浄書続行とWikipediaへの寄付 2024年4月30日(火) 

今朝も目が覚めるとすぐに浄書に取り掛かりました。    
ただ今日は10時からFM生放送日なので、3時間で一旦作業を終えFMへ。
帰宅後またとりかかりましたが、ふと
「富山のチューリップまつりに行きたいな~」
すると彼が
「今日のお天気は?それに今日はコストコで買い出ししたほうがいいんじゃない」
そのとおりです。冷凍庫はほぼ空っぽですし、トイレットペーパーはないし、ゴールデンウイーク中の休日に行けば普段の休日より間違いなく大混雑。今日がチャンス。コストコへ行きましょう。

円高とウクライナの戦争でいつも買っていたオリーブオイルが倍の値段です!

帰りの車の中でスマホを見ていると、Wikipediaからのお知らせが。
寄付の依頼です。
私はこれまで2度、Wikipediaに寄付をしてきました。とってもお世話になっているからです。とってもお世話になっているのですからどれほどの寄付をしたかと言えば、1回につき1000円。それでもWikipediaから寄付をした人にはとても丁寧な御礼のメールが届きます。今回もそれ読みたさに寄付することにしました。

Wikipediaはまず
「300円寄付してくれませんか?」
そこでそこをタップすると、今度は
300円 500円 1000円 2000円~~~~
といろんな値段の画面が出てきます。
迷うことなく1000円をタップすると
「1000円の全額を寄付するために、振込料金の40円を負担してくれませんか」
乗りかかった船なので します の▢に✓を入れます。
そしてクレジットカードを選択します。
寄付終了。

すると間もなく以下のようなお礼の文章が届きました。

西野様

ウィキペディアと、誰もが無償で知識を得られる世界を支えるために ¥1,040 をご寄付いただき、どうもありがとうございました。

めまぐるしく変化する社会においては特に、ご寄付の一つひとつが、正確で信頼できる情報にアクセスできる世界の改善に役立っています。ウィキペディアという知識の贈り物を、何十億もの人々が体験できるように支援してくださったあなたに心から感謝いたします。

私たちは、このアクセスを可能な限り拡大していきます。あなたがどこで生まれ、どこに住んでいようと、無償の知識に手が届く世界の実現を決意しています。ウィキペディアがどこにでも存在し、世界中の人々が知識の総和に貢献する未来を築くために、引き続きのご支援をお願いいたします。

この素晴らしい使命を支えてくださっているあなたに改めて感謝いたします。人類史上最大の共同プロジェクトに参加できることを光栄に思います。ウィキペディアは、これからもずっと皆様と共にあります。

感謝の気持ちを込めて
マリアナ

マリアナ・イスカンデル
ウィキメディア財団CEO

雇用主が マッチングギフト・プログラムを提供しているかどうかをご確認ください。雇用主の多くは、従業員による寄付金額と同額を寄付してくれます。

あなたからのご寄付の額は ¥1,040 でした。

このメッセージは、あなたのご寄付の記録としてご利用いただけます。このご寄付に対して、いかなる商品やサービスも提供されていません。

訳詩浄書12時間 2024年4月29日(月)

一つ前のブログをお読みになってからどうぞ。

今日は本当に一日中、訳詩浄書作業をしていました。ろくに休憩もとらず、席をはずしたのは
・気分転換に庭に出てちょっと草取り
・野良猫にチュール
・パン焼き(パン焼き機にセットしただけ)
・間食、トイレ等
全部合わせても30分にならないのでは?
これは間違いなく私の人生初長時間デスクワークです。真理ちゃんやれば出来るんじゃないですか!知りませんでした。
15作品やるつもりで始めて残り4作品・・・のはずでしたが、よく見ると訳したことを忘れている作品がいくつか出てきたのでそれもやってしまおうと思っています。

今日の作業が単純に浄書だけならもっと早く終わっているでしょう。しかし、浄書しながら改めて詩を読むと、もっと良くしたい、この方が良いなど気づくことが沢山出てきて、それに結構時間がかかりました。
でもこれはとても幸運だと感じています。先日の塚田先生のレッスンでアウフタクトへの言葉の入れ方をご指導頂き、それが存分に生かされた改善になっていると自負しています。

それから一つ気づいたこと。
これだけ根を詰めると大抵頭痛が起こりますが、全くなんともありません。
以前美術の先生に勧められて篆刻をしたときなんて、3時間で頭痛。途中で放り出しました。
やっぱり私は訳詩が好きなんですね。

さあ、休憩にブログを書いたことですから、もうひと頑張りしようかな?

関定子先生からのご注文(汗!) 2024年4月29日(月)

※この文章はfacebookにも貼り付けました。

4月29日朝5:55
一気に目が覚めました。
Facebookの返信欄に関定子先生からのリプライです。
「素晴らしい
 私は全部欲しい
 買います」
そう、2日前Facebookに訳詩した作品の一覧表を載せ
「日本語で歌う楽しさに興味をお持ちの方、どうぞお問い合わせください」
と投稿したものに対してです。

これが関先生のリップサービスだとしても、それはありがたく受け止め、「一気に目が朝覚める」ことはないはずです。ではなぜ?私は確かに今日現在106曲の訳詩を終えています。しかし、まさか本当に売れるとは思っていなくて、浄書していない作品が15曲もあるのです。商売をする人間として失格です。

一気に目が覚めた私はパジャマのまま浄書に取り掛かろうとして思い留まりました。彼が
町会長になってから結構不意な来客も多く、このまま作業を開始してしまって万一お客様がいらした場合、ヤマンバと間違われます。まずは着替えとお化粧。そして反省を込めてこのブログを書いてしまいましょう。

現在6:38。
ブログも書き終えましたから、今日は一日浄書作業に取り組みます。
・・・あ!これ、西野真理のこの状況を見抜いた、関先生のご配慮だったのかも?!




防災士グッズ届きましたので・・・ 2024年4月27日(土)

防災士グッズが届きました。
緑のベスト
黒に金文字の帽子
白いヘルメット














・・・おじさんっぽい
カスタマイズしましょう。
ネームプレートの上下にラインストーンテープ貼ります。














↓黒に金文字の帽子・元














↓黒に金文字の帽子・カスタマイズ後
刺繍のあちこちにラインストーンテープ貼ります














白いヘルメット、これはとてもかぶれません














虹色ラインストーンテープ貼ってみましょう
よし!




























自分で買ったオレンジの折りたたみヘルメット















ちょっと貼りましょう







待ち時間訳詩 2024年4月26日(金)

今日は母を眼科へ送ることになりました。
眼科の待ち時間は長い!
多分2時間。
訳詩の時間です。

思えば本当にお勉強をしない子でした。よくそれで大学まで行ったものです。音楽大学だからですけどね。勉強の苦手な私は小学生の頃から
「音楽大学なら算数やらなくていい」
と勉強をしない言い訳にしていました。
そんな私が「訳詩」という座学っぽいものをやることになるなんて。しかし取り組み始めてわかったことは、歌詩の訳詩はお喋りとパズルと言葉へのこだわりと音楽が組み合わさった、西野真理にピッタリの遊びだったのです。

でも一つだけ困ったことがあります。集中力のなさです。家にいると
「お洗濯しよう」
「パンを焼こう」
「庭の草を取ろう」
「野良猫を見よう」
と西野真理の気を散らす材料のオンパレード。
しかし、母を車で眼科へ送り車の中で待つ間、私は車から出ることも出来ず(出来ないわけではないですが)あの狭い空間でやれることの最上級は「訳詩」なのです。

母を迎えに行く前に、訳す材料をバッグに詰めました。
シューマン作曲「トランプ占いをする女の子」とシューベルト作曲「至福」。
「トランプ~」は残り30%ほど、「至福」は最初からです。

さあ、母が眼科へ入りました。8:50、訳詩スタート。
11:45、ほぼ訳詩が終わったところで母から「終わったよ」電話。

家に帰って浄書してPDFに変換して本日の訳詩終了。
この浄書に意外と時間がかかります。浄書しながらミスや改善点に気づくからです。逆に言えば、浄書作業があるからこそ良い作品に仕上がっていきます。
また、今日のこの時間はちょうど、今度「リーダークライス作品24 西野真理日本語訳詩版コンサート」のピアニストをお願いしている近藤陽子ちゃんが本番で7人の歌手を担当すると聞いていた時間。お互い頑張りましょう!・・・本番の大変さとは比べ物になりませんが。

1つ思い出したことがあります。
「至福」は大学生の頃レッスンであまりの下手さに
「この曲はもうやらなくていい」
といわれた記念の曲。
今、この訳でならきっと上手に歌えます!

輪島まだら採譜 2024年4月25日(木)

「輪島まだら」
~ネット情報~
世界農業遺産「能登の里山里海」の写真・映像資料の紹介サイト より

輪島で連綿と歌い継がれてきた芸能が「輪島まだら」です。七・七・七・五の歌詞の母音を、長々と引いて斉唱する勇壮な歌い方が特徴です。輪島は室町時代末、日本の十大港湾である「三津七湊(さんしんしちそう)」のひとつに数えられ、江戸末期から明治末期にかけては北前船(きたまえぶね)の寄港地として栄えました。海運を通じて各地の情報や文化が輪島にもたらされた中に、「まだら」もあったと考えられています。元々は、漁師や北前船の船乗りたちが1月に行う起舟(きしゅう)の祝い唄として歌われ、後に家の新築や婚礼などの祝い唄として定着しました。

歌詩
松にひなづる 千歳の春は 岩屋清水に亀がすむ


この曲を知ったのはほんの2週間ほど前だと思います。
MROテレビの夕方の番組の「のと自慢」コーナー。
能登の被災地へレポーターが出向いて歌を歌ってもらうのです。
これまでこのコーナーで歌われたのはJpopや昭和歌謡。
しかし偶然見たこの日、登場した30歳代の男性は
「これはお祝いの歌なのですが、こんな時だからこそ昔から伝わるこの歌を皆さんに聞いてもらいたい」
とこの「輪島まだら」を歌い始めました。
これがうまい!
しかもいい曲。
いわゆるクラシック系作曲家の皆様も日本の民謡を題材とした、または採譜を元にした曲を多く発表されています。でもこの「輪島まだら」は見たことがありません。
「これ、採譜してみようかな?」
とちらっと思いました。しかし、面倒なことが大嫌いな私はこれが面倒であることはわかりきっているので、その時はそのままにしていました。

ところが昨夜急にそのことを思い出してYouTube検索してみると、ほぼ楽譜のような感じで図解してある動画を見つけ、
「これを参考にして楽譜に起こせばそれほど面倒じゃない」
と、採譜に取り組むことにしました。
結論から言えば面倒に決まっていますが、その動画のお陰で元からやるのと比べると3分の1くらいの労力で済んだと思います。

参考にさせていただいたのは↓
https://youtu.be/4zwOT0EjWmc?si=M0e4if7I3MPx5d_H
ほかにも素晴らしい歌唱の動画もアップされていて
↓これなど、本当に素晴らしいです。
https://youtu.be/61nSygivdfE?si=5qiPn7usqfGzbbDN

これをどなたか作曲家さんが日本歌曲っぽく編曲してくださらないものでしょうか?
とりあえず、私の採譜を公開します。







アニー・ローリー訳詩ご提案いただきました 2024年4月25日(木)

アニー・ローリー訳詩をご提案いただき、訳詩を決断し、訳詩に取り掛かり、提案者にお送りし、ご購入いただきました。
これ、昨日1日の出来事です。

昨日はSing幾多郎開催日。
最多参加者・Sさんがご参加くださって、楽しく終えて帰ろうとした時、ラインに着信があったことに気づきました。
「女の愛と生涯」の西野真理訳詩を世界で最初にご購入くださった徳子さんからです。
「真理さんはアニー・ローリーの訳詩はされてないですか?教えているグループでやろうと思ったら、どの訳詩も日本語が難しく、なんだかしっくりこなくて」
お気持ち、お察しいたします。
早速返信しました。
「徳子さま、次は何を訳そうか、材料を探していました。アニー・ローリーみたいに昔から歌われていて、やや古めかしい訳詩のリメイク、いいかもしれません。ちょっとトライしてみようかな」
さらに徳子さんから
「外国の民謡系の昔の訳詩は文字を見ないと理解できなくなってますよね。耳で聞いてわかる訳詩はないかと探しましたが見つからず。是非チャレンジしてみてください」

トライしてみようと返信したものの、本当にできるかどうか自信はありませんでした。
そもそも家に楽譜がなかったのですから。これには正直驚きました。
でも大丈夫。こういうものって著作権が切れていて(元々ないのかな?)ネット上に楽譜はいくらでも出てきます。難しい訳詩も。
その難しい訳詩は何種類もあって、どれも格調高いという意味では素晴らしいのですが、これを耳で聞いて一度で理解するのは難しいと思われます。

<堀内敬三 訳>
朝(あした)露置く 野の静寂(しじま)に
いとしアニーローリー 君と語りぬ
永久(とこしえ)まで 心変えじ
誓いしアニーローリー 我がいのちよ

<藤浦 洸 訳>
なつかし川辺に 露はあれど
いとしのアニー・ローリー いまやいずこ
君に逢いし 時はゆけど
いとしのアニー・ローリー
ゆめ忘れじ

13時ころ、訳詩に取り掛かりました。
14時半ころ出来ました。
歌ってみました。
手直ししました。
14:42徳子さんに送信しました。
15:09ご購入意思表明のラインいただきました。















今回の訳詩は徳子さんにご提案いただいたおかげで実現しました。ありがとうございました。皆様からのさらなるご提案をお待ちしております。
そして難しい言葉を一つも使っていない(使うことのできない)西野真理訳詩のアニー・ローリー(2番まで)、皆様、お歌いになってみませんか?
こちらのお問い合わせも心よりお待ちしております。



倶利伽羅不動尊の八重桜 2024年4月25日(木) 

今日は倶利伽羅不動尊へ八重桜を見に行きました。
それでは写真をお楽しみください。

倶利伽羅不動尊














不動尊のトイレ














トイレの中の窓











































92歳の母は、このシニアカーを境内で出会った人に褒められ
スター気分を味わいました















倶利伽羅不動尊別館(?)
ろうそく1つ100円で買ってお供え














別館の方はツツジがこれから満開になる感じ




YouTubeコメント欄の書き込みとコンプレックスからの解放 2024年4月25日(木)

昨夜のことです。
YouTubeにアップした「北鳴中学校校歌伴奏」動画にコメントが届いていました。

20年前の生徒です。
「チャンスの誘いがあれば、悩まず直ぐにやりますと答えなさい」
という先生のお言葉で僕の人生は変わりました。
お陰で現在もプロアスリートとして活動しています。
いつかまたお会いできることを夢見ています。

ちょっとドキドキするほどの嬉しさでした。
20年前といえば私は42歳、ちょうど北鳴中学校で働いていたとき。
奏楽堂日本歌曲コンクールで2位に入賞したのもこのとき(41歳)でした。

私には過去から現在にかけてたくさんコンプレックスがあり、その多くは年齢とともに克服したり自虐ネタに変換することで逆に「売り」になったりもしました。
ところが現在も引き続きコンプレックスとして横たわっているのが
「中学校音楽教師」
という肩書です。
西野真理が「歌手」と名乗ろうとしている時、一番困るのがこれなのです。

お読みくださっている皆様、もしあなたがなにかのイベントに歌手を呼ぶ担当者になったとしたら、次のどちらの方に声をかけますか?

A 奏楽堂日本歌曲コンクール第2位 中学校教諭
B 奏楽堂日本歌曲コンクール第3位 オペラ歌手 二期会会員 

私がその立場なら間違いなくBです。
そもそも公立中学校の先生には「兼業の禁止」という法律もあります。仮にボランティアだとしても日中は来てもらえないことが明らかです。
そして
「中学校の先生が『歌手』って言えるほどうまいはずがない」
のです。
私の心のなかには現在もこれがしつこくまとわりついて、先日も活動の様子をチラシにする時、プロフィール欄に「元中学校教諭」という言葉を入れるのをやめました。
それが↓です。


















ただ現在は以前よりそれが少し薄くなっています。
YouTubeのおかげです。
YouTubeに動画アップを始めるまでは、私の歌の実力を判断して頂く方法は実際に聞いていただくしかありませんでした。聞いていただいて
「これじゃだめだ」
と判断されるのならそれは当然です。
しかし大抵の場合、「歌手」を選ぶ基準はチラシ等のプロフィールを見るしかありません。
「中学校教諭」「中学校の音楽の先生」
という肩書は、明らかに不利なのです。

ところが2020年、コロナを機にYouTubeアップを始めてから
「YouTubeに動画をアップしてるんですよ」
とその場でYouTubeを聞いていただいたり、プロフィール欄にYouTubeに動画アップしていることをご紹介することができるようになり、ずいぶん心が軽くなりました。

そんな私ですから、教員であったことでなにかしらプラスの評価をいただけることは、嬉しいだけではなく
「教員であったことにコンプレックスを抱いていることへの後ろめたさ」
も含まれて、複雑な部分があることも事実。

それでも昨日のコメントは、それを上回る嬉しさでした。
コメントを下さったのがどなたなのかわかりませんが、本当にありがとうございました。

でも、ここで告白します。
その素晴らしい言葉、私のオリジナルではありません。
少し違いますが師匠・関定子の言葉なんです。
私は先生からこんな言葉をお聞きしていました。
「なにか頼まれたら、その時出来なくても『やります』っていうのよ。引き受けてからやればいいんだから」

横浜2泊3日の旅 2024年4月20日(土)~4月22日(月)3日目

~駐車料金~
何事もなくホテルをチェックアウト。
2泊3日の駐車料金5000円。
都会です!

~TポイントからVポイントへ~
それほど使っていませんが、朝刊に全面広告が載っていたので撮影しておきました。









~陽子ちゃんと合わせ~
あとは自宅へ帰るだけ・・・ではなく、今回は横浜在住のピアニスト近藤陽子ちゃんと合わせをしていただく計画を入れました。
7月14日(日)
リーダークライス作品24 
西野真理日本語訳詩版世界初演
のピアニストを陽子ちゃんにお願いしているからです。
本当だったら合わせのためだけに新幹線に乗ってこなくちゃいけなかったのに、娘たちのお陰で上手く重ねる事ができました。
彼は2時間、車で待っていてくれました。

~本田さんの版画~
陽子ちゃんのご自宅の玄関に、本田正史さんの版画が飾られていて感激しました。
「置いてくれてるのね!」
と言うと
「お気に入りなんです」
↓これは同じタイプの本田さんの版画















本田さんはかつての同僚で美術の先生。
でも彼はとても実力のある画家で、数年前ついに中学校を辞め、大学の先生になりました。本当に良かった。
今はちょうど国展の審査員として東京にいらっしゃるはずです。
その本田さんから以前小さな色紙の版画をたくさん頂いて、それを陽子ちゃんが我が家へ来てくださったとき
「素敵ですね」
そこで1つお渡ししたのです。

玄関にあったことが嬉しくて昨日本田さんにご報告したところ
「ぼくも嬉しいです」

↓その他、我が家の本田作品展





~帰途~
これも往路と同じ。Googleナビ様は静岡を回るルートを出してくれないのでまた「静岡SA」を目的地にしてナビ開始。
途中工事車線規制で少しだけ渋滞しましたが、あとはスムーズに走行。

お昼ご飯は静岡の何処かでおそば。彼は焼きそばを食べていました。
夕飯は小矢部で白エビラーメンを食べました。彼は金沢カツカレーを食べていました。















以上で横浜2泊3日の日記を終わります。

横浜2泊3日の旅 2024年4月20日(土)~4月22日(月)2日目

~山手ヘレン教会~
今回の目的は娘夫婦のフォトウエディングを見ること。
本当はここに100枚くらい写真を貼り付けたいところです。しかし、娘から禁止されましたので、娘たちが写っていない写真だけ載せます。
















雨の予報が一転、うまく撮影中は晴れて大満足。
教会の中にあった電子ピアノをパイプオルガン音声にしていただいてバックミュージックを演奏することも出来ました。

~港の見える丘公園~
教会で洋装、次はスタジオに移動して和装で撮影です。
撮影がスムーズに進行しかなり時間に余裕ができたので、私達は一旦ホテルへ、娘の彼のご両親も一旦自宅へ。
娘がタクシーを呼んでくれたので、どこにあるかよくわからないのに名前だけ知っていた
「港の見える丘公園」
と運転手さんに言ったら、すぐそこでした。申し訳ない。
ツツジが満開。バラの季節に来ると、きっととてもきれいだと思います。
↓遠くに立っているのは彼
きっとここは素敵なバラのアーチです。














ここから歩いてホテルまで行くことにしました。
↓途中で見た原チャリの白バイ。かわいいな。














~和装撮影~
スタジオ内での撮影です。
こちらもとてもスムーズに進んだので
「スタジオを確保している時間内、お好きに撮影どうぞ」
てことで、家族で色々撮影して楽しみました。














~夕食~
ホテルで仮眠。
夕食会場は横浜駅高島屋8階の「多国籍料理Kihachi」。
ここまでもホテルから歩いて行くことにしました。まあまあ遠い!
でもいい運動です。















↓私は食べたことのなかったクリームタイプのジェノベーゼソースパスタ
ジェノベーゼって言えば緑のものだと思っていたので、白くて最初?
でも食べてみるとクリーム入りもなかなか美味しい。



















帰りは電車。
小雨にちょっと濡れながら地下鉄の出口からホテルまでは徒歩。
彼は普段あまり歩かないので、今日の歩行はかなり疲れたみいたいでした。

3日目に続く













横浜2泊3日の旅 2024年4月20日(土)~4月22日(月)1日目

今回の旅はトラブルもなく、目新しいことはほとんどありません。ただの西野真理の個人日記ですから、それでも興味をお持ちくださる方はどうぞお読みくださいませ。

~Googleルートナビ~
早速Googleさんにお願いです。
Googleルートナビ、とっても便利です。いつも気を使ってくださって最短ルート、最速ルートをお教えくださいますね。でも、それにちょっと困ってるんですけど・・・
私達が車で横浜に行くとき、東京都内を通りたくないので、少し遠回りでも名古屋から静岡(新東名高速)を使って行きたいんです。でもGoogleさんは何度検索しても、松本経由で上信越道、または中央道経由しか出してくださいません。
仕方ないのでパソコンで検索して、出てきたルートをドラッグして静岡周りを出し、それをスマホに送信して
「よし!」
しかしスマホをみるとそのルートはバッサリ削除されて、松本経由にされますね。

スマホに向かって
「新東名高速を使って横浜へ行く」
と、どんな大きな声で言っても、決して私の意思は汲んでいただけません(涙)
仕方ないのでホテルまでのルート検索を諦め、「静岡SA」まで行くことにすると、やっと新東名経由のルートを見ることが出来ます。
Googleの皆様、なんとかナビに西野真理の意思をすぐに反映させる方法のご検討をお願いいたします。

↓御殿場付近から富士山が足元まで見えて感激














・・・というわけで、「静岡SA」を検索してホテルにまあまあ無事着きました。
なぜまあまあかと言いますと、最後から2つ目のICを出る時、出口を間違え、同じゲートを2回ぐるぐる周り、それだけで1回360円、つまり720円使ってしまいました。こういう時の720円はとてももったいない気がします。

~中華街~
夕飯は娘も来てくれて中華街へ。
地下鉄に乗ったのですが、石川県では見たことのないポスターが!














中華街は土曜日で大混雑。
前回入った「同発」というお店がとても美味しかったのでもう1回行こうとしたら大行列。
諦めてメインストリートから横道に入ると突然空いています。
全く下調べもしていなかったので、とにかく空いているお店に入ったところ、ちゃんと美味しくてさすが中華街。「澤園」というお店です。
撮影を忘れましたが小籠包と杏仁豆腐も食べました。














2日目に続く

井川意高・堀江貴文対談本「東大から刑務所へ」から 2024年4月19日(金)

 最近読んだ本、井川意高・堀江貴文対談本「東大から刑務所へ」から
(この内容は「FMかほく」でもお話する予定です)

Wikipedia情報>

井川 意高(いかわ もとたか)1964年〈昭和39年〉728日  2024年現在59歳。

大王製紙前会長。大王製紙創業家3代目(同社創業者・井川伊勢吉の孫)で「ティッシュ御曹司」と称される。カジノで1068000万円をつぎ込んだ背任事件(大王製紙事件)で有罪判決を受け収監された。このことから「106億円を熔かした男」と言われる。

<ブログに書いてみようと思った動機>

動機の中心は、事件そのものもこの人物もあまりに特異で興味を持ったから。
しかし、事件そのものはニュースでなんとなく知っていた程度です。
これまで私は井川さんに関することを次のように簡単に情報整理していました。
「あのエリエールの大王製紙の御曹司が、有り余るお金をいいことに、賭博で何百億円も使い込んで刑務所に入れられた」

しかし、以前からこういう事件があるたびに、
「なんとなく知っているだけで大した情報もなく、思い込みや憶測で物事を語ると、大変な事実誤認、最悪の場合冤罪を生むこともある」
と反省していました。
そして今回もまた頭の中でそれをやってしまっていました。
そんな中、ゲストとして井川さんが出演されているYouTubeを色々見てずいぶん印象が変わり、ついに井川さんと堀江貴文さん(通称・ホリエモンさん)の対談本「東大から刑務所へ」まで購入。(私は電子書籍で買いました)















そこで、上記の反省も踏まえ今日はそれを読んでわかったことを書くことにしました。

ただし、この本の内容は御本人たちの言葉で、当然自己弁護的要素は強いと思われますので、それらも頭の隅に置きながらお読みくださいませ。

 <経歴>

下知識として井川さんの経歴を簡単にまとめます。

大王製紙の3代目。愛媛県育ち。小学校5年生の時、受験対策なんて全くしていなかった状態で代々木ゼミナールで模試を受けたら全国2位。それを見てお父さんが「絶対東大」と言い始め、家庭教師をつけられ中学受験の勉強を開始。小6夏休みの代々木ゼミ夏期講習は帝国ホテル連泊で受講。

筑波大学附属駒場中学校を経て東京大学法学部にストレート合格。
200742歳で社長に就任。
その後借金が明るみに出て20119月会長を辞任。
201310月から32ヶ月刑務所へ
20172月、著書「熔ける」が幻冬舎で文庫化
現在は本の印税、登録者22万人超えのYouTube、オンラインサロンが主な収入源。

<事件について>

井川さんは大王製紙の子会社からお金を借りて、個人口座に億単位のお金をどんどん振り込ませ、それを全てカジノで溶かしてしまいました。
捜査した東京地検特捜部は
「これだけのお金が動くのだから、バックに大物政治家がいるんじゃないか」
という読みでの捜査だったようです。
しかし実際は、1068000万円のお金を本当にほぼ全部ギャンブルで使ってしまったという、それはそれで無茶苦茶ですが、そういう意味では単純な事件。
ただ、井川さん本人は、
「自分の会社が大半の株を持っている子会社からお金を借りたんだから、まさか事件になるなんて思ってもいなかった」
と語っています。これが事件なのかどうなのか、法律的なことは私・西野真理にはよくわかりません。
 
<逮捕8ヶ月前>
しかし、それほどのお金の動きを誰も知らなかったのでしょうか?
当然気づきます。逮捕される8ヶ月前に、子会社から息子が20億円の借り入れをしていることに井川さんのお父さんが気づいたのです。
ただ気づくと言っても、元々隠蔽をしたわけでもなく、井川さんが借りたお金として決算書にも載っているのです。
それに気づいたお父さんは激怒します。
井川さんは流石にギャンブルで溶かしたとは言えなかったらしく
FXで損失を出した」
とお父さんに言ったそうです。
 
また、毎週末海外のカジノに繰り出していることに誰も気づかなかったことも不思議ですね。そこは私は周りの皆さんが見て見ぬふりをしていたと思っています。
しかし、この点を井川さんは
「週末や休日に社員とつるむなんてことはなかったし、プライベートな時間に何をしているかなんて、秘書にさえ言っちゃいなかった」
と語っています。
 
これらはいわば会社内部のお話ですが、201197日、内部告発メールを発端に世間に知られることになります。
井川さんはこのことを
「創業家を排除するために仕組まれたクーデター」
と想像しています。 
2011915日、井川さんは大王製紙会長を辞任します。
父さんが
「上場会社の会長が博打でこんな金使って、責任を取らなきゃいかんだろう」
と激怒されたからです。
そして結局、お父さんも大王製紙から追放されてしまいます。
このお父さんは一度は倒産した大王製紙を売上5000億円にまで育て上げた人。お父さんには申し訳ないことをしたと井川さんは語っています。 

<拘置所>
刑務所に入る前の、まだ犯罪者と決まったわけではない方が留め置かれる場所です。
ここでは服装も差し入れも自由、インスタントコーヒーもいつでも飲める、中からお買い物の指示もできるそうです。
対談相手のホリエモンさんは
「拘置所では床に座っていなければならないから、それを知ってる人が、座布団の差し入れや、殺風景な部屋にお花の差し入れがあったのはとてもありがたかった」
と語っていました。
この拘置所で過ごした日数は、後に刑務所生活が始まると、刑務所生活日数から差し引かれます。
拘置所では作業があって、袋貼りをしたそうです。その中には大王製紙の取引先のものもあったそうです。

<借金返済>

20111222日、井川さんは保釈されます。その後すぐ、子会社からの借入金553000万円を完済します。それをすれば執行猶予がつくと思ったからです。
でもこんなこと普通の人には出来ません。
井川さんの場合は非上場企業の株をたくさん持っていたので、それを証券会社に頼んで売り、お金を用意したのです。
やはり一般人とは違います。
しかし、借金は返済しものの、結局実刑になってしまいます。

<刑務所生活>

逮捕は20113月。刑務所に入ったのが2013103日。32ヶ月の刑務所ぐらし。
刑務所は喜連川刑務所(きつれがわしゃかいふっきそくしんセンター)栃木県さくら市喜連川にある刑務所。日本で3番目、東日本で初の民間企業が運営に一部参加するPFI方式(Private Finance Initiative)による刑務所です。

 ①食事

井川さんによると、この刑務所の食事がとてもまずく、その理由としてこの刑務所の運営に民間企業が関わっているからと、次のように語っています。

「民間企業がメシを作るということは、材料費も人件費もできるだけ抑えて、自分たちの利益を最大化しようとするでしょう。なおかつ法務省のガイドラインに従って栄養価はきちんと確保しなきゃならない。だから安い豚肉か鶏肉かの入れ替わりが多くて、やたら大豆ばかり出る」

その点ホリエモンさんのいらした長野県の刑務所のご飯はとても美味しかったそうです。

 ②作業

井川さんは図書工場に配属されます。

受刑者に差し入れされる雑誌や本の中身を全部めくって、中に手紙や金属類が入っていないか調べる作業です。毎日朝から晩までコンビニで立ち読みしているような感じでとても楽だったそうです。

一方ホリエモンさんは虎屋の羊羹を入れてくれる金色の虎が印刷されたあの立派な紙袋の取っ手の紐を通して結ぶ作業だったそうです。

 ③面会

面会は最初の半年は月2回まで。その後は月3回、最後あたりは月5回。130分。井川さんのいた刑務所は栃木とはいえ結構不便なところらしく、面会に来てくれるということそのものに感謝していたそうです。

グーグルマップで行き方を調べてみたところ、石川県かほく市からだと北陸道と上信越道を通って、車で休憩抜きの場合6時間20分程。また東京都内から電車で行くと3時間50分。たしかに意外に遠いです。

面会には
・野田聖子さん(2回)
・林真理子さん
・幻冬舎の見城徹さん
なども。
面会するとみなさん涙を流します。その理由として、中では髪も染められなくて白髪で丸坊主、その上素食で96キロあったのに65キロまで痩せている、それなのに本人は刑務所に慣れてニコニコしているから余計に涙を誘ったようです。 

ホリエモンさんの面会にはかなりの大物も来てくれたそうで
GLAYTERUさん
・西原理恵子さん
・田原総一朗さん
・茂木健一郎さん
K-1の石井和義館長さん
・「カイジ」を描いた福本伸行さん
豪華です。

面会ではありませんが、手紙はとても嬉しいそうです。

<終わりに>

井川さんは本の中でこんなことを語っています。

32ヶ月の懲役刑を終えてしみじみ思うけど、カジノ狂いと特別背任事件が発覚しなければ、私は今頃まだ大王製紙会長を務めていたかもしれない。少なくとも50代前半の若さで経営陣から足を洗うなんてことは絶対になかった。でもね、大王製紙の役員として人生の大半を終える生き方は、果たしてどれほどの意味があるのかと思う。(中略)大王製紙は製紙業界では第3位かそこらの会社。そこの3代目の社長がちょこっとエリエールの事業を立て直したからといって、井川意高の名前はちっとも歴史には残らん。(中略)そんな会社で窮屈な思いをしながら大して好きでもない仕事をやっているよりは、今のほうがよっぽどしあわせだと思う」

世間は広いですし多種多様。上を見ても下を見ても切りがありません。
私は身の丈で、でもやりたいことをやれる方法を見つけながらしっかり楽しく生きて行こうと思います。自分の幸せは自分で決めて。

塚田先生レッスンからの訳詩大改良と今年買って良かった物 2024年4月18日(木) 

 このブログは
塚田先生「詩人の恋・西野真理日本語訳詩版」レッスンwith美智さんin大阪
シリーズをお読みになってからどうぞ。

レッスンから帰ると、まずは記憶の新鮮なうちに「詩人の恋」をお教え頂いたように改良する作業に取りかかりました。自分の楽譜の歌詩やリズム割を変更するのだけならそれほど手間もかかりません。
しかし、私はこれらを
・自分の楽譜
・レッスンの時先生にお渡しする楽譜
・原調版で作った楽譜(私はシューマンオリジナル楽譜の調性より少し下げて歌っています)
・鉛筆書きの元版
・リズム譜
・リズム譜をPDFでパソコンに取り込んだもの
の5つのパターンにしているので、それらを全て変更しなければなりません。

そして最も大事なのが、「詩人の恋 西野真理オリジナル訳詩リズム譜」をお買い上げくださったお二人へ改良版をお送りすること。ご面倒をおかけして申し訳ない気もしますが、せっかくですので良くなったものでお歌いになっていただきたいです。
・・・ということで、「詩人の恋」は昨日改良版が完成し、お二人に送信させていただきました。

「詩人の恋」を終えるとすぐに先生のご指導を踏まえて、「女の愛と生涯」「リーダークライス作品24」「リーダークライス作品39」「ミルテの花」の改良を開始。
先ほど「女の愛と生涯」の改良を終え、書き込みもパソコンへの取り込みも終わり、あとはお買い上げくださったSさんにお送りするだけという状態です。
しかし、「出来てすぐ送信」をすると、頭が興奮状態でミス続出。
そこで今、敢えてブログを書いて冷静さを取り戻そうとしています。

それにしても、もしこの世にインターネットがなかったら、これら変更したものをいちいちコピーして郵送しなければならなかったかと思うとゾッとします。インターネットを発明してくださった方、ありがとう!

さて、もう一度見直したらSさんに送信しましょう。

作業に大活躍の卓上掃除機 ↓ (消しゴムのカス取り)
今年買ってよかったものの一つです。
時々マウスと間違えます。


塚田先生「詩人の恋・西野真理日本語訳詩版」レッスンwith美智さんin大阪 その3 今日の色々 2024年4月16日(火)

今日一日の色々

<訳詩>
最近、時間があれば訳詩やその関係のことをしていました。
しかし、大物たち(「詩人の恋」「リーダクライス39」「リーダクライス24」「ミルテの花」「女の愛と生涯」)が一段落して
「次はなにしようかな~」
と、ややぼーっとというか、プチ燃え尽き症候群状態。
しかし神様はそんな私を放っておきません。
八ヶ岳声楽セミナーのとき、同じグループの方が歌っていらした
「トランプ占い(シューマン作曲 Die Kartenlegerin)」
という、とても楽しそうな曲が頭に浮かんできたのです。
セミナー中その歌をドイツ語で聞きながら
「この言葉が全部わかったら楽しいだろうな~」
と思っていたのです。
また、ドイツリートを専門にしていらっしゃる松井先生も、私が訳しをしているのを知って
「この曲に日本語がピッタリはまれば面白いだろうね」
と言ってくださっていました。

さあ、今日は片道2時間半電車にただ座っているだけ。
訳詩の時間でしょう!
こういう時間はとても集中できて、8割完成しました。
ただし、帰りのサンダーバードは爆睡していました。

<ブログ>
こちらも暇な時、現実逃避したい時に書いています。今がそう。
今回は帰りの大阪駅サンダーバードを待つホームのベンチです。
1時間も早くついてしまって暇だな~と思っていたのですが、
「ブログ書けばいい」
と、本日のブログを書き始めました。
ブログもYouTubeも無料でこれだけのことをさせてくださって、心よりお礼申し上げます。

<お昼ご飯>
ピアニストの美智さんと、歌手のTさん(実名許可取りを忘れました)と3人でレッスン会場近くへお弁当を買いに出かけました。
すぐ近くのとんかつ屋さんでミックスフライ弁当やヒレカツ弁当を見ながら
「ちょっと量が多いかも・・・」
「食べられるかな・・・」
と3人共言いながらミックスフライ弁当を買い、3人共全部食べました。

<サンダーバード>
・コンセントはありません
・自由席はありません
・車内販売はありません

塚田先生「詩人の恋・西野真理日本語訳詩版」レッスンwith美智さんin大阪 その2 レッスン 2024年4月16日(火)

大阪まで来た甲斐大ありのレッスンでした。

私には師匠と呼べる方が現在2人。(本当は3人と書きたかったのです。しかし、2024年元日そのお一人呉恵珠先生は天へ召されました)

まずオペラ歌手・関定子
(このブログに何度も書いてきたことをまた書きます)
関先生はご自身が天才的歌手であるのに、そうでない弟子達に、技術を適切な言葉で教えることができる、そういう意味においても天才です。
そんな先生ですから、私が「詩人の恋・西野真理訳詩版」のレッスンをお願いしたとき、まずは
「この弟子がこの訳詩で歌えるようにする」
ことを最優先したレッスンをしてくださいました。私の訳詩が完璧なはずはありません。それでも、その制約の下でこの弟子がなんとか最高の歌を歌えるように考えて、そのための技術をさずける。そんなレッスンです。
2023年11月に「詩人の恋・西野真理訳詩世界初演コンサート」を小林美智さんと開催することができたのは、関定子先生のレッスンがあったからです。

さて、そんな中、本当はコンサートまでに受けておきたかったレッスンがありました。それがもう一人の師匠・塚田佳男のレッスンです。
塚田先生のことはこのブログにあまり書いていなかったかもしれません。理由はこのブログを始めたのがコロナの時からで、ちょうど塚田先生のレッスンを全く受けることが出来ず話題が少なかったからです。

ではまず塚田佳男先生のご紹介から。
幼い頃は童謡歌手。しかし、訪れた変声。一週間泣き続けたそうです。
御本人はお嫌かもしれませんが、大人の声・塚田佳男も素晴らしく、東京芸術大学声楽科へ。
そこでまた、自分よりはるかに素晴らしい歌声の歌手の卵たちと出会い歌うことへの道を迷い始められます。
その一方、練習で歌手の卵たちにピアノ伴奏をしたところそれが絶賛されたことで、
「伴奏ピアニスト」
という道へ。
その修行のためにドイツへも留学。

ここまで塚田先生のことをご紹介すれば、私がなぜ塚田先生に「詩人の〜」を見ていただきたかったおわかりですね。
・日本の歌を歌え
・ドイツ語がわかり
・ドイツ語の歌を歌え
・伴奏ピアノを弾ける
これ以上の
「『詩人の恋』訳詩版教え手」
他に考えられません。

さてこのレッスンですが、コンサートでご一緒することになっている小林美智さんと一緒に受けておきたいというのが願いでした。残念ながら初演コンサートまでには叶いませんでしたが、この曲は一生物。次回コンサートのためにチャンスさえあればと狙っていたところへ美智さんからのご提案。もちろんすぐにレッスンに入れていただけるようお願いし、今日それが実現したのです。

レッスンは私の願い通り。
ドイツ語の発音やアクセント、音楽の流れや息継ぎと訳詩とのせめぎあいを先生になんとかして欲しい!
今回の大収穫は(全部ですが)
「アウフタクトに言葉を詰め込まない」
すみません、音楽関係者以外の方にはおわかりにならないと思いますが、説明は省きます。
これは現在一応訳し終えている他の作品にも言えることで、明日からこれを踏まえて訳詩を見直します。

最後に幸田露伴の「努力論」から。
「自分に力のない人は、他人の努力のおこぼれをいただきなさい」
私は今日、塚田先生の努力のおこぼれをたっぷり頂きました。

↓今日のレッスン会場





塚田先生「詩人の恋・西野真理日本語訳詩版」レッスンwith美智さんin大阪 その1 往路  2024年4月16日(火)

ピアニストの小林美智さんがお世話していらっしゃる「大阪塚田先生日本歌曲レッスン」の番外枠に入れていただけることになりました。
番外というのは、私がレッスンを希望しているのが日本語に訳したドイツリートだからです。

そのために本日、大阪日帰り。
日帰とはいえ楽々。敦賀まで新幹線も延伸し、乗り換え時間を入れても2時間半で行けるのですから。ありがとうJR!
今日が初敦賀行新幹線です。
5時10分に家を出て6時金沢発の新幹線に乗り、1時間弱で敦賀に到着。
空いていました。
















敦賀駅で相当もたもたしたのに、5分以内でサンダーバード乗り換えホームに移動。
すると、そこにサンダーバードが待っています。
しかしそれは私が予約したものではなく、一本早い電車でした。
「ホームで30分待つくらいなら、自由席で行ってしまいましょう」
と、サンダーバードに乗り込みました。
車両内を歩いて、自由席のあると思われる方向に進み、ガラガラの車両についたのでそこに座ると、車内アナウンスが。
「サンダーバードには自由席はございません」
「!!!」

幸い車両はガラガラのまま進行。
琵琶湖が見えました。

そして京都を過ぎた時、若い女性の車掌さんから声をかけられました。
私が正直に事情を話すと
「大丈夫ですよ」
「このチケットででられますか」
「はい、大丈夫です」
と、事なきをえました。

皆さん、今年の3月からサンダーバードに自由席はなくなりました。ご注意ください。

大阪駅に着きました。
今日一番大変だったのはこの場面。

レッスン会場は、
大阪駅から歩いて東梅田駅へ
→東梅田駅から地下鉄谷町線に乗って天満橋へ
 →改札を出て徒歩3分ほど
の場所。

問題①大阪駅から東梅田駅へ

結論から言えば家でネット検索してスマホにメモしてあったおかげでなんとかなりましたが、あの下調べがなかったら危なかったかも。
大阪駅に「東梅田駅」という表示がかなり「東梅田駅」に近づくまでないのです。
このこともネットに書いてありましたので警戒はしていました。
本当に書いてありません。
ネット情報では
「東梅田駅の表示はないけれど『谷町線』という表示があるから、それを目指して進め」
とあり、私はそれを信じて進みました。
ありました。

問題②天満橋出口

降車駅「天満橋」にも困難が立ちはだかりました。
「出口2」を出なさい、と会場案内図に書いてあるのに、出口2がないのです。
大きいくくりの「出口2」はあるのですが、それを過ぎると突然「出口2」の表示はなくなり、急に「出口12」や「出口14」が出現。
私はここを2往復しました。
しかたなくもう一度ネットを見ると
「『出口2』を過ぎたら左折」
と書いてあり、その通りにすると「出口14」に進むことになり、やっと出られました。

あとは出口を右折して進むだけ。
到着!


西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...