NHK「最後の講義」保阪正康
~日本はなぜあんな愚かな戦争をしたんだろう、愚かさの理由を具体的に見ていく~
これも書き起こししようかとも思ったのですが、これはご自分でご覧になるのが良いと思います。保坂さんの感情的にならない話し方など、とてもじゃないですが文章に起こして伝えられるものではないと思ったからです。おそらくNHKのアーカイブに入っている、またはこれから入るか、再放送されるのではないでしょうか。(後で調べると、これがそもそも再放送で、初回は2023年3月9日でした)
そこで、
「この番組の中でなにか一つ」
と言われたら、ということで、保阪正康さんについての説明部分と私がこれぞと思ったその1つを書き起こします。
<保坂正康>
1939年札幌生まれ。(83歳)6人兄弟の長男。終戦の年青函連絡船の中で撃沈されないか死の恐怖に怯えた。読書が好きで物書きを目指し大学卒業後雑誌編集者として多忙な日々を過ごす。
30歳を過ぎ子どもが生まれた時、
「お父さん、日本はどんな国だったの?」と聞かれたときに
「日本はね、悪い国で、色んな国を侵略したんだよ」
それだけ、というのはあんまり。きちんと反省しなければならない。
だがその前に、私達の国がなぜ戦争をし、二十歳を過ぎた青年たちがなぜ南方の名前も知らない島に送られて行って鉄砲担いで死ななければならなかったのか、それでなぜ二十歳を過ぎた青年たちが、南方の輸送船の中で沈められて今なお太平洋の底で屍となって眠っているのか、戦争をした時兵隊たちは何を考えていたのか、指導者たちは何を考えていたのか、とお言う事をきちんと調べる。そして証言を集める。そして、実証主義的に調べていく。上からの演繹的な方法ではなく、下から積み重ねるように史実というものを確定していく。
そういうような方法が大事ではないでしょうか。私はジャーナリズムの世界にいましたからよく学者の方たちと議論しました。証言の重要性に気づいたというのは大学の先生と話をしていても、資料だけなんですね。学問は。資料がなければなかったことになる。つまり私達の国は残念なことに、官僚が戦争に関しては資料を燃やしてしまった。(敗戦前日の閣議決定で陸海軍・外務省組織で重要文書を償却する司令が出された)責任を問われるから。
学者の先年生たちは
「君、そういう、人がどう生きたかとかそういった個人の顔というものを調べて追いかけるっていうのはジャーナリズムの仕事だよ。学問はそうじゃないよ。学問は資料とか歴史の中の法則とか歴史がどう動くかというメカニズムについて科学的に勉強して行くことなんだよ。君、そんなこと言うんなら君がやればいいじゃないか。ジャーナリズムが主体的にやってないじゃないか」
と言われたんです。
行きがかり上
「ぼくがやります」
と言ったんです。
そこでこれに専念するために仕事をやめた。妻も子どももいる中での決断。
<泣くということ>
昭和49年、殆どメディアに会わなかった東條英機の妻から話を聞いた。
※色々な方が保坂さんに話をしてくれたが、保坂さんなら話をしてくれたのは、保坂さん
がどこの組織にも所属していない個人だったかららしい
「戦争だと決まった時、あなたのご主人はどういう気持だったんですか?」
「あまり人には言えないんだけど、宅(東條英機のこと)の隣の部屋に娘と寝てたんですよ。戦争が始まる2日前、隣の部屋で泣き声がする。私はびっくりしてちょっと戸を開けて見た。そしたら東條は布団の上に正座して皇居の方を向いて子どものように泣いてる。私は見てはいけないものを見た気がして、そっと戸を閉めた」
私はそれを聞いた時、東條の心理は、戦争をするということは自分がリーダーで引っ張っていく。もし負けたらどうなるんだとか、天皇はあまり戦いたくないという意志を持ってましたから、その中で戦うとはどういうことなのか悩んで、結局泣くんです。
泣くというのは日本の指導者の最後の手なんです。
昭和20年8月14日、戦争が終わる前日の会議でもみんな泣いてますね。私達の国は政治が理性とか理知とかいわゆる合理的精神とかそういうもので分別して行われるべきなのに、それが涙でごまかされていくんです。そういう弱さがあるんだと思うんです。
泣いて、そして泣くという感情で事態と向き合うんです。だから私達の国は戦争というものも感情でしかものを見ない。
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