<久しぶりの書き起こしについて>
久しぶりのNHK「100分で名著」の書き起こしです。
この番組は全部録画予約しているのですが、面白いと思っても書き起こしたいと思うものとそうでないものが当然あり、しばらくそういう物がありませんでした。
そして久しぶりに出会ったのがこの「ショック・ドクトリン」です。昨日録画したものを見て、今日の早朝から書き起こしを始めました。
書き起こしシリーズを始めた時は、それこそ一言一句書き起こしていたのですが、そこまで必要でない部分もあるので、西野真理の判断で要約しつつ書き起こすことにします。
今日のものが1話目なので、放送ごと順次ブログにアップしていきます。
ショック・ドクトリン (THE SHOCK DOOCTORIN)
副題:慘事便乗型資本主義の正体を暴く
著者 ナオミ・クライン
解説 堤未果(ジャーナリスト)
~Wikipediaより~
父は放送ジャーナリストのばばこういち、母は詩人の堤江実。弟はアニメーションアーティストの堤大介、夫は参議院議員の川田龍平。
米国の大学院で国際関係論を学び、ニューヨークの証券会社勤務時に、9・11同時多発テロ事件を間近に見る。以後、ジャーナリストに。著書に『ルポ
貧困大国アメリカ』(2008年)、『政府は必ず嘘をつく』(2012年)など。
聞き手 伊集院光
第1回 「ショック・ドクトリン」の誕生
<はじめに>
戦争・テロ・クーデター・自然災害・パンデミック…ショッキングな出来事が尽きることのないこの世界。こうした大惨事をチャンスとばかりに劇的な経済対策を断行する。それが「ショック・ドクトリン」。
規制緩和・民営化を合言葉に強行された経済改革の裏側をジャーナリスト、ナオミ・クラインが暴き出した。
ショック・ドクトリンは世界経済、そして日本にどんな影響を及ぼしているのでしょうか。その光と影に迫る。
<著者とこの本について>
2007年に出版された本。著者は現在も活躍しているカナダ出身のジャーナリスト、ナオミ・クライン(1970年カナダ・モントリオールのユダヤ人活動家の家に生まれた)。1970年代から現在に至るまでの世界経済の裏側を暴いている。タイトル通り結構ショッキングな内容が書かれている。
堤さんは2001年9月11日ニューヨークでアメリカ同時多発テロ事件に遭遇した。その後、アメリカ社会の急変とアフガニスタン、イラク攻撃など一連の紛争とメディア報道のギャップに強い違和感を覚えジャーナリストの道を目指した。徹底した調査報道を行いメディアに発信し続けている。
<ショック・ドクトリンとは>
ナオミ・クラインの造語。副題は「慘事便乗型資本主義の正体を暴く」。
ショック:大きなショックを受けて頭が真っ白になってしまう
ドクトリン:政策 この本の場合は過激な経済政策
ショックを受けて私達が頭が真っ白になっているような時、通常なら反対が多すぎて入れられないような過激な政策を一気に入れてしまう。
日本語でいうと「火事場泥棒」
<著者がショック・ドクトリンという言葉を生み出したきっかけ>
2005年8月、アメリカ南部を直撃したハリケーン・カトリーナ。ルイジアナ州ニューオリンズは市内の80%が水没し多くの人々が家を失い避難生活を強いられていた。
ナオミ・クラインはジャーナリストとして被災地を取材。その時ある共和党議員の言葉を聞き違和感をおぼえたと記している。
「これでニューオリンズの低所得者用公営住宅がキレイサッパリ一掃できた。我々の力では到底無理だった。これぞ神の御業だ」
ニューオリンズ屈指の不動産開発業者も、これとよく似た意見を述べていた。
「私が思うに、今なら一から着手できる白紙状態にある。このまっさらな状態は、またとないチャンスをもたらしてくれている」
要するに公営住宅の再建計画を潰してマンションを建設しようという案だ。数キロメートル先に、未だ被災者が取り残されている現実も忘れそうになる。
<経済学者 ミルトン・フリードマン>
「現実の、あるいはそう受けとめられた危機のみが、真の変革をもたらす。危機が発生した時に取られる政策は、手近にどんなアイデアがあるかによって決まる。我々の基本的な役割はここにある。すなわち現存の政策に変わる政策を提案して、政治的に不可能だったことが政治的に不可欠になるまでそれを維持し、生かしておくことである」
<経済的ショック療法>
クラインは経済的ショック療法について、心理学者ユーイン・キャメロン(1901~1967)が1950年代に行った心理学的ショック療法との類似点を見出した。
この手法は大変魅力的なんです。「民営化します」「ビジネスにします」「無駄をなくして効率化します」というのは短期的にはたしかに利益が出る。ところがその後はわかりません。もしかしたら長期には綻びが出るかもしれない。企業は綻びが出たら撤退します。公共というのは綻びが出ても撤退できない。税金を使って20年先50年先まで面倒見ますよというのが公共サービス。でも民間が運営していたら撤退してしまいます。だからこわいんです。企業は撤退しても次のところへ行けばいい。責任がないんです。
フリードマンが特別強欲だったというわけではないんだけれど、とても儲かるドクトリンなので、財界とか国民を都合よく統制したいという政府が悪用した、という感じ。
機会が均等で競争で勝ったやつが生き残る。これからっていう若い世代はこの理論を「そのとおり!」って言いそうな気がする。体力が右肩上がりだって思ってるころは、自分も「勝ち組」になるって信じてやまない。自分が「勝ち組」になるのに邪魔なのは、負けたのを人のせいにして弱音を吐いてる人・・・ぼくも20代ころはそんな考え方だった。
フリードマンはものすごく学生に人気があったんです。すぐ結果を出してすごく成功したい気持ちが若い人にはあるので。
<1970年 チリ>
1970年南米チリ。この年チリでは大統領選挙が行われ、社会主義を唱えるサルバトーレ・アジェンデが圧倒的支持を受け当選。史上初の自由選挙による社会主義政権が誕生した。
アジェンデ大統領は国内の天然資源やインフラの国有化を進めるが、これに対しアメリカの企業が危機感を抱く。チリの銅山の株式の7割をアメリカの企業が所有していたから。
<チリのシカゴ・ボーイズ>
1974年チリのインフレ率は375%にも達したが、これは世界最高の数字で、アジェンデ政権下での最高時の2倍にあたる。パンのような基本食品の価格は天井知らずに高騰し、他方、失業者は増える一方だった。「自由貿易」実験によって、国内には安い輸入品があふれていたからだ。国内企業は競争に負けて閉鎖を余儀なくされ、失業率は記録的に上昇、飢えが蔓延した。
アメリカはチリの学生を奨学金を出してアメリカに呼び寄せた。ただしシカゴ大学一択。ここでフリードマンがしっかり教育する。そのままその子達が自国に帰ると結構な高い地位に付く。そうすると楽なんですね、近づいた時に。
これに味をしめたアメリカは、世界中にシカゴ・ボーイズを作ります。日本にもいます。
(西野真理がCHATGPTで調べたところ、麻生太郎、安倍晋三の名前があがってきました)
なんだか随分外国資本が入ってきて日本のものがなくなっているな、とか、あとで気がつくんですね。
独裁政権のみならず、民主主義国家でもショック・ドクトリンは行われました。
1980年代イギリス。当時の首相マーガレット・サッチャーはフリードマンの愛弟子でありチリでの経済改革を成功例として評価していた。しかし民主主義国家イギリスでは高いレベルの合意が必要であるため、チリのような急激な改革は難しいだろうと考えていた。
そんな中、イギリス領フィークランド諸島にアルゼンチン軍が侵攻。フォークランド紛争が勃発。
3ヶ月に及んだ戦いでイギリス軍が勝利。すると低迷していたサッチャーの支持率が25%から59%へ急上昇。
勢いに乗ったサッチャーは国内での戦いへと突き進む。
「フォークランドでわれわれは外からの敵と戦わなければならなかった。そして今、内なる敵と戦わなければならない。こちらの敵のほうがはるかに手強く、また自由にとっても同じくらい大きな脅威なのです」
普通の先進国、民主主義の国家ではショック入れられないと思われていたんですが、たまたまフォークランド紛争があって、ここにショックができた。国民の関心がみんなそこへ行きます。外に敵ができると政権与党の支持率は高まります。サッチャーの支持率はすごく下がっていたのにV字回復です。そしたらそのショックが続いている間に次の敵、既得権益の労働組合、これは敵ですよ。そしてショックを続かせるために警察に労働組合の反対運動を鎮圧させて恐怖を作ります。恐怖が続いている間に民営化をしてしまう。それをして成功したのがサッチャー。
ショックを起こす、もしくはショックに乗っかる、そして過激な自由主義政策を入れる。最後に出てきて利益を上げるのは企業。企業としては政府とできるだけ密着していたほうが色々スムーズに進むわけです。だからシカゴ・ボーイズが政府の政策を決めるところに入っている。そうなると企業のための政策を通してくれるので楽。だから限りなく癒着して二人三脚でやっていく。何を略奪するかと言うと公共のための予算を民営化して企業に流す。協力し合うわけです。コーポラティズム国家というのはフリードマン理論、シカゴ・ボーイズによってあちこちで増えてきた。
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