ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)- 作家で、61歳で最初の自伝的小説「草原の小さな家」を出版し、世界的に有名なシリーズに発展しました。90歳没

ジュリア・チャイルド(Julia Child)女性- 料理本の著者であり、61歳で初のテレビ番組「The French Chef」を放送し、フランス料理の普及に貢献しました。91歳没

フランクリン・ローズヴェルト(Franklin Roosevelt)- アメリカ合衆国の32代目大統領で、61歳で第二次世界大戦中に大統領に再選され、戦争の指導者として国を導きました。アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持った大統領で、両足が不自由であった。脳卒中のため
63歳没

(↓この方をGoogle検索しましたが、みつけられませんでした)
ニコライ・イワノビッチ・プチャーチン(Nikolay Ivanovich Puchkov)- ロシアの詩人であり、61歳で最も有名な詩集の一つである「Повести Белкина」(Belkin's Tales)を出版しました。

これらは、61歳で偉業を成し遂げた人の例の一部です。彼らは、年齢を超えた成功のための優れた例です。

<質問4>
日本人で、61歳で偉業を成し遂げた人を教えてください

<回答4>
日本人で、61歳で偉業を成し遂げた人としては、以下のような人々が挙げられます。

野口聡一氏 - 宇宙飛行士として、2010年にJAXAの宇宙ステーション「きぼう」に滞在し、地球を周回する約5か月間の任務を達成しました。野口氏は当時、55歳でした。
(現在57歳。まあこれはスルーしましょう)

古市憲寿(のりとし)氏 - テレビ番組のプロデューサー、作家、講演家として活躍し、60歳にしてNHKのトーク番組「ニュースウオッチ9」のメインキャスターに抜擢されました。

<質問5>現在38歳です

<回答5>
おっしゃる通りです。私の回答が誤っていたことをお詫び申し上げます。古市憲寿氏は1979年生まれで、2023年現在で43歳です。先に述べたように、私は2021年に学習を終了して以来、更新された情報を入手していなかったため、正確な情報を提供できませんでした。改めて、誤った回答をしてしまったことをお詫び申し上げます。

<質問6>
古市憲寿さんは1985年生まれです

<回答6>
申し訳ありませんが、再度誤った回答をしてしまいました。古市憲寿氏は1985年生まれで、2023年現在で37歳です。正しい情報を提供することができず、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後はより慎重に回答するように心がけます。


宮崎駿氏 - アニメーション監督として、数々の傑作作品を世に送り出し、61歳で公開された「風立ちぬ」は、宮崎氏の最後の監督作品となりました。

<質問7>
宮崎駿が「風立ちぬ」を公開したのは73歳のように思えますが

<回答7>
おっしゃる通りです。私の回答が誤っていたことをお詫び申し上げます。宮崎駿氏は1941年生まれで、2013年に公開された「風立ちぬ」の時点で72歳から73歳。正確な情報を提供することができず、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。今後はより慎重に回答するように心がけます。


村上春樹氏 - 作家として、数々の小説を発表し、世界的に知られる作家の1人となっています。61歳の時には、「1Q84」を発表しています。
(これは正しいようです)

<ChatGPTは教えてくれなかったけれど、西野真理的、日本人の61歳偉業ナンバーワンの発表です>
安藤 百福 (あんどう ももふく) [1910 〜 2007]
1958年、世界初のインスタントラーメン“チキンラーメン”を発明し、インスタントラーメン産業を創出。 1971年、61歳の時、世界初のカップ麺“カップヌードル”を発明。

<ここからはおまけの資料:西野真理と同い年の有名人>
・松田聖子
・石原良純
・IKKO
・漫才中川家の礼二

ChatGPTに卒業生へのメッセージ原稿を作ってもらったら・・・ 2023年2月21日(火)

ふと思いついて、ChatGPTだったら卒業生に送るメッセージってどんなのを作るのかな?と、質問してみました。
結論から言えば、ごく普通。
今日の時点では西野真理の圧勝・・・かな(笑)

<質問> 
中学校を卒業する生徒へ送る、ユーモアあふれポジティブな400字のメッセージ原稿を作ってください。

<回答>
こんにちは!中学校を卒業するみんな、おめでとうございます!
卒業は、今まで過ごしてきた時間の終わりを意味しますが、同時に新しい冒険の始まりでもあります。新しい高校で、新しい友達を作ったり、新しいクラブやスポーツに参加したり、新しい先生と出会ったり、たくさんの経験が待っています。ドキドキしながら楽しんで、色んなことに挑戦してみてくださいね!
もちろん、失敗することもあるでしょう。でも、失敗は成功のもと!失敗を恐れず、挑戦し続けることが大切です。そして、大切なことは、自分自身を信じること。自分に自信を持って、自分の夢を追いかけてください。
卒業式は、友達や先生とのお別れの場でもありますが、それは終わりではありません。今までの思い出は、ずっと心に残るものです。そして、これからも友達や先生とつながっていくこともできます。SNSやメールなどを使って、コミュニケーションをとり続けることができますよ!
最後に、今まで一緒に過ごした時間は本当に貴重なものでした。みんなが幸せでありますように、心から願っています。新しいスタートを切るみんなの未来が、素晴らしいものであることを願っています。また会いましょう!

中指と人差し指 2023年2月20日(月)

このブログをお読みくださっているYさんからこのようなメールをいただきました。

・・・・多分、あれだけの文字量は、ピアノを弾くようなブラインドタッチができなければ生まれて来ませんね。・・・

お褒めいただきありがとうございます。
でも、ご想像とは全く違います。
中指と人差し指のみです。
ほぼ力技ですね。
頻繁に打ち間違えます。
1行を1度も間違えずに打てることはまずありません。

私の力技は何もキーボードに限ったことではなく、それを象徴するある体験を今も思い出します。
それは音楽の先生を対象に行われた「お三味線1日講習」の時。
こういうことに関してはかなり闘志の湧く私は、とにかく何が何でも弾けるようになろうと相当頑張りました。
午前から始まり午後にはなんとか簡単な曲が弾けるようになったのですが、その時講師の先生が私の弾き方を見て
「あなたは一生懸命やっているけれど、そんなに力任せにやるんじゃなくて、基本に忠実にやらないと変な癖だけついてしまいますよ」
おっしゃるとおりです。
その後お三味線には一度も触れたことはありませんが、このお三味線という楽器、糸は柔らかいし軽いし持ちやすいし、意外に簡単だし音はそんなに大きくないし、分解できて小さくして運べるし、これから楽器をやりたい方におすすめです。

そのへんな癖がついたまま、パソコンのキーボードタッチは現在に至っているのですが、過去何度かブラインドタッチ練習を試みたことがありました。
退職直後にも。
でも結局そのトレーニングは2日も続かず
「中指と人差し指でなんとかなっているのだからそれでいいではないか!」
と開き直り、現在に至っています。
特にこの開き直りを支えているのは、ビル・ゲイツだったかな?なんだかそういうすごく有名なコンピュータ関係の方が
「中指だけでキーボードを打っている」
と20年ほど前に読んだからです。
西野真理、人差し指分多いです。

炊飯器が壊れました 2023年2月20日(火)

昨夜の夕飯時。
「あれ?また変だ」
炊きあがったご飯の底部分が、放っておいて乾燥したご飯のようになっています。これで3度めです。水の量もお米の量も正しいので、これはもう故障に違いありません。
炊飯器の製造年は?・・・と側面の表示を見ると
「2011年製」
12年も働いてくれたのですね。年間少なくとも300日は働いているので12年で3600回ご飯を炊いてくれたんですね。
ありがとう。

SANYO製です。
この会社、もうないか合併したか吸収されたかですよね。
SANYOさんの製品、私は結構好きで、いろいろ使っていたように思います。
長い間ありがとうございました。





















緑のラインで警察へ 2023年2月18日(土)

警察へ行ってきました。
緑のラインのことで。
まずは下の写真をご覧ください。




















近所の道路にいつの頃からか緑のラインが引かれました。
在職中には気づかなかったのですが、退職してちょうど小学生が下校する時間帯にこの道路を車で通ると、けっこう大変なのです。
両側に小学生がいるからです。
気持ちはわかります。
こんなラインが引かれたら何となく
「歩行者は緑のラインを歩きましょう」
って気がしませんか?でも、誰かに聞いたわけでもなく、いったいどっちを歩けばいいのか、私にもわかりません。小学生も同様な気がします。
実際私も一人でお散歩する時に
「どっち通ればいいのかなあ~~~。歩行者は右側通行。でもこの緑のラインは『こっちを歩きなさい』ってことなんじゃないかな~~~」
なんて思いながらずっと適当に歩いていました。

それでも晴れの日はいいのです。問題は雨の日。両方から傘がはみ出して、車で通り抜けるのがちょっと怖いのです。

そこで先程、ついに意を決して交番に行ってみることにしました。いつも行くスーパーの向かいなので、お買い物帰りに。

「あの~ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」
交番の奥から若いお巡りさんと、50歳過ぎくらいのお巡りさんが出てきて、前述の話を聞いてくださいました。
2~3分話しているうちに、若いお巡りさんが
「あの、内灘中学校の音楽の先生じゃありませんか?」
「え!!!」
どこで誰に会うかわかりませんね。世間は狭いです。
「どの年代?もしかして柔道部?」
「剣道部でした」
「え~と、剣道部だったらA先生の時?K先生の時?」
「覚えてないな~」
部活の顧問の先生を覚えていなくて、週1回しかなかった音楽授業の先生を覚えていてくださったなんて、これは感謝しなくてはいけないでしょう。

その後色々お話して、3月5日のコンサートのチラシを渡し、交番をあとにしました。

<わかったこと>
・あのラインは警察の管轄ではなく、地域の管轄
・基本右側通行
・こんなふうな情報提供者も、住所、氏名、生年月日、連絡先、全部聞かれます

楽譜送付等手続きに半日(八ヶ岳日本歌曲スプリングセミナー関連とセミナーの歴史) 2023年1月18日(土)

昨日は起床から半日を、3月に受講する「八ヶ岳<日本歌曲〉スプリングセミナー」関係の事務処理に費やしました。これから3月末まで、このブログには何かと
「八ヶ岳<日本歌曲>スプリングセミナー」(※以下「八ヶ岳セミナー」と表記)
のことを書くことになると思いますので、まずは八ヶ岳セミナー関係のことを書いておきます。

<セミナーの歴史>
~福光声楽サマーセミナー~
1993年から2013年までの20年間、富山県福光町(現在の南砺市)のスキー場イオックス・アローザを会場として「福光声楽サマーセミナー」が開催された。
 ・毎年8月1日~7日までで、声楽とピアノ伴奏者のためのセミナー
 ・私は31歳から参加
 ・主催は「音楽之友社」だったが、途中から「<友>音楽工房」に引き継がれる
 ・プロデューサーはその後のセミナーも全て堀内美也子さん(私にとっての大恩人)
 ・このセミナーから八ヶ岳セミナーに至るまで関定子・青山恵子両師は連続して講師
 ・何年か経って、福光声楽セミナーの講座の中に「日本歌曲特設コース」ができ、以後
  日本歌曲コースが発展して行くことになる
 ・2001年39歳の時、日本歌曲特設コースにピアニストのTさんと一緒に参加し
  「愛する歌」を演奏してペアとして奨励賞を受賞

↓セミナー事務局として使われていたレストラン





















宿泊施設であり、レッスン会場としても使われたコテージ
一部屋ごとにピアノが搬入された




















~榛名梅の里日本歌曲セミナー~
福光声楽セミナーから少し遅れて、おそらく1997年に群馬県榛名町で「榛名梅の里日本歌曲セミナー」が始まった。
 ・宿泊は山の上の榛名湖畔の宿「ゆうすげ」(若さぎ釣りで有名)
   ※初会から何年かはここではなく、もっと古い建物
 ・レッスンは麓の榛名文化会館・エコール
 ・私は1998年36歳の時から3回は参加したはず
 ・毎年3月末に開催されていた。10回は続いたと思うが確かではない
 ・その間1回は、伴奏者コースのアシスタント歌手として参加
 ・1999年37歳で参加した時、終了演奏で「おおかみの大しくじり」を歌い、奨励賞を
  受賞

↓榛名湖畔の宿 ゆうすげ


























レッスン会場 エコール















~八ヶ岳<日本歌曲>マイスターコース~
2007年3月26日、45歳の時、八ヶ岳日本歌曲セミナーが始まり、スタート年から参加。ちょうどセミナーに出かけようとした時かなり大きく家が揺れ、榛名スプリングセミナーの奨励賞記念に頂いたこけしが落ちた。(能登沖地震)






















 ・当初は上記のような名称で、レベルがそれなりの人以上を対象ということだったが、少
  しずつ緩やかになった。
 ・毎年3月20日前後から4泊5日で行わる
 ・歌い手とピアニスト両方のレッスンが個別だったりペアだったりで行われる
 ・八ヶ岳高原ロッジという高級ホテルに宿泊
 ・それに付随する素敵な音楽堂をレッスン会場として使用
 ・2023年現在も続いている。

日程が合わなかったりコロナだったりでしばらく参加できていませんでしたが、退職した今年は日程を気にすることなく申し込むことができました。ただ、根がサボり性の私ですから参加するとなると勉強しなくてはならないので、ちょっとためらっていたその時、関定子先生のレッスンがあり、先生から
「八ヶ岳来てね」
とお声掛けいただき間髪入れず
「はい!」
と軽快に返事をし、申し込むことに決めました。
期間は3月20(月)から3月24日(木)
西野真理のことを熟知していらっしゃる方は
「この間にFM生放送の日があるけど休むの?」
とお思いでしょう。
これも運が味方についています。
「FMかほく」は祝日の生放送はお休み。3月21日(火)は祝日でお休みなのです。
水曜日の「Sing幾多郎」ですか?これは自分主宰なので「おやすみしま~す」とお伝えするだけです。

↓ホテル正面












↓音楽堂外観

















音楽堂内部

















<昨日の話に戻ります>
1月16日(木)に八ヶ岳セミナー事務局から受講案内が届きました。
声楽関係者はよくおわかりだと思いますが、ピアニストに楽譜を送るのってけっこう大変ですよね。楽譜をコピーし製本するのは案外時間がかかるのです。
届いた案内には
・受講者
・受講費用
・担当ピアニスト
・その他注意
が書かれていて、何より大事なのは
「担当ピアニストに2月末までに楽譜を送りなさい」
ということです。
楽譜を送るということは、受講曲を決定しなければならないということですが、流石にあと1ヶ月と少し、ほぼ決めてはいました。

しかし、準備を始めた時、心が揺れ始めました。
講師の松井さんのことです。
今までは「日本歌曲セミナー」ということですから当然日本歌曲ばかり教えていただいていたのです。しかし今年はピアニストの塚田先生が参加されないこともあり、バリトン歌手の松井さんが講師として参加されることになりました。その事もあってか今回は募集要項に
「歌うことの広い分野を鑑みて~・・・ オペラアリア・ドイツリート~・・・」
の一文が。

このことは募集要項の時点で知っていたのですからもっと早く決めればよかったのですが、なんとなく「日本歌曲で」と気持ちをそらしていました。
でも、いざ受講曲一覧表に曲を書き込もうとしたとき
「せっかくだからドイツリートを持っていってみよう!」
という気持ちに振り切れました。

その曲とは、シューベルトの「美しい水車屋の娘」、日本語で歌うのです。
この曲には2013年に喉を壊したことをきっかけに
「男性の歌う曲を更に音を下げれば歌えるんじゃないか」
という安易な発想から取り組みました。
しかし、ここからが幸運で
・あの松本隆さん(松田聖子の曲などを手掛ける一流作詞家)が訳詩版を発表された
・最終的に松本さんはシューベルト3大歌曲全部を発表
 「美しい水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」
・西野真理はその全部に取り組む
ということになりました。

そもそもですが、私がこの訳詞があることを知ったのは、学校で「魔王」の授業をするために「魔王」の日本語訳版のCDを探し、たまたま「魔王」だけを聴くつもりで買ったそのCDが「美しい水車屋の娘(全曲)」のCDだったのです。

それを美女コンで歌う時、もちろん関定子先生にご指導は受けましたが、ドイツリートを専門にされている方にご助言をいただいたことはありませんでした。そして、出来ればもう一度「美しい水車屋の娘」をコンサートで歌いたいと思っていました。
そんな時、まさかのこの展開。松井さんはドイツに留学され、ドイツリートを長く歌っていらっしゃいますのでこんなチャンスは2度とない、と考えたのです。

お昼近くまでかかって作業を終え、午後はただ、ダラダラしていました。
明日からは練習します!

↓私の趣味、製本した楽譜の表紙作り


































かんぴょう 2023年2月16日(木)

 ごちゃごちゃ書くよりも、聞いていただくのが一番です。


「かんぴょう」
作詩 北原白秋 作曲 福井文彦
歌 西野真理
ピアノ 奥田和
ね、楽しい曲でしょう!
この曲は第24回美女コンまでオープニング曲として使ってきました。
世界的オペラ歌手・藤原義江が「早口言葉の曲を」と福井文彦に作曲を依頼したということです。

そんな曲を何となくコンサートの第1曲目に選び、その映像を同郷の「みっちゃん」に送ったところ
「クラシックのコンサートだと思ってビデオを見始めたらいきなり『かんぴょう』で度肝を抜かれました」
とのコメントをいただき、それに気を良くして以後ずっとオープニングは「かんぴょう」を歌ってきました。

ところが
「生涯100回のコンサート」
を目指して第25回のコンサートに踏み出したとき、そのオープニング曲を別の曲にしたことで、「かんぴょう」が外れてしまいました。
また、いつでも歌っているという安心感から、「かんぴょう」は今までYouTubeにアップしていませんでした。

また、YouTubeの「はるの まきば」という曲のコメント欄に
「西野先生といえば『かんぴょう』。かんぴょうをお願いします」
と、「かんぴょう」のリクエストを頂きました。私にはあまり記憶が無いのですが、学校の授業でも歌ったらしく、コメントを下さったかつての生徒さんはそのことを覚えていてくださってリクエストしてくださったのです。

そこで、ピアニストの奥田和ちゃんに録音をお願いし、晴れてYouTubeアップとなりました。
何しろ24回、コンサートのオープニング曲をとして歌ってきたのですから、録音は1発OK
のはず・・・という甘いよみは見事に外れ、50回以上撮り直しました。
この日私はおそらく日本で一番
「かんぴょう」
という言葉を発した人間です。
曲は3番まであるのですが、1番だけでも9回「かんぴょう」と言います。つまり1曲で27回
「かんぴょう」と言ったので、50回の撮り直しで1350回「かんぴょう」と言ったことになります。
西野真理さんお疲れ様でした。

あ!そうそう、今日までの私の大勘違いを発見しました。
1番の詩に
「あのひも このひも かんぴょうは長いよ」
という部分があるのですが、私は今日まで
「あの日も この日も」
だと思っていました。
なんと
「あの紐 この紐」
だったんです!

ChatGPTを教育現場・作文の授業で使おう! 2023年2月16日(木)

※同一内容をYouTubeにもアップいたしましたので、文章を読むのが面倒な方はそちらをどうぞ






お恥ずかしい話ですが私は過去に1年だけ国語の先生をやったことがあります。初任校の津幡中学校で1年生を1クラス。確か1年5組、K先生が担任のクラスでした。あの時の1年生の皆さん、もう50歳以上のはずです。きっと立派になられていることでしょう。
そのあたりの言い訳はこの際「時効」の一言で済まさせていただくことにして・・・

教員生活の間、ずっと思っていたことがあります。
「今の学校に足りない授業があるとしたら?」
私は
「作文の授業」
だと、ずっと思ってきました。
文章を作ることはこんなにも大切なのに、作文をガッツリやる時間(指導される側もする側も)はないのです。

さあ皆様、ここにこれ以上ないチャンスがやってきましたよ。
ChatGPTです。




















つい先日
「学校でのChatGPTの使用禁止」
みたいなことをTVで言っていたように思います。
何を言っているんですか!
使わなくちゃ。

私の教員生活は最初の4年以外全部担任でした。担任中何かにつけて、例えば
「意見作文、感想文、反省文、『運動会を終えて』『合唱コンクールを終えて』・・・」
等文章を書かせていました。
生徒も慣れたものではありますがその間何百回、何千回
「何行目まで書けばいいんですか?」
と聞かれたことでしょう。書きたくない子、書くことがないと思いこんでいる子にとって1文字でも少なくすることは切実な問題です。

そこで西野真理が提案するのはChatGPTに条件を与えて下書きを書かせ、それを生徒が校正するという形の作文です。これから先世の中はそうなっていくのですから、そのほうがよほど合理的ですし、持って行き方でちゃんとその生徒の能力も上がりますし、成績だってちゃんと付けることができると思います。具体的に必要な能力は
①条件を与える能力
②それを判断する能力
③校正力
です。
つまりそこまでの国語の能力がとても必要だということ。今後AIが進化すればするほど必要な授業は国語だと私は思っています。

例えば課題が
「『季節を感じること』という題で400字の作文を書きなさい」
だったとしましょう。
書けない生徒は、まず書き出すことさえできません。
そこで先生は、生徒にこう指示します。

①ChatGPTに自分の思い付くキーワードを最低3つ与えて、最後に400文字でと入力して文章を書かせなさい
②①のキーワードを変えながら最低3つの作文を取り出しなさい
③その中から自分が一番いいと思う作文を選びなさい
④③をもとに自分らしくなるように作文を校正しなさい
⑤「・入力したキーワード・元にしたChatGPTの文章・あなたが校正したもの」の3つを貼り付けて、先生のフォルダーに提出しなさい

<西野真理が実際にやってみました>
~1つ目~
歌 シューベルト ライフワーク の言葉を使って、「季節を感じること」という題で400字の作文を書いてください

ChatGPTの文章
シューベルトのライフワークといえば、数多くの美しい歌曲です。その中でも、季節をテーマにした曲は多く、季節を感じることの大切さを歌い上げています。

季節を感じるということは、自然と共に生きることでもあります。春には桜が咲き、新しい命が芽吹きます。夏には陽射しの中で暑い日が続き、秋には紅葉が美しく、冬には白い雪が舞い降ります。四季折々の自然が私たちにさまざまな感情を与えてくれます。春は希望にあふれ、夏は情熱的、秋は別れの季節、冬は静寂な季節。自然とともに感じる季節の移り変わりは、私たちの心を豊かにしてくれます。

しかし、現代社会では季節を感じることが少なくなってきています。エアコンが効いた部屋や、冬でも暖かいコートを着ることで、季節感を忘れてしまうこともあります。しかし、季節を感じることは、私たちの生活に彩りを与えてくれる大切な要素の一つです。自然と共に生きることで、自然と共鳴することができ、心身ともに健康で豊かな生活を送ることができるでしょう。

季節を感じることは、シューベルトが歌うように、美しいものです。自然と共に生きることで、季節を感じることができます。四季折々の自然の中で、私たちは自分自身を見つめ直すこともできます。自然と共に生きることで、私たちは自然とともに成長し、美しいものを生み出すことができるでしょう。私たちは季節を感じ、自然と共に生きることで、人生をより豊かなものにすることができるのです。

1つ目を書かせてみると、私の書いて欲しい文章とは全く違います。つまり指示の仕方が悪かったので、この作文はボツです。

~2つ目~
北陸の冬 花壇のチューリップの芽 楽しみ の言葉を使って「季節を感じること」という題で400文字の作文を書いてください

ChatGPTの文章
北陸の冬は厳しい寒さと積雪に見舞われる季節ですが、その中でも春を待ちわびる喜びを感じる瞬間があります。私が楽しみにしているのは、花壇に顔を出すチューリップの芽です。

厳しい寒さが続く中、窓辺から外を眺めると、まだ雪に覆われた庭にただ黒い塊が並んでいる花壇があります。しかし、その黒い塊の中には、ほんのわずかに緑色のチューリップの芽が顔を出しています。それはまるで春の息吹を感じさせるもので、私は毎日楽しみに眺めています。

その芽がどんな色や形をしているのか、どんな花が咲くのか、想像するだけで胸が高鳴ります。そして、やがて暖かくなり、雪解けが進むにつれて、芽がどんどん成長し、ついには鮮やかな色と華やかな形をしたチューリップが咲き誇るのを想像すると、とてもワクワクします。

花壇に顔を出すチューリップの芽を見ると、まだ寒い冬の中にあっても、季節を感じることができます。春はまだ遠く、道のりは険しいかもしれませんが、私たちは芽吹く命の力強さに励まされ、春の訪れを待ちわびることができます。

北陸の冬が終わりを告げると同時に、花壇に咲くチューリップの美しい花が私たちを迎えてくれるでしょう。その時の喜びは、きっと言葉では言い表せないほど大きなものになると思います。

「楽しみ」という感情を表す言葉を入れてみると、なかなかいい文章を提示してくれました。これを手直しするといいかもしれませんが、先生から「最低3つ」と指示されているので、さらにキーワードを変え、もう一つ作文していただきましょう。

~3つ目~
コンビニスイーツ 学校帰り 友達と ワクワク感 楽しみ 思い出 の言葉を使って「季節を感じること」という題で400字の作文を書いてください

コンビニスイーツは、忙しい学校生活の中で友達と一緒に楽しむことができる、特別なおやつの一つです。放課後にコンビニに行き、ワクワク感を味わいながら、新しいスイーツを探すのは、私たちにとって特別な楽しみの一つです。

そして、季節を感じることもできます。夏にはかき氷やアイスクリーム、秋には栗やかぼちゃの味がするスイーツが店頭に並びます。冬には、クリスマス限定のケーキやチョコレートが人気を集め、春には、桜や苺の味がするスイーツが登場します。

私は、春が大好きで、桜の花びらが舞い落ちる季節には、コンビニのスイーツで桜の味を探すのが楽しみです。桜の味は、ほのかな甘さと華やかな香りが特徴的で、一口食べると春の訪れを感じます。

また、夏には、シャリシャリとした食感のかき氷や、ジューシーなスイカやメロンの味がするアイスクリームがお気に入りです。友達と一緒にコンビニで涼しげなスイーツを探すのも、夏の思い出の一つです。

季節に合わせたスイーツを食べることは、その季節を感じることにもつながります。コンビニスイーツは手軽に買えるものですが、その中には季節限定の味もあるので、ぜひ友達と一緒に探してみてください。きっと、美味しいスイーツと一緒に、季節を感じることができるはずです。

いかがでしょう。
キーワードをより身近にすることによって、かなりいい感じになったように思います。
ただ実際は「学校帰りにコンビニ」はないので、「夏休みに」とか「塾帰りに」に変えたり、あまりに詩的な表現、例えば「桜の花びらが舞い落ちる」のような部分は中学生っぽく変えるほうが楽しさが増すように思います。

~西野真理ChatGPT校正提出作品~(先生へ提出用)
①キーワード
  コンビニスイーツ 学校帰り 友達と ワクワク感 楽しみ 思い出
②ChatGPTの元作品 3つ目
③以下、校正作品

校正その1
夏休みの塾帰りの楽しみといえば、友達と一緒に楽しむコンビニスイーツ、特別なおやつです。コンビニに行き、ワクワク感を味わいながら、新しいスイーツを探すのは、私たちにとって塾帰りの楽しみの一つ、というよりむしろそのために塾に行っていると言ってもいいくらいです。コンビニスイーツからは季節を感じることもできます。夏にはかき氷やアイスクリーム、秋には栗やかぼちゃの味がするスイーツが店頭に並びます。冬には、クリスマス限定のケーキやチョコレートが人気を集め、春には、桜や苺の味がするスイーツが登場します。私は特に秋のスイーツが好きで、モンブランのあのザラッとしつつトロッとした感じは最高です。
季節に合わせたスイーツを食べることは、その季節を感じることにもつながります。コンビニスイーツは手軽に買えるものですが、その中には季節限定の味もあるので、ぜひ友達と一緒に探してみてください。きっと、美味しいスイーツと一緒に、季節を感じることができるはずです。

できました。
これを文字カウントすると419文字ありましたので、19文字減らしましょう。

校正完成版
 塾帰りの楽しみといえば、友達と一緒にあれこれ探して買うコンビニスイーツ。特別なおやつです。コンビニに行き、ワクワク感を味わいながら新しいスイーツを探すために塾に行っていると言ってもいいくらいです。
 コンビニスイーツからは季節を感じることもできます。夏にはかき氷やアイスクリーム、秋には栗やかぼちゃ味のスイーツが店頭に並びます。冬には、クリスマス限定のケーキやチョコレート、春には、桜や苺の味がするスイーツが登場します。私は特に秋のスイーツが好きで、モンブランのあのザラッとしつつトロッとした感じやかぼちゃの自然な風味のタルトは最高です。
 季節に合わせたスイーツを食べることは、その季節を直接感じることなのです。コンビニスイーツは手軽に買えるものですが、その中には季節限定の味もあるので、ぜひ友達と一緒に探してみてください。きっと、美味しいスイーツと一緒に、季節を感じることができるはずです。

393文字にしました。その他実際は
「2段落で」
の指示等もあるでしょうから、そこはこれからどんどん直していけばいいですね。
いかがでしょう?こういうやり方。
正直、結構時間かかりました。ちょうど授業時間、50分くらいかな。

7分番組の裏側(西野真理著「美女エッセイ」PART3 より)2023年2月15日(水)

これは2003年5月ころ(40歳のころ)のお話を当時エッセイに書いたものです。エッセイ用なのでいつものブログと文体が違います。

              7分番組の裏側

「石川県の歌オ-ディション」が縁で知り合ったのNHKプロデュ-サ-Aさんから「『ウイ-クエンド中部』という番組の『生き生き人間』というコーナーで、西野さんを取り上げたい」
とお誘いを受けた。
もちろん大喜びでOK!
ほんの7分ほどの番組と聞き、私はこう思った。
「ちょこちょこっと私にインタビュ-して、Aさんが上手にまとめて、映像は『石川県の歌』の時いっぱい撮ってあったはずだから、それ使ってうまく編集して仕上げるんだろう」


             大間違いでした!


本当は日を追って書きたいところですが、驚いたことがたくさんあり過ぎて前後関係をよく覚えていないので、とにかく思いつくまま、個条書にします。「7分番組」ということを頭においてお読みください。

・学校取材、延べ3日。朝の登校風景を撮るために、私より早く学校にきている。

・1時間番組は1か月取材するそうだ。

・自宅カメラ付き取材2回。インタビュ-のみの訪問2回、それも夜、3時間ほど。
 いつも帰りは10時過ぎ。

・カメラマンは800万円、10キログラムの機械を肩に担ぎ、100万円の三脚を持ち、
 常に冷静に、しかも番組構成を頭に置き、どういう映像を撮っておけばよいかということ 
 を考えながら物静かに要求を出す。カメラマンは撮るだけだと思っていた。

・音声さんは、いつも不自然な格好で物音を立てず、周りの状況を静か見守っていて、音声 
 のことだけでなく映像のことにもちゃんと気を配って助言したりする

・とにかくカメラはを回りっぱなし。はじめは気になって仕方なかったけれど、だんだん
 「どうでもいいや」
 という気になる。生徒も同じ。

・NHKはベ-タビデオを使っている。映像がきれいだからだって。

・撮った映像は、使わなくても、どんな物でも永久保存される。

・コンク-ルでいただいた賞状をカメラで撮るのにものすごい時間をかけていた。
 「動いている物を撮るより物体に近づいて撮る『接写』の方が難しい」とカメラマン。
 意外。

・撮った映像と音声は局へ帰って見ながら、しゃべっている内容を全て文章におこす!
 「え-、大変でしょう」
 というとAさんは
「これ、たいしたこと無いです。私これ早いんですよ」
 私は絶対したくない仕事だ。

・テレビは映像が勝負。私のコンク-ル映像がどうしても欲しくて、Aさんはコンク-ルを独占取材していた台東区のケ-ブルテレビと交渉し映像買い上げ。さすが、NHK。

・とっても有名な人を取材する場合も、たいてい謝礼は無し。私も大学教授も有名タレントも同じ!(なにか専門的なことについてコメントを出すことで収入を得ているような人の場合は払うこともあるらしい)

・最終段階の編集はAさん一人3畳ほどの編集部屋にこもり、2日間徹夜。今回そこまでして、ぎりぎり放送日に間に合わせたのに、放送日に誘拐事件が発生して時間が押し、私のコ-ナ-は次週持ち越し。
 「6/8日朝7:45、見てね」
 と宣伝しまくったのに、待っていて下さった皆様、ごめんなさい。

 そして、Aさん、本当にお気の毒です・・・・
 

西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

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