最近読んだ本、井川意高・堀江貴文対談本「東大から刑務所へ」から
(この内容は「FMかほく」でもお話する予定です)
<Wikipedia情報>
井川 意高(いかわ もとたか)1964年〈昭和39年〉7月28日 2024年現在59歳。
大王製紙前会長。大王製紙創業家3代目(同社創業者・井川伊勢吉の孫)で「ティッシュ御曹司」と称される。カジノで106億8000万円をつぎ込んだ背任事件(大王製紙事件)で有罪判決を受け収監された。このことから「106億円を熔かした男」と言われる。
<ブログに書いてみようと思った動機>
動機の中心は、事件そのものもこの人物もあまりに特異で興味を持ったから。
しかし、事件そのものはニュースでなんとなく知っていた程度です。
これまで私は井川さんに関することを次のように簡単に情報整理していました。
「あのエリエールの大王製紙の御曹司が、有り余るお金をいいことに、賭博で何百億円も使い込んで刑務所に入れられた」
しかし、以前からこういう事件があるたびに、
「なんとなく知っているだけで大した情報もなく、思い込みや憶測で物事を語ると、大変な事実誤認、最悪の場合冤罪を生むこともある」
と反省していました。
そして今回もまた頭の中でそれをやってしまっていました。
そんな中、ゲストとして井川さんが出演されているYouTubeを色々見てずいぶん印象が変わり、ついに井川さんと堀江貴文さん(通称・ホリエモンさん)の対談本「東大から刑務所へ」まで購入。(私は電子書籍で買いました)
そこで、上記の反省も踏まえ今日はそれを読んでわかったことを書くことにしました。
ただし、この本の内容は御本人たちの言葉で、当然自己弁護的要素は強いと思われますので、それらも頭の隅に置きながらお読みくださいませ。
<経歴>
下知識として井川さんの経歴を簡単にまとめます。
大王製紙の3代目。愛媛県育ち。小学校5年生の時、受験対策なんて全くしていなかった状態で代々木ゼミナールで模試を受けたら全国2位。それを見てお父さんが「絶対東大」と言い始め、家庭教師をつけられ中学受験の勉強を開始。小6夏休みの代々木ゼミ夏期講習は帝国ホテル連泊で受講。
筑波大学附属駒場中学校を経て東京大学法学部にストレート合格。
2007年42歳で社長に就任。
その後借金が明るみに出て2011年9月会長を辞任。
2013年10月から3年2ヶ月刑務所へ
2017年2月、著書「熔ける」が幻冬舎で文庫化
現在は本の印税、登録者22万人超えのYouTube、オンラインサロンが主な収入源。
<事件について>
井川さんは大王製紙の子会社からお金を借りて、個人口座に億単位のお金をどんどん振り込ませ、それを全てカジノで溶かしてしまいました。
捜査した東京地検特捜部は
「これだけのお金が動くのだから、バックに大物政治家がいるんじゃないか」
という読みでの捜査だったようです。
しかし実際は、106億8000万円のお金を本当にほぼ全部ギャンブルで使ってしまったという、それはそれで無茶苦茶ですが、そういう意味では単純な事件。
ただ、井川さん本人は、
「自分の会社が大半の株を持っている子会社からお金を借りたんだから、まさか事件になるなんて思ってもいなかった」
と語っています。これが事件なのかどうなのか、法律的なことは私・西野真理にはよくわかりません。
<逮捕8ヶ月前>
しかし、それほどのお金の動きを誰も知らなかったのでしょうか?
当然気づきます。逮捕される8ヶ月前に、子会社から息子が20億円の借り入れをしていることに井川さんのお父さんが気づいたのです。
ただ気づくと言っても、元々隠蔽をしたわけでもなく、井川さんが借りたお金として決算書にも載っているのです。
それに気づいたお父さんは激怒します。
井川さんは流石にギャンブルで溶かしたとは言えなかったらしく
「FXで損失を出した」
とお父さんに言ったそうです。
また、毎週末海外のカジノに繰り出していることに誰も気づかなかったことも不思議ですね。そこは私は周りの皆さんが見て見ぬふりをしていたと思っています。
しかし、この点を井川さんは
「週末や休日に社員とつるむなんてことはなかったし、プライベートな時間に何をしているかなんて、秘書にさえ言っちゃいなかった」
と語っています。
これらはいわば会社内部のお話ですが、2011年9月7日、内部告発メールを発端に世間に知られることになります。
井川さんはこのことを
「創業家を排除するために仕組まれたクーデター」
と想像しています。
2011年9月15日、井川さんは大王製紙会長を辞任します。
お父さんが
「上場会社の会長が博打でこんな金使って、責任を取らなきゃいかんだろう」
と激怒されたからです。
そして結局、お父さんも大王製紙から追放されてしまいます。
このお父さんは一度は倒産した大王製紙を売上5000億円にまで育て上げた人。お父さんには申し訳ないことをしたと井川さんは語っています。
<拘置所>
刑務所に入る前の、まだ犯罪者と決まったわけではない方が留め置かれる場所です。
ここでは服装も差し入れも自由、インスタントコーヒーもいつでも飲める、中からお買い物の指示もできるそうです。
対談相手のホリエモンさんは
「拘置所では床に座っていなければならないから、それを知ってる人が、座布団の差し入れや、殺風景な部屋にお花の差し入れがあったのはとてもありがたかった」
と語っていました。
この拘置所で過ごした日数は、後に刑務所生活が始まると、刑務所生活日数から差し引かれます。
拘置所では作業があって、袋貼りをしたそうです。その中には大王製紙の取引先のものもあったそうです。
<借金返済>
2011年12月22日、井川さんは保釈されます。その後すぐ、子会社からの借入金55億3000万円を完済します。それをすれば執行猶予がつくと思ったからです。
でもこんなこと普通の人には出来ません。
井川さんの場合は非上場企業の株をたくさん持っていたので、それを証券会社に頼んで売り、お金を用意したのです。
やはり一般人とは違います。
しかし、借金は返済しものの、結局実刑になってしまいます。
<刑務所生活>
逮捕は2011年3月。刑務所に入ったのが2013年10月3日。3年2ヶ月の刑務所ぐらし。
刑務所は喜連川刑務所(きつれがわしゃかいふっきそくしんセンター)栃木県さくら市喜連川にある刑務所。日本で3番目、東日本で初の民間企業が運営に一部参加するPFI方式(Private
Finance Initiative)による刑務所です。
①食事
井川さんによると、この刑務所の食事がとてもまずく、その理由としてこの刑務所の運営に民間企業が関わっているからと、次のように語っています。
「民間企業がメシを作るということは、材料費も人件費もできるだけ抑えて、自分たちの利益を最大化しようとするでしょう。なおかつ法務省のガイドラインに従って栄養価はきちんと確保しなきゃならない。だから安い豚肉か鶏肉かの入れ替わりが多くて、やたら大豆ばかり出る」
その点ホリエモンさんのいらした長野県の刑務所のご飯はとても美味しかったそうです。
②作業
井川さんは図書工場に配属されます。
受刑者に差し入れされる雑誌や本の中身を全部めくって、中に手紙や金属類が入っていないか調べる作業です。毎日朝から晩までコンビニで立ち読みしているような感じでとても楽だったそうです。
一方ホリエモンさんは虎屋の羊羹を入れてくれる金色の虎が印刷されたあの立派な紙袋の取っ手の紐を通して結ぶ作業だったそうです。
③面会
面会は最初の半年は月2回まで。その後は月3回、最後あたりは月5回。1回30分。井川さんのいた刑務所は栃木とはいえ結構不便なところらしく、面会に来てくれるということそのものに感謝していたそうです。
グーグルマップで行き方を調べてみたところ、石川県かほく市からだと北陸道と上信越道を通って、車で休憩抜きの場合6時間20分程。また東京都内から電車で行くと3時間50分。たしかに意外に遠いです。
面会には
・野田聖子さん(2回)
・林真理子さん
・幻冬舎の見城徹さん
なども。
面会するとみなさん涙を流します。その理由として、中では髪も染められなくて白髪で丸坊主、その上素食で96キロあったのに65キロまで痩せている、それなのに本人は刑務所に慣れてニコニコしているから余計に涙を誘ったようです。
ホリエモンさんの面会にはかなりの大物も来てくれたそうで
・GLAYのTERUさん
・西原理恵子さん
・田原総一朗さん
・茂木健一郎さん
・K-1の石井和義館長さん
・「カイジ」を描いた福本伸行さん
豪華です。
面会ではありませんが、手紙はとても嬉しいそうです。
<終わりに>
井川さんは本の中でこんなことを語っています。
「3年2ヶ月の懲役刑を終えてしみじみ思うけど、カジノ狂いと特別背任事件が発覚しなければ、私は今頃まだ大王製紙会長を務めていたかもしれない。少なくとも50代前半の若さで経営陣から足を洗うなんてことは絶対になかった。でもね、大王製紙の役員として人生の大半を終える生き方は、果たしてどれほどの意味があるのかと思う。(中略)大王製紙は製紙業界では第3位かそこらの会社。そこの3代目の社長がちょこっとエリエールの事業を立て直したからといって、井川意高の名前はちっとも歴史には残らん。(中略)そんな会社で窮屈な思いをしながら大して好きでもない仕事をやっているよりは、今のほうがよっぽどしあわせだと思う」
世間は広いですし多種多様。上を見ても下を見ても切りがありません。
私は身の丈で、でもやりたいことをやれる方法を見つけながらしっかり楽しく生きて行こうと思います。自分の幸せは自分で決めて。
0 件のコメント:
コメントを投稿