ドアクローザー交換 2023年6月30日(金)

昨日、彼がお勝手口のドアクローザーを取り替えてくれました。
ここ何年も、ドアを閉めるとき
「バキッ!!」
と音がしてそれがストレスだったのです。
ドアクローザのネジを回すと、閉まる速度の調整はできるのですが、この「バキッ」っという音は、長年の間に内部の油が少しずつ漏れ出して発生するのだそうで、油を補給する方法はなく、取り替えするしかありません。この家、築30年ですから、あれだけ開け締めする部分で今日までよく働いてくれたと労いの言葉の一つも必要なくらいです。

まずはドアクローザー本体を購入。
6000円ほどです。
今まで買おうと思ったことがないので高いのか安いのかよくわかりません。












Amazonさんのおかげで翌日には届き、あとは器用な彼が取り替えるだけです。
早速彼が作業に入りました。
しかし!
今まで取り付けられていた部分のネジが錆びついて外せません。
ここはもうYouTube先生です。
まず彼が探した動画によると、クレ556を染み込ませて一晩待つといい、ということで実践。

翌日。
びくともしません。
しかも、回している間にねじ山はどんどん潰れていきました。

次の動画。
ネジ山に機具を金槌で食い込ませて回すという方法。
まず彼は↓の工具(2つで2500円ほど)を買ってきました。














まず左の工具でねじ山の上から叩いてドライバーを食い込ませネジを回せるようにします。
でも、それでどうしようもなかったら右の赤い工具を取り出し、新たにねじ山を作って回します。
しかし、この方法では30年経ったネジはびくともしませんでした。

次に彼はこの道具を買ってきました。(1800円くらい)




























ネジにネジ山を作るよりさらに進んで、新しい穴を掘ってしまうという方法です。
↓YouTube画面を撮影














一瞬で外れたそうです。

無事外して、次は取り付け。














完成です。
お疲れ様でした。
この度のことで新しい言葉を知りました。
「なめた」
ネジ山が潰れた状態のことを指すようです。











長い間働いてくれたドアクローザーさんもありがとう。




コメントいただくって嬉しいんですよ! 2023年6月29日(木)

昨夜さあ寝ようかという時に、「ショック・ドクトリン④」のコメント欄にコメントが届いていることに気づきました。ブログをお読みくださっている方にはおわかりのように、私のブログは良く言えば好奇心旺盛で多岐にわたり、悪く言えばなんのポリシーもなく内容がバラバラ。
そんなわけですから、ただでさえお読みくださる方が少ないのに、「ショック・ドクトリン」なんてマニアックな内容には特に読者が少ないわけです。よりによってそれにコメント?何か苦情かも・・・などと思いながら読んでみると・・・せっかくなのでこちらにコピーしましょう。

西野先生、こんばんは!
私は港中学校で西野先生に三年間音楽を教えていただきました。最近ブログの存在を知ったのですが、とってもユーモア溢れるブログで、最近は時間があれば西野先生のブログを読ませていただいています。私は今大学生なのですが、西野先生のご活躍を見て、私ももっと色々なことにチャレンジしようと気を引き締めています。ブログとYouTube(特にフリートーク)楽しみにしています!!お身体にお気を付けてお過ごしください。

いい子ですね。
返信しました。

お名前はわかりませんが、
・私をおぼえていてくださって
・YouTubeを見てくださって
・ブログをご愛読いただき
・コメントまでいただく
こんな幸せなことはありません。
おわかりのようにブログもYouTubeも見てくださる方はとっても少ないですけれど
今日のような幸せなことがあるのが、やりがいであり醍醐味です。
ついでと言ってはなんですが、「FMかほく」のパーソナリティもやっていて、
そちらもYouTube配信があり、いつでもご覧いただけるのでどうぞよろしく。
それからブログでご存じかと思いますが、歌の会やコンサートもやってます。
次のコンサートは7月16日ですがお客様が集まりそうもなく危機的な状況です。
まあ、それはそれできっとブログのネタにしてしまいますけどね。
これからもどうぞよろしくお願いします。


ズッキーニ大豊作 2023年6月29日(木)


 






こんな事になっています!
冷蔵庫にも5本あります。
左の2本はお隣のAさんにもらっていただき、右から2番めと冷蔵庫の2本は彼の実家へ。後で母にも1本持っていくことにします。

ズッキーニに限らずお野菜は穫れる時は一度に穫れて、一気に穫れなくなりますよね。
私は植えたことはありませんが、キュウリは特にそうで、夏場キュウリの安いこと。ところがお盆過ぎたあたりで突然値段が高騰します。
このズッキーニも冷凍できればいいのに・・・
ただ、ズッキーニは他の野菜よりずっと長持ちします。ぴったりラップをしておけば2週間は大丈夫。

さて、一番右のこの大きなズッキーニ、鶏肉とトマトと玉ねぎとで煮込んで食べたとしても半分使うかな?

ショック・ドクトリン④(書き起こしシリーズ NHK「100分で名著」より)2023年6月28日(水)

書き起こしシリーズ NHK「100分で名著」より

ショック・ドクトリン (THE SHOCK DOOCTORIN)

副題:慘事便乗型資本主義の正体を暴く

著者 ナオミ・クライン
解説 堤未果(ジャーナリスト)
聞き手 伊集院光
第4回 日本、そして民衆の「ショック・ドクトリン」(最終回)

<はじめに>
ジャーナリスト、ナオミ・クラインは復興の名のもとに企業が利益を求めるあまり、被災者の救済をなおざりにする様子を暴き出した。しかし一方で市民たちは立ち上がり、ショック・ドクトリンを跳ね返した事例も紹介する。ショック・ドクトリンを回避するための手段とは?災害大国日本に住む私達へのヒントを読み解く。

<ニューオリンズのショック・ドクトリン>
2005年8月、最大級の大型ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州に上陸。ニューオーリンズの8割が水没し、被災者は23000人にものぼった。家を失った被災者たちはスタジアムに取り残され水や食料も圧倒的に不足する中、ショック状態に陥っていた。壊滅状態のニューオーリンズに政府がショック・ドクトリンを行ったことをクラインは明らかにした。

被災地の復興事業を政府は民間企業に委託。対処に受注したのは多国籍企業と民間軍事会社。企業の経営陣として元政府高官が在籍。彼らは「回転ドア」を通って総額16億ドルの復興予算の8割を独占した。その他復興事業契約を結んだ上位20社も議員たちに献金をしていた企業ばかり。巨額の献金と引き換えに議員たちは規制緩和を実施。利益が企業と政府関係者の一部に集まり、下請け業者の一部には低い賃金しか渡されていない。そんな理不尽な状況が生まれたと、クラインは分析した。

民間主導の復興作業はなかなか進まなかった。
公立病院、公共住宅、電気、水道が復旧されないまま多くの住民が元の家に暮らすことができなくなっていた。

学校、住宅、病院、交通システム、そして街のあちこちで復旧しないままの水道。ニューオーリンズのこうした公共空間は再建されなかったと言うより、ハリケーンを口実に「消去」されようとしていた。

フリードマン理論に飛びついた政府や財界人たちは、公立学校のシステムを再建・改良するかわりに公的資金で立てた学校を民間企業が運用するというチャータースクールを作っていった。
公立学校の教職員組合に所属していた教師4700人は全員解雇。チャータースクールに採用されても契約社員になるしかなかった。また、チャータースクールは生徒の成績によって順位づけられ政府の予算が決められるので、学校同士の競争が激化。生徒全体の成績を維持するためカンニングを許容するなど不正も見られるようになった。結果的に123校だった公立学校は4校を残してすべて潰された。
こうして多くの復興事業が民営化されたことによって、富裕層と貧困層の格差が拡大していった。

=堤=
元々それまでの民営化の切り捨てによって、公共のもの、例えば公立の学校だったり公営住宅だったり、かなり劣化してたんです。そこを一気に作り変えると。

チャータースクールと言うと1960年代にすごくいいイメージがある方もいらっしゃると思うんですね。公立の学校では教えられない自由な形の保護者や地域で作る学校だったんですけど、ビジネスにかわっていくんですね。

=伊集院=
ぼくは民営化が全部悪いとは思わないんですけど、競争の原理を入れることでより良い教育が受けられるようになりますよ、とか、強烈な競争原理の先にあったのが、カンニングしたけど見逃しましょうみたいな・・・

=堤=
先生が堂々とカンニングさせるんですね。天井に映写機で映したり、手に答えを書かせたり。学校の成績を数値で上げないと学校自体に予算が入らないという競争があったんです。それはただ数値だけの競争なので、落ちこぼれの子はできるだけ退学してもらったほうが平均点は上がる。そうすると公教育の意味ってなんだっけ、という話になってしまうわけです。例えばテストの点じゃない学校で得たもの、先生から学んだこと、友だちと一緒になにかを成し遂げることでついた自信とか、そういうのはテストの点にでない。だけどもこれが競争で民間のビジネスになってしまうと、そこが価値のないものになってしまう。

=司会者=
堤さんはこのニューオーリンズの状況が東日本大震災と共通するものがあるとお考えなんですね。

=堤=
ニューオーリンズで最初にされたことが「復興特区」を作ること。すぐに復興しなくちゃいけないんですけど、例えば法律とか、今までの企業とかと一つ一つ交渉してたら間に合わない。そこで、ショック・ドクトリンでいう、民主主義のフリーゾーンをいつの間にか作るわけです。
東日本大震災のあとでも、例えば海が壊滅的になって漁業をやってる生産者さんたちが家もなくして仕事もなくなって大変だった。そのときに漁業組合があるわけですね。漁業組合って地元の組合員さんたちの生活を一緒に何十年先まで維持していくことと、海の環境のバランスをすごく考えて、今日は漁に出ましょう、今日はお休みしましょうねとルールを作ったりしているわけです。復興特区にしたときに、それは民営化しましょう、と、その権利を民間に開放したことによって、被災した漁業者さんたちは、そこに雇われになってくださいということになって、
「はたしてサラリーマンでいいのか?」
みたいな声が現地では結構出たんですね。だからこのときに漁協のような協同組合みたいなもので住民の声が平等にでるもの、それからビジネスの分野で便利だからというので民間を入れるか、ということのバランスを良く見ていかなくてはいけない。そうでないとニューオーリンズのようなことになってしまう。

=司会者=
ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」の中で日本のことをあまり書いていないんです。気になりますけど。
今回堤さん監修の元、日本での新自由政策の流れを簡単にまとめました。

<日本での新自由政策の流れ>
日本における新自由主義経済も「民営化」というキーワードで進められて行った。
日本で最初に大々的な民営化を行ったのは80年代の中曽根政権だった。世界的な潮流に乗って新自由政策を推し進めた中曽根首相。彼は国鉄・電電公社・専売公社を一気に民営化した。
その後、「官から民へ」を謳い文句に郵政民営化も実現。新自由政策は効率化が進む、無駄をなくすなど良い面もある反面、弱者や相対的に力の弱い地方などに手が届かないと指摘する声があがっている。
民営化を積極的に進めてきた日本で、わたしたちは危険なショック・ドクトリンが行われるかどうかを見極めることができるのだろうか。

=伊集院=
立場によって功罪の差が激しく出るので、どの民営化が良かった悪かったというのは難しいところですね。

=堤=
個々の事例でこの民営化が良かった、悪かったという議論をするよりも、チェックポイントがありまして、
「有事のときに機能するか?」
例えば水道を民間運営にしたときに日本のように自然災害がしょっちゅう起こる国で大丈夫ですか?採算が取れなきゃ供給しませんじゃ防災的にはNGですよね。それから、数値で価値が測れないところ、教育や医療。こういうところはちゃんと守れているのか?検証ポイントって利益やサービスじゃないんです。広く長く深く検証するということが必要。
それから進めていくとき民営化するにしても、地域住民がそこに当事者として入っているか?要は作っているプロセスを民主化すること。それができれば民営化もいい形でできるんです。

=伊集院=
災害があったときに復興しよう、作り直そうというときに、ちょっと大胆なことができるんじゃないかということ自体が全部悪いとは思わない。だけどもその時に冷静さを失わないということがすごく大事。

=堤=
そのとおりですね。そういうときほど、2つ大事なことがあって、
一つは
・どんな法律が国会で通っているか
ショックになったらサッと法律を変えろ、すぐ出せるように準備しとけ、と、どんな政府も準備してますから、基本的に。ですからショックがあったらまず国会を絶対チェックです。

・もう1回ゆっくり考えてみる
焦るんですけど、ゆっくり考えてみたりというのがすごく大事なんです。ショックがこれからまだまだ来ます。この時にフリードマン理論が一番よくしたやり方は「選択肢をなくす」なんです。
「テロとの戦い、賛成しないんなら君もテロリスト側だよ」
それから例えばパンデミック。
「この薬を飲むか?そうじゃないと死んじゃうよ」
選択肢があるかどうか必ずチェックすること。これがすごく大事です。

=伊集院=
賛否両論のことってあるじゃないですか。自分もどっちかわかんないって状況だなってことが。急激に動いたりする時にいっぺん疑ってみる。自分もかなり動揺してるぞという事がわかっていると、ちょっとチェックできるかもしれない。

=堤=
立ち止まるっていうのは大きな力があると思います。「スピード勝負」の逆は「立ち止まる」ということ。

<ショック・ドクトリンからの自己防衛>
クラインは2004年12月、スマトラ沖地震による津波被害をきっかけにショック・ドクトリンが行われたことを明らかにする。大津波によっておよそ21万人の命が奪われ被災者が120万人にのぼった。このショック状態に便乗し政府は被害にあった住民たちを住んでいた場所から移動させ、海外のリゾート企業に土地を売却しようとした。

漁師たちは海からの恵みで十分に家族を養っていけたが、それは世界銀行などの国際機関の基準から見た経済成長には繋がらない。海岸にはもっと収益の出る利用法があるはずだというのが政府の見解だった。
この青写真からすっぽり抜け落ちていたのが津波の被災者、すなわち海辺で生計を立てていた何百もの漁師の家族だった。

しかし、被害を受けたタイ沿岸には抵抗することでショック・ドクトリンから身を守った人がいた。中でもモーケン族という先住民の行動は圧巻だった。津波に流された村を数ヶ月のうちに自らの手で再建していった。
 ※モーケン族(Moken)とは、ほぼ一年中海上で過ごす海洋民族。モーケンやモーケン人とも呼ばれる。モーケンは自称で、ビルマ語ではサロン族と呼ばれる。

タイのケースが他と違うのは、被災者たちが政府の口約束を信用せず、避難所でおとなしく公的な復興計画を待つことを拒んだことだった。
津波から数週間のうちに、何千人という漁民が集結し、「再侵入」と称する行動に出た。
彼らは開発業者に雇われた武装ガードマンもものともせず、各自が手にした道具でかつて自分たちの住まいのあった区画を囲った。
先住民たちは野営しながら土地の所有権を主張し、政府と交渉した。長く粘り強い交渉の末、沿岸部の一部土地の放棄と引き換えに、彼らは先祖伝来の所有権を勝ち取った。

このことが報道されると、この村を訪れる人々がいた。
アメリカ・ニューオーリンズでハリケーンの被害にあった被災者のグループだった。
ニューオーリンズの代表はタイの村を視察し、復興のスピードの速さに驚いた。そしてこう告げた。
「国に戻ったら、あなた方をお手本にして頑張りたい」

帰国した被災者たちは復興に必要なことを住民同士で話しあうシステムを作り出す。政府に頼らず自分たちの手で地区ごとに委員会を作り、民主的に話し合うことを始めた。そして地域にとって一番いい方法を自分たちで決めて、いくつかの問題を解決していった。

クラインはこの本の最後にこう記している。
自力で復興を目指す人々は常にその場にあるものを・・・残った人手であれば誰でも、壊れていなければどんなサビ付いた機具でも・・・有効に使う。

=伊集院=
この本を知る前にこのニュースを見ていたとして、ちゃんと判断できたかな?いいじゃないの、経済も潤うし、なんて思ってたかもしれないけど、本のことを知って、見え方が変わりました。

=堤=
ナオミ・クラインさんのこの本は、財界とか勝者の歴史とは違います。弱者の略奪された側のもう一つの歴史です。スマトラ沖地震を見たとき、民間がるのと元々いた人がやるのとどちらがいいというのではなくて、復興のプロセスにこの人たちが参加したというのがすごく大事だった。
それからこれ「逆ショック・ドクトリン」にもなっていて、ショックがあったからこそニューオーリンズの人は
「自分たちは貧しい地域で政府がある程度助けるのは当たり前だと思っていたけどそうじゃないんだ」
という覚醒があった。
これは日本にもヒントになることで、割と私達は政府を信頼してたりとか主要メディアを信用している人が多いんですけど、お任せじゃなくて自分たちが作っていく主体なんだという意識が出てきた地域が巻き返しをしている。それはショックがあったからこそなんですね。

=伊集院=
少しでも成功例があるとね、行動もかわってくるでしょうしね。

=堤=
過去からのいいものはちゃんと残して、もっとアップデートしましょうよっていうのは人間の知恵なんですね。だから知識ではなくて知性を使う。
ナオミ・クラインも言ってるんですけど、先程私たちはすぐ結果を出したくなる時代にいるのでショック・ドクトリンで使われやすいマーケティングとして、こっちが正義こっちが悪という二元論に持っていく報道とかマーケティングをしていくんですよ。「誰が悪いんですか?」「誰が裏にいるんですか?」ということを聞いてくる人がよくいるんですけど、そういう考え方をすると、取り込まれやすくなる。正義とか悪とかいうのは、どの時代で見るとかどちらの側から見るかということで変わりますよね。
ショック・ドクトリンの裏側誰ですか?フリードマンではない。欲望によって変わってますよね。犯人探しみたいなことをしてしまうと私達は分断されてしまって、それこそ広く深く見ることができなくなってしまう。早く敵を特定したいって思ってしまうと、9.11のときのアメリカみたいになってしまう。

=伊集院=
この先もっと深刻なのは、ヘッドニュースがぼくの好みに合わせて入って来るという世の中は、ぼくが革新派だったら、保守のいうことは一つも入って来ないんですよ。ぼくの好きな球団をぼくのスマホは知ってるから、ぼくの好きなチームはやたら勝ってるんじゃないかぐらい、ぼくの好きなチームのスポーツニュースばっかりぼくのスマホは表示するんです。
今後よっぽど気をつけてないとコントロールされやすくなってるし、分断もされやすくなっているし、自分が嫌だと思う意見を目にする機会も減ってくるから、心の底からこういうショック・ドクトリンといやり方がありますよっていうことを知っておく、今自分は冷静ですか?何を正しいと思いますか?を持ってないと、なんかさらわれちゃう気がするね。

=堤=
真逆の考え方の政治のブログをを読んだりね。間を取って話し合っていい方法を考えていくっていうのが結構めんどくさいけど民主主義だったりしますよね。
究極行くと、民主主義もめんどくさくなる。トップダウンが楽になってくるのでそれは脳トレをしていかなきゃいけない。

=伊集院=
下手なお化け屋敷よりショックがでかいですよね。
結構色んなところに仕掛けがあって、その仕掛けと知らずにぼくはこの先とんでもない落とし穴のある道を歩いてるんじゃないかという気がしますね。この本のことは心の片隅に置いておきたいと思います。

題名のない音楽会「夢響2023」結果 2023年6月27日(火)

昨日来ていたんです、「夢響2023」審査結果が。
題名のない音楽からのメール、そのまま貼り付けますね。

「夢響2023」へご応募いただきました皆様へ
BCC送信失礼いたします。
この度は「題名のない音楽会」の「夢響2023」にご応募頂き誠にありがとうございました。
厳正なる審査の結果、残念ながら今回の「夢響2023」につきましては、
出演を見送らせて頂くことになりました。
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
なお、番組内ではご応募頂きました映像の一部をご紹介させて頂きたく思います。
こちらも合わせて御了承頂けますと幸いです。
今後のますますのご発展をお祈り申し上げます。

2023年6月26日
テレビ朝日「題名のない音楽会」
スタッフ一同

Turandotへの旅 奇跡の78歳・関定子 その5 2023年6月27日(火)

さて、現在6月27日(火)16時53分、帰りのサンダーバード車内です。
それでは、今日の出来事。

9:04分に新大阪に到着しました。大阪は不慣れで、梅田駅への移動を心配していましたが、美智さんからいただいた、見事な手引書により、信じられないほどスイスイ乗換完了。帰りも同様でした。

そうそう、新大阪駅でこんなことがありました。
「大阪ではエスカレータは右に立つ」
と聞いていたので、新幹線から降りると右に立つ気満々でエスカレータに向かいました。ところがその新幹線は東京から来ているので、降りる人が達は揃って左に立ち、それを乱すのもどうかと思って私も左へ。
ところが反対エスカレータを見ると、皆さん右。
日本の皆様(外国の方もいらしたかも)とても柔軟❗

順調に乗り換えて、美智さん指定の西宮北口に着きました。
美智さんがホームで待っていてくださって、二人で・・・どこか忘れましたが、どこかまでもう少し電車に乗りました。もう兵庫県だと教えてもらいました。
その、よく知らないけれど素敵な町のすてきなレッスン室で合わせ開始。
昼食を挟んで「詩人の恋」全曲を3回歌いました。昨日のオペラの刺激もあり、歌う気満々。自分で言うのもなんですが、メキメキと上手くなりました。スタート地点が低いっていいことですね。

↓美智さんにごちそうになった、美味しいお惣菜屋さんのお弁当。

昨日いただいたTurandotのおまんじゅうを美智さんと一緒に食べました。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、美智さんともお別れし、帰途に着きました。いい感じの時間のサンダーバードもあったのでホームへ出ると
トワイライトエクスプレス「ミズカゼ」が出発するところでした。スタッフさんたちがデッキで手を振ってくれていました。撮り鉄さん達がたくさんいました。

もうすぐ福井。目まぐるしい2日間が終わろうとしています。
東京で陽子ちゃんと合わせをし、Turandotを和ちゃんと見てお茶して、翌日は美智さんと兵庫で合わせ。途中の車内はブログの執筆と各所との連絡。
感動的に無駄なく事が進みましたが、こんなに無駄を省いていると、寂しいこともあります。
この2日間で食べたのは、ほぼコンビニ(セブン)のもの。千疋屋のパフェとか食べたかったな。
救いは、美智さんにごちそうになったお昼のお弁当と、和ちゃんからいただいた、ポンカンをなにかしてチョコレートをかけたなにかを帰りのサンダーバードで食べたこと。
帰ったら陽子ちゃんにいただいたエシレの焼菓子食べよっと!

金沢駅に19:21に着きました。在来線に乗って帰るつもりでしたが彼が金沢駅まで迎えに行こうかと言ってくれたのでお願いしました。在来線はとても接続が良く、乗り換えも同じホームの反対側でとても楽だったのですが、すでにホームに入っている乗ろうとしていた電車は結構混雑していて、迎えに来てもらって本当に良かったと思いました。

「夕飯食べて帰ろう」
ということになり、時々行っていたある回転寿司(回っていませんが)へ。それなりに美味しくて、リーズナブル。久しぶりに楽しみに入りましたが・・・あれ?なんだか違う・・・こんなだったっけ?
11月の「詩人の恋」の打ち上げはここでもいいかなと思っていたくらいだったのに、これではちょっと。残念でしたが、今日行ったことで、私の知っていたお店ではなくなっていたことがわかり、11月の打ち上げで美智さんをがっかりさせなくて済み幸運でした。

お家に帰ってすぐエシレの焼き菓子を食べました。
おいしい!!!



Turandotへの旅 奇跡の78歳・関定子 その4 2023年6月27日(火)

オペラ翌朝。
4時半起床。
今日は大阪周りで帰ります。
というのは、いつもカラピアノでお世話になっている小林美智さんと「11月12日(日) 詩人の恋 西野真理日本語訳詩版コンサート」の合わせのためです。もちろんこれもオペラ上京の合わせ技として設定させて頂きました。

東京と大阪でのラッシュアワーを避けようと6時42分の東海道新幹線を予約。正解。さらにたまたま正解だったのは、目覚ましを5時に合わせていたのに4時半に目が覚めてしまったこと。仕方なく起きて準備を始めたので、ホテルをやや早めに出ることになりました。すると、予想より朝の電車は本数が少なく、この時間に出ていなければ(間に合ったでしょうが)かなり焦ることになっていたと思います。

東海道新幹線は久しぶりでしたが、自動改札にピッとすると
こんなものが出て来ました。親切ですね。北陸新幹線にはありません。
でも、コンセントはありません。不便ですね。北陸新幹線にはあります。

さて、この道中、ずっとこのブログをスマホで書いています。これ以上ない暇つぶし。
あっ!もう京都。
新大阪はもうすぐ。





Turandotへの旅 奇跡の78歳・関定子 その3 2023年6月26日(月)

オペラが終わり写真撮影などしていると、もう22時近くになっていました。

和ちゃんともっとお話をしたくてお茶するところを探しましたが、意外なことに東京でも早くしまってしまうのですね。
それでもジャズ喫茶を見つけて、しばらくお喋り。今まで知らなかった、和ちゃんがピアニストの道へ進むきっかけやコロナ禍でのお仕事など、とても興味深くお聞きすることができました。和ちゃんが今までプロの演奏家として生活を成り立たせていらしたことに、とても感動しました。

お茶のあと、私は歩いて半蔵門のホテルまで帰るつもりでしたが、「遅いし電車にしたほうが」との和ちゃんのアドバイスにしたがって、電車で帰りました。これは正解。いくら歩くことが苦でないからと言っても、四ツ谷から半蔵門まで歩けば30分はかかったはず。ホテルに着いて靴を脱ぐと、結構疲れている感じでした。30分では歩けていなかったかもしれません。
↓和ちゃんに頂いた「玉川大学が作っているポンカンで作った何かにチョコレートをかけた何か」
オペラの興奮でいつもすぐに眠れる私が、なかなか寝付けませんでした。
その4へ続く

Turandotへの旅 奇跡の78歳・関定子 その2 2023年6月26日(月)

ここ10年以上、コンサートはなるべく前で聞くことにしています。音響のことよりも、私は演奏者の顔や衣装を間近で見ることが出来ることの方に重きを置き始めたからです。
そういうわけで関定子先生のオペラもずっと最前列で拝見しています。
今回もそのつもりで1時間以上前には会場に着くように行ったのですが、もう100人近くの行列。がっかり。
でも最前列取れました❗(ゾーン指定の自由席)
ご一緒したのはピアニストの奥田和(なぎ)ちゃん。いつもYouTubeと美女コンのカラピアノでお世話になっています。和ちゃん始めは「最前列!」って感じでしたが、よかったでしょ?

オペラは素晴らしいの一言。
78歳の奇跡・関定子はもう書き飽きたのですが、飽きても書きたくなるあのコントロールの巧みさ❗ラスト辺りはテノールと共に高音域を歌いっぱなしなのに、あれ本当に78歳???喉のスペア持ってませんか?
奇跡の78・関定子(ウルトラの母?!)
王子カラフのテノール小野さんはテクニックも迫力も申し分なし。健気なリュウとそのお父さんには歌にも演技にも泣けました。
リュウの曽根さん
楽しいピン・ポン・パンは実力者勢ぞろいの安心出来る楽しさ。
バリトンの清水さん
特筆すべきは合唱団、アンサンブルの素晴らしさ。合唱団はあの人数とは思えないほどの声の圧と迫力。これは生でしか味わえない醍醐味。
オーケストラはピアノと僅かな弦、フルート、パーカッションだけなのに、物足りなさなんて全く感じさせません。

フルートの宗像さん
素晴らしいステージでした。
最後になりましたがプロデューサーの堀内さん、ご成功おめでとうございます。

Turandotへの旅 奇跡の78歳・関定子 その1 2023年6月26日(月)

結論から。
関定子先生の「終わり終わり詐欺」です。「これでオペラは終わりかも」と師匠。「それじゃなんとしても行かなくては!」と石川県から東京・紀尾井ホールに馳せ参じ続けて早5年。きっと来年もこの嬉しい詐欺にホイホイ引っかかるのでしょう。

さて、当日6月26日(月)お昼過ぎに東京に着く新幹線を予約して、18時30分からのオペラまで、美味しいものを食べたりブラブラしたりしていようと思っていました。するとその1週間ほど前に、ピアニストの近藤陽子ちゃんからご連絡をいただいて、ちょうど空いている14時30分あたりに
「合わせができれば」
と、この上ないご提案をいただいてとびつきました。というのは、まだ随分先ですが、シューマン作曲「リーダークライス 作品24  西野真理オリジナル日本語訳詩版コンサート」のためです。具体的なことはまだまだですが、出来れば来年の夏にでもと。
練習会場は池袋のフォルテ。ここ、奏楽堂日本歌曲コンクール前にはよく使わせていただきましたが、あの頃は駅からやや距離のある地下でした。現在は駅近くのユニクロビル9階にお引越しして、とてもきれいになっていました。
陽子ちゃんを待つ間、待合室に子どもの頃読んだ「大どろぼうホッツェンプロッツ」があってテンションアップ!
初めての合わせでしたが、初めてなりに楽しく順調に進み、陽子ちゃんからは調性について貴重なアドバイスもいただけて有意義な時間はあっと言う間に過ぎて行きました。
唯一ダメなことは、私が練習室にICレコーダーを忘れたこと。池袋駅で気づき取りに戻ると、陽子ちゃんが預かってくれていました。

その後陽子ちゃんは他の歌い手さんと合わせてから紀尾井ホールへ、私は半蔵門のホテルにチェックインを済ませ、徒歩で紀尾井ホールへ向かいました。

陽子ちゃんから頂いたエシレの焼菓子




その2へ続く


デカルトによる修練の哲学・番外編 2023年6月25日(日)

このブログは一つ前の
「デカルトによる修練の哲学・津崎良典 ・・・を聞きに行きました②」
をお読みになってからでお願いします。

<哲学館を出て>
講座が終わり、哲学館を出て駐車場へ向かいました。
普段ならエレベーターを使ってそこまで行くのですが、先日の雨で外にあるエレベーターが故障しているので、皆さん歩いて哲学館の階段状のお庭を降りていきます。



↑この写真の階段を降りていたときです。
一人の女性から声をかけられました。
「先ほど質問された方ですよね?」    
「はい、そうです」
女性は(このあとAさんと記述します)
・私は今、素晴らしい先生に習っている
・先程の質問の答えになれば
というようなことを話しかけてくださったのですが、直射日光も強く暑く暇だったので
「記念館のカフェでお茶でもしますか?」
と提案し、ご一緒することになりました。
二人で記念館へ戻り始めると、もう2人一緒にいらっしゃいました。

記念館へ入ったところで、以前内灘中学校でお隣の席だったMさんとばったり。
「昨日も来てた?なんだかMさんに似てるなって思ってた」
「ぼくも、西野先生だなって思ってたんですよ。赤い車ですよね?」
ということでMさんもご一緒に、5人でお茶することになりました。

全員クリームみつ豆を注文し、わたしもMさんもその3人とは初対面なのに、一応哲学つながりでそれなりに話は弾みました。
Aさんは富山県の人であること以外最後までご自分の名前を名乗られることはありませんでした。もうお二人のうち一人は山梨県出身で石川県在住、もうお一人はかほく市の木津在住のKさんということでした。
Aさんはしきりに
「素晴らしい先生が」
「世界中の人がその先生の教えに触れれば」
「宗教とかじゃなくて」
みたいなことをおっしゃるので
「何という先生ですか?」
とお聞きしたのですが、なかなか答えてくださいません。
このあたりからだんだん、私の管轄ではない方ということがわかってきました。
やっとAさんがその先生を
「オウ先生」
と教えて下さいましたが、この時点で私はきっぱり言いました。
「申し訳ないですが、宗教とか自己啓発セミナーとかに私は全く興味が有りません。そこのところは、はっきり線を引かせていただきます。先程の質問で私が『私にもありますが『感得できない人」はどうすればいいのですか?』と聞いたのは、私が悩んでいるからではなく、デカルトが何かしらその方法を述べているのか知りたかったからです。私は転んでも、『これって幸運だったかも』と考えられるほど超楽天的人間ですので」
これを聞いてAさんは、私を誘っても無理だなと理解されたようで、その後3人で帰っていかれました。

しかし幸運だったのは、まさかのMさんとお茶することになったことです。
そもそも、Sing幾多郎に参加者がいらっしゃったらこの講座に参加していませんでしたし、エレベーターが故障していなかったらAさんに話しかけられることもなく、記念館に戻ってMさんに会うこともなかったはず。
Aさんには申し訳ないですが、私は救いの手を差し伸べられるような人間ではない、強運の持ち主なのです。

<Mさんと>
さて、Mさんと二人になってから話の弾むこと弾むこと。
まずはMさんの簡単なご紹介。
・体育の先生でバスケットが専門(全国レベル)
・順天堂大学出身
・私とご一緒しているころに結婚し、お子さんもお生まれになった
・金沢市内在住
・私より3~5歳位年下かな

Mさんとお話していると、当然ですが知らないことばかり。
なんとMさんは3年前(2020年)に早期退職し、スポーツ理論を構築しようとMさんの出身大学の大学院の学生なのです。ある意味コロナは彼にとっては幸運で、大学院の授業はズームになり石川県に居ながら大学院生を続けることができていて、子どもさんとの時間も持て、仕事を持っている奥さんにかわって夕飯作りはMさん担当だそうです。
「仕事を辞めることを色んな人に相談したけど、一番いいにくく、最後まで言えなかったのが彼女にだったんです。だけど言った日の夕飯にケーキを出してお祝いしてくれたんです」
なんて素敵な。

Mさんはスポーツ選手のメンタル関係のことやトレーニング関係のこと、その中でも
「ボトムアップ」
といって、上から指導を押し付けるのではない方法を構築中なのだそうです。それも一人ではなく、Mさんがブレーンで、外に出るもう一人のアスリートとの共同経営(?)。Mさんは理論派なので、きっとうまくいきそうです。

家に帰ると14:30。哲学講座は12時ころには終わっていますから、かなりの時間Mさんとお話していたことになります。

今日の楽しい時間を与えてくださったデカルトとAさん、どうもありがとう。







デカルトによる修練の哲学・津崎良典 ・・・を聞きに行きました② 2023年6月25日(日)

西田幾多郎記念哲学館でデカルトについてなにかあるというラインがかほく市から来ていたので昨日行きました。(2023年6月24日(土) 13:30~15:30)500円です。
筑波大学の津崎良典先生による「デカルトによる<修練>の哲学」という講座です。
その時は、今日また続きに行くとは思っていませんでした。なぜなら翌日の講座は午前10時からの開講で、この時間は私の歌の会「Sing幾多郎」の開催時間だからです。
でも、幸か不幸か、そう、幸です。どなたもいらっしゃらなかったので、片付けもせず会場に鍵をかけて、記念館へ向かいました。

今日もその講座のおぼえているところ、興味のあったところだけをレジメを見ながら書いていきます。

デカルトによる<修練>の哲学②
高邁の精神を享受する
※非常に抜き出ている様・志などが高く衆にぬきんでている

<デカルトの死>
デカルトの教えを受けたいと思ったスウェーデン女王・クリスティナから招聘されるが、デカルトはあまり行きたくない。
理由
・子供の頃から病弱。いつも咳をしていた
・学校でも朝寝坊を許されていたほど朝が弱い(寄宿舎生活)
・寒いのが嫌。スウェーデンは10月になると雪が降る
・お城は石造りで寒い

それでもクリスティナはどうしてもデカルトを呼びたくて軍艦をオランダによこす。(デカルトはフランス人だが人生の多くをオランダで過ごした)

1649年10月ストックホルムについた。
デカルトの住んだストックホルムのガムラスタンはアニメ映画「魔女の宅急便」の舞台の着眼点の一つと言われる町並み。

デカルトは1950年1月から講義を始めるが、多忙なクリスティナために講義開始は朝の4時とか5時。寒いし朝早いしで、デカルトの体には相当きつかったらしく、肺炎を起こして同年2月11日、ストックホルムで死去。54歳。
デカルトの遺体は共同墓地に入れられ、1666年に掘り起こされて、フランスへ移送。
(当時の共同墓地というのはおよそ名のある人が葬られる墓地ではない)

<暗殺?と噂されるわけ>
2000年。『デカルト暗殺』という本が出版される。(アイケ・ピース作 山内志朗訳 大修館書店出版)

・デカルトはカトリック、クリスティナはプロテスタント。デカルトはクリスティナにカトリックへの改宗を勧めたのではないか?
・クリスティナは女王だから、国のトップが改宗するなんてとんでもない
・クリスティナはデカルトの死後、国外へ出てカトリックへ改宗している(その後スウェーデンに戻ろうとしたが失敗)
・デカルトも共同墓地に埋葬されるなどいい扱いをされていない
・クリスティナはローマで逝去。遺体はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に葬られた

<デカルト全書簡集>
エリザベト・フォン・デア・プファルツとデカルトとの哲学的文通。
※今日の講師・津崎良典先生も訳者の一人














プファルツ














・1618年生まれ
・ドイツ西武のライン地方の領土を失ったプファルツ選帝侯・フリードリヒ5世の長女。
・才媛
・オランダのハーグで悲惨な亡命生活

現存している書簡は730通あまり。
全書簡を日本語訳。今日尺社たちは世界で2番めの「偉業」と自負している。
(そりゃそうですね。ご立派です)

これは国から120万円の補助を受けている。実際出版には150万円くらいかかった。

<聞き間違い>
津崎先生が青山学院大学でフランス文学を教えていたときのこと。
「情念論」という本について教えていたら、ある学生が
「『ジョン・レノン』っていいですよね」
と感想を述べた。
それ以来、滑舌よく喋ろうと思っている。

もうしわけないけれど、今回の講座で一番笑える!
多分ずっとおぼえていて、ネタにしそう。

<基本情念>
すべての情念は
驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ 
この6つの基本情念の組み合わせ。この順番が大事。
「驚き」を第一の「基本情念」とすることがデカルトの独創。

しかし、西田幾多郎は
「哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」
と書いている。
(「西田幾多郎全集」 第5巻)

<高邁とは>
意志を決して捨てまい、という確固不変の決意を自分自身のうちに感得すること。

さて、この部分ですが、最後の質問コーナーで質問させていただきました。
「『感得』できない人はどうすればいいのでしょう?自分にもそういうことはあると思いますが、例えば、オリンピックで銀メダルをとっても『感得』できない人はどうすれば良いとデカルトは言っているのでしょうか?」

私の質問としては、あくまでも
「デカルトは感得するためにどうすればいいと言っているのか、その方法」
を知りたかったのですが、先生は
「デカルトならどいう言うと思うか?」
と取られたようで
「それはここに書いてある『自ら最善と判断するすべてを企て実行する』こと」
のような回答でした。
つまり、感得できないということは、まだまだ訓練(?)が足りない・・・という風に私は受け取りました。
私の質問への答えとしては
「デカルトはその方法は言ってない」
ってことでしょうが、先生はそこには触れていらっしゃいません。

このブログはこれで終わるのですが、
この私の質問が、次のブログへとつながることになります!

デカルトによる修練の哲学・津崎良典 ・・・を聞きに行きました① 2023年6月24日(土)

西田幾多郎記念哲学館でデカルトについてなにかあるというラインがかほく市から来ていたので行ってみました。(2023年6月24日 13:30~15:30)500円です。
筑波大学の津崎良典先生による「デカルトによる<修練>の哲学」という講座です。

<まずは、一番覚えていることから>
下の写真、左はよく見るデカルト。
右はなんと、おそらくかほく市初公開!日本でもそんなに見たことのある人はいないと津崎先生は仰ってました。
このブログ見てよかったですね。
右のデカルトらしき人は2015年に
「これ、デカルトじゃない?」
って言われはじめたホヤホヤ状態。2006年にルーブル美術館が購入したデッサンだそうです。
ただ、本当にデカルトかどうか確定はしていないらしいです。
                          












デカルトについては
「我思う故に我あり」
という言葉だけを、その意味も知らずに知っているというほど知識のない私がこのブログを書いているのですから、以下、そのつもりでお読みくださいね。
箇条書きで、レジメを見ながら書きます。

<デカルトの出生と死>
・1596年フランスのトゥーレーヌ地方ラ・エで生まれた
・お母さんは弟を出産後亡くなったので、祖父母に育てられた
・デカルトの生まれた家はまだある
・「トゥーレーヌ」は、フランス語の標準語の地域(パリは標準語じゃない)
・「トゥーレーヌ」って、何かで聞いたことあるなって思って頑張って思い出してみたら、ジャン・コクトー作詩、ミヨー作曲の「ボルドーの祭」という曲に「客船トゥーレーヌ」っていうのが出てきた
・54歳で亡くなった(肺炎・・・ただ最近暗殺説も!?)

<デカルト著「方法序説」>
1600年に「地動説」を主張したブルーノがローマの広場で火炙りになっていたような時代。
それなので・・・
・「屈折光学」「気象学」「幾何学」という3つの科学論文への序文として匿名で出版

女性は大学へ行けなかった時代。学問のある人はラテン語ができた。(現在もバチカン市国ではラテン語が公用語)
それなので
・女性も読めるようにフランス語で書いた

・この本の標題紙は石川県にある金沢工業大学の蔵書(すご~い!)















<「哲学」という言葉>
ドイツ: Philosophie、英: philosophy、フランス: philosophie、ラテン: philosophia、イタリア: filosofia、ロシア: философия(フィロソフィヤー)、アラビア: falsafah、チェコ‎:filozofie、デンマーク: ...

この「フィロ」という言葉は「好き」という意味。直訳すると「知恵(知識)を愛する」ということになる。

西周(にしあまね)が日本語に訳したが、最初は「希哲学」だったらしい。
西周の造語には
藝術 理性 科学 技術 心理学 知識 概念 帰納 演繹 定義 命題 分解
等がある

<方法の4規則>
①判断を下す時は慎重に
②牢乎(しっかりしていて、ゆるぎも見せないさま)として抜くべからず
③着地点を見失わず、慎重に歩め
④漏れがないか注意深くチェックせよ

これ、小学校の時から言われてることですね。
まだできてません。

<その他>
・どれだけ方法を試したか、練習したか
・方法は経験の成果としてしか身につかない
 ・・・こんな風にブログを書くことはなかなかいいことかも(笑)
・方法を単に適用することではなく、創意工夫を持って熟考すること
・世界は無限=中心がない=どこもが中心
・ストア派とデカルトの修練の違い(最後に質問した人がいた)
  ストア派は「修練は自分を取り戻すこと」(汝自身を知れ)
  デカルトの修練は自分の精神をよく使う自分が大事。方法を使い思考する







目黒区立第一中学校修学旅行プチコンサート 2023年6月22日(木)

 ※経緯については2023年6月2日のブログをお読み下さいませ

本日、目黒区立第一中学校修学旅行プチコンサート、無事終了いたしました。
まずはホテルの感想。
山代温泉ホテル百万石は素敵。こんないいとこに泊まれて目黒区立第一中学校の生徒さん、良かったですね。













舞台の素晴らしさにも感動!











この舞台で北島三郎さんもお歌いになったんですって!













(写っていませんが)右後方を全部開けると、1000人収容の会場











今回特筆しなければならないのは、音響担当の東光博さんのこと。
そもそも今回のコンサートはカラピアノで歌うために、スマホにカラピアノを入れ、家のCDデッキを持ち込んでそれをブルートゥースで繋いで音を出す予定でした。(万一のことも考えてCDに焼いたものも保険として持っていきました)
ところが現場に行ってみると、舞台上で男性が色々セッティングしてくださっています。明らかに裏方さんであることはわかりますが、とても品のいい、もしかするとミュージシャンかな?とも思える雰囲気の方です。
すぐにお声掛けして今日のことについてお話すると、私がブルートゥースで飛ばしたいということを知ってくださっていて、しかもそれが、私の安物のCDデッキではなく、ホテルにある機材を使用させていただけるというではありませんか!
東さんのお話しぶりから、経験豊富な方であることはすぐにわかりました。そして
「ここは、マイクを使ったほうがいいです」
と言われ、
「プロの言うことは聞く」
と決めている私は、すぐにマイクでの歌唱に頭を切り替えました。
このことはとても良かったのですが、今後のことを考えると、私はもう少しマイクでの歌唱に慣れる必要があるという反省点も見つけることができました。

プログラムは以下の通り
1 花(一人2重唱)  Pf小林美智
2 目黒区立第一中学校校歌(1番のみ) Pf・伴奏編曲 西野真理
3 かんぴょう     Pf奥田和
4 やさしさに包まれたなら Pf小林美智
5 帝国の歌姫     Pf小林美智
6 ジグザグな屋根の下で Pf今川寿美
(要望があればアンコール)
7 ゴキブリの歌    Pf小林美智

1年3ヶ月ぶりの中学生の皆さんとの絡みはとても楽しく、1曲毎にトークを挟みつつすすめていきましたが、皆さん楽しそうに熱心に聞いてくださって、とても充実した時間になりました。
2曲めに校歌を歌いましたが、この校歌、ご多分に漏れずピアノ伴奏の和声に問題を感じたので、編曲し直させていただきました。
また、校長先生に
「YouTubeに目黒区立第一中学校の校歌をアップしていいですか?」
とステージ上からご質問したところ、すぐに教育委員会に問い合わせてくださってOKになりました。今日の時点ですでにYouTubeには非公開でアップしてあったので、コンサート後すぐに公開に切り替えました。

アンコールは用意していきましたが、無理強いもできないかなとも思い
「曲名を聞いて、それなら聞いてみたいなと思ったら手を上げてね」
・・・まあ、こう言われれば手を上げざるを得ないでしょうが。
「歌うのは『ゴキブリの歌』です」
初めチラホラ・・・次第に増えて、あとは空気を読んでくださって、過半数のお手を確認して久しぶりに「ゴキブリの歌」を歌いました。これを日本で私以上に上手に歌える61歳はいないと思います。(誰も歌いたくないと思います)

ゆりちゃん、私にお声掛けくださって本当にありがとう。

↓ 東光博さんと












スタッフでトランペッターの佐渡さんに撮影していただいたもの











控室としていただいたお部屋。100人くらい控えられそう。
スタッフの方が姿見も持ってきてくださいました。














廊下も広い!この左側がステージのある会場



ダイヤの原石を磨くお手伝い 2023年6月22日(木)

バリトン歌手の原田圭さんが先程Facebookに書き込んでくださったことをそのまま引用させていただきます。(原田さんからご快諾いただきました)

<東京芸大の元学長さんがお亡くなりになったことに関しての原田さんの書き込み>

私が藝大に入学した時の学長でした。
入学式での式辞で
「本日入学された皆さんはダイヤの原石。この中から一つか二つ、本物のダイヤモンドが出れば良い。残りの人たちはそれを磨くお手伝いをしなさい」
と、私を含めて意気揚々とこれから大学生活を送ろうと思っている新入生を前にお話になったこと、今でも忘れていません。

彫刻家、澄川喜一さん死去 91歳、元東京芸大学長
2023/06/21 澄川喜一さん 彫刻界の第一人者で、東京スカイツリーのデザインを監修した元東京芸術大学長の澄川喜一さんが4月9日死去した。91歳。島根県出身。東京芸術大が公式サイトで発表した。 少年時代を山口県岩国市で過ごし、錦帯橋の造形美に引かれて彫刻家を志望。古い木造建築や運慶、快慶に興味を持ち、東京芸術大彫刻科で平櫛田中らに師事した。1979年に平櫛田中賞を受賞した後、代表作「そりのあるかたち」シリーズを制作。建築家の安藤忠雄さんと東京スカイツリーのデザインを監修したことでも話題になった。 東京芸術大教授を経て95年から同大学長を務めた。98年紫綬褒章、2008年に文化功労者。

ショック・ドクトリン③(書き起こしシリーズ NHK「100分で名著」より)2023年6月22日(木)

 書き起こしシリーズ NHK「100分で名著」より

ショック・ドクトリン (THE SHOCK DOOCTORIN)

副題:慘事便乗型資本主義の正体を暴く

著者 ナオミ・クライン
解説  堤未果(ジャーナリスト)
聞き手 伊集院光
第3回 戦争ショック・ドクトリン  株式会社化する国家と新植民地主義

<はじめに>

今回はショック・ドクトリンの本家本元、アメリカが自国に仕掛けたショック・ドクトリン。9.11、これによってショック・ドクトリンが世界規模に広がる。戦争というものの定義が変わってしまう。国による国民の監視・言論統制が正当化されてしまう。そして新しい「新植民地主義」というものができてくる。一気に規模が広がる、もっと巨大化していく。

<9.11前のアメリカでの新自由主義経済の進め方>

アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンが唱えた新自由主義。
1980年代、レーガン政権以降アメリカ政府はフリードマンの経済政策の3大ルール
・規制緩和
・民営化
・社会保障の削減
を推し進めた。
水道・電気・高速道路・ゴミ収集など公共サービスが民間企業に売却、あるいは業務委託されていく。

国家機能のこうした手足が次々に切り落とされていったあとに残ったのは、「中核」だけだった。

だが、軍、警察、消防、刑務所、国境警備、秘密情報、疾病対策、公教育、政府機関の統括、といった国家統治の根幹に関わる機能を民間企業に渡すというのは国民国家とは何かということに関わる問題だ。

ところが初期の民営化がもたらした利益があまりにも大きかったことから、味をしめた多くの企業は即収益につながる次なるターゲットとして、これら政府の中核機関に貪欲な目を向け始めていた。

「政府機能そのものも民営化してしまえばいいのではないか」

そう考えた人物がいた。レーガン大統領以降、歴代大統領の側近を務めたドナルド・ラムズフェルドとディップ・チェイニーそして後に大統領となるジョージ・W・ブッシュ。
ラムズフェルドとチェイニーはフリードマンの
「民営化すれば市場はうまくいく」
という理論を実践。
彼らは政府と民間企業の間の、見えない回転ドアを利用した。

回転ドアとはなにか?

まず民間企業が自社の幹部を政府中枢に送り込み、企業が有利になるように法制度改革を行う。その後再び企業に戻って出世し私服を増やす仕組み。つまり企業役員と政府官僚を交互に行き来し、自分たちの利益になるように仕向ける。

ラムズフェルドはフォード政権で国防長官を務めたあと、大手製薬会社などの重役を歴任。

ついにはフォード政権で首席補佐官を務めたあと120を超える国に20社以上の子会社を持つ巨大エネルギー企業のCEOに就任。
テキサス州の知事だったジョージ・W・ブッシュは刑務所やセキュリティ関連など、州政府の業務を積極的に民間に委託。その後大統領に上り詰める。
2001年1月、3人はホワイトハウスにそろった。この瞬間から政府の中核にある刑務所、軍、医療の民営化が進められ、政府の完全空洞化に向かったとクラインは分析している。

=堤=

1980年はレーガンによる民営化元年と言われています。マネーが主役。

公共サービスがバサバサカットされていくと、格差が広がり、貧困大国化していきます。なので、民営化に対する批判が各地から吹き出し始めていた頃。

=伊集院=

ラムズフェルドもチェイニーも民間を行ったり来たりしてあまりにもあからさまに感じるんだけど。

=堤=

あからさまだけど、「有識者」という立場でアドバイスをくれる人といった、大義名分はあるんです。ただ、民間の代表だったら、自分の会社・自分の領域にいい形になるようにやりますよね。
教育・福祉・医療は民間でなく、ちゃんと国で監督しなきゃという意見もあったんですが、どんどん喰い込んでいく。

=伊集院=

だったら政府なんて、経済の省庁しかなくていいじゃないですか。この体制になると直接的な経済だけで動き始めるわけですよね?

=堤=

政治家もいらないじゃないですか。国防だって民営化できますから。じゃあ、国とはなにか?もういらない?ということになってしまう。
実はフリードマンはそこまでは言ってない、国がなくてもいいとまでは言ってない。しかし、それを(フリードマンの理論の都合のいいところだけ)利用したのがチェイニー・ブッシュ・ラムズフェルド。
公共サービスがある、弱い人もいる、国が助けなきゃいけない人もいるということが考えられなくなってしまった。

<同時多発テロで起こったアメリカのショック・ドクトリン>

アメリカ、そして世界を震撼させた9.11同時多発テロ。このショッキングな事件の直後、フリードマン理論の根幹をなす民営化の負の部分が明かされ、国民の政府に対する不信感が高まっていく。
「テロリストはどうやって飛行機に乗り込んだのか」
真っ先に問題視されたのは、空港セキュリティの脆弱性。
セキュリティを任されていたスタッフが民営化された企業の契約社員で、たった時給6ドルで雇われていたことが明らかになった。

また、事件現場で通信インフラに問題が発生。救出作業中に消防隊と警察の無線が切れるといった民営化の弊害が一気に噴出。政府への批判が高まっていった。
そんな中、公務員たちは一夜にして国民的英雄になった。
消防隊、警察官など公共機関の職員たちが賢明に救出作業を行う姿が報道された。
公共サービスの価値について国民が覚醒していったとクラインは述べた。
その中でブッシュ政権は巧みに新自由主義政策を推し進める。それは新たに進化したショック・ドクトリン。

フリードマン主義に徹したブッシュチームは、直ちにこのショック状態につけこみ、戦争から災害対応に至る全てを、利益追求のベンチャー事業にするという、急進的な政府の空洞化構想を推し進めるべく動き出した。ここでショック療法は大胆な進化を遂げた。
ブッシュチームは「テロとの戦い」という名目のもと、始めから民営化を念頭に置いた全く新しい枠組みを構築した。

ブッシュ政権はテロのショックによる国民の恐怖感情を利用し、警察や軍、諜報機関による監視、逮捕、拘束、尋問の権限を強化した。
その上でセキュリティー産業へ国家予算を導入。監視カメラブームが起こり、アメリカ国内には3000万台の監視カメラが設置された。新たに巨大なマーケットが生まれた。
「テロとの戦い」をスローガンに、国民の支払った税金は湯水のように民間企業に流れた。
クラインはこうした一連の動きを「新自由主義経済革命の頂点であった」と指摘した。


=伊集院=

アメリカの人たちは監視されたりするのは嫌いな代表かと思ってた。あれをきっかけに「そんな事言ってる場合じゃない」ってなった。


=堤=

あれは私も一番ショックで、なんで自由の国アメリカが急に全部一夜にしてなくなって許されるんだろう、これがショック・ドクトリンだったんですね。アメリカの繁栄の象徴だったツインタワーが崩れた。このショックはものすごかったんです。


=伊集院=

すごさで一旦は警備の人たちに給料をろくに払ってないとか、経済だけを追求して民営化したのが間違いだったとかの方に行くわけですよね。「強い政府いてくれ」って。

=堤=

行きかけたところで政府が別の要素をそこに投入した。何かというと、外の敵なんです。
「テロリストという新しい敵がアメリカを狙っている」
「いつ次のテロがあるかわかりませんよ」
と毎日毎日テレビでじゃんじゃん流したんです。そうするともう私達怖くて怖くてそのことしか考えられなくなったんです。そして、セキュリティー。
「皆さんの要望通りに治安を国の予算で守りますよ」
といって、セキュリティー業界に湯水のようにお金を入れ始めたんです。その頃わたしたちはみんな、
「どうぞお願いします。カメラを私達の方にももっと付けてください」
見張られてるのはテロリスト予備軍であって私達じゃない、って。
政府の側は治安を守ってますということで、危なそうな人を片っ端から逮捕したりしてたんです。
ある日突然番組のキャスターが降板させられてる、大学教授が逮捕されている、そういうことがどんどん起こるようになった。9.11で政府が安全保障の名のもとに、
「国民のデータを集めるのが愛国的行動でしょ」
と。例えばブログだとかFacebookだとかと契約したんです。しかもこれが秘密裏じゃないと意味がないですよね。私達が知らない間に情報が全部とられることが正当化されてしまったのが9.11ショック・ドクトリン。大規模な。

テロとの戦いは

①時間の制約

今までは戦争というのは国と国の間で行われるものだった。ところがテロとの戦いって、終わりがないんです。世界の果てにたった一人のまだテロリストがいれば、テロとの戦いはまだ続いてるんです。言い換えると軍事予算が無制限にだせる。

②空間の制約
テロリストというのは個人なので、国境がない。
ここの国を攻撃したい、と思えば
「テロリストいますよね」
これで攻撃できる。
軍事産業やセキュリティー産業にとってはフリーパスと手に入れたようなもの。

=伊集院=

国防費とか軍事費が上がるわけでしょ?言い方は悪いけど、よく出来てる。

=堤=

さらにですね、軍人雇うじゃないですか、ところが軍人さんって公務員なんでお金がかかるんです。なのでさっきの回転ドアトリオが考えたのは
「派遣社員にすればいいんじゃないか」
軍人の人件費の部分を民営化していくんです。

<2003年イラク攻撃>

9.11同時多発テロからおよそ1年半後の2003年3月、アメリカブッシュ政権はイラクを攻撃した。
「イラクは大量破壊兵器を保有している。サダム・フセインは民主主義の敵だ」
と主張。
アメリカ軍はこのときの作戦を「衝撃と恐怖」と呼んでいた。
これは「敵の国民の抵抗の意志に直接狙いを定めて」巧妙に練られた心理作戦だとか彼らは主張する。つまり、混乱と退行を引き起こすための感覚遮断と過負荷だ。敵の状況把握力や認知力を麻痺させ「敵を完全に無能な状態にする」

イラク国民を恐怖の底に突き落としたアメリカ軍はバグダッドに入る。イラク国内では略奪行為が行われていた。アメリカ軍はこれを意図的に放置。博物館やモスクから重要文化財が持ち去られていく様子を無視した。

クラインは文化や伝統、歴史、宗教など人々の民族的アイデンティティを白紙状態にしようとしたと分析している。

その上でブッシュ大統領はイラクに国防総省傘下の連合国暫定当局(CPA)を設立。新たなルールでの統治を進めた。

CPA代表に任命されたのは9.11直後にテロ対策のコンサルティング会社を立ち上げたポール・ブレマー。ブレマーはフリードマン理論に沿って徹底的にイラクの経済改革を行う。
・国営企業200社を即座に民営化
・貿易を自由化
外資に搾取され尽くしたイラクは昏迷状態に陥り、反対勢力との間で泥沼の戦闘状態に入った。
クラインは、CPAがイラク国内の復興や治安維持に力をいれず、経済面の政策だけに偏っていたことを指摘する。

イラク復興の壊滅的失敗は、最も破壊的なしっぺ返し・・・・すなわち、イスラム原理主義の台頭と宗派対立の激化を招く直接的原因の一つとなった。占領当局が治安維持などの最も基本的な業務すら遂行できないことが明らかになると、その空白を埋めたのはモスクや各地の民兵組織だった。

イラクで試された戦争と再建の民営化モデルはその後ビジネスへと変化していく。

アメリカ主導による攻撃を受ける可能性のある国を想定。アメリカ政府はその国の復興計画を民間業者に発注すると発表。まだ破壊されてもない国の復興計画を企業に作らせ、しかも政府が公的資金で契約するという新たなモデル経済が誕生した。

=堤=

占領したところでもビジネスにする。復興のところもビジネスにする。全部ビジネスなんですね。例えば占領のところというのは今までだったらIMFとか世界銀行とかいくつかの国が交渉に当たるとか、交渉のステージが必ずあるわけですね。そのステップをすっ飛ばす。全部民間にビジネスとして発注します。爆撃・占領・復興って誰が決めたのか?アメリカの財務省。アメリカのアメリカによるアメリカのためのビジネスということで非常にスピーディーにやってしまった。破壊して復興するっていうのが先物商品になってしまって、復興計画を先に作っておいて、国の予算で発注しますよね。するとあとは破壊を待つだけですよね。

=伊集院=

安易な考えだと、経済的が復興すると豊かになるんだから、それでいろんなところも全部復興するんだろうって、雑にぼくは考えていたけれども、そこに強烈な貧富の差みたいなものももたらされていくとなると・・・家族を失って行き場がない子どもだとか・・・もう元に戻らないですよね。

=堤=

そうなんですよ。商品になってしまったということは、復興のウエートは結構低いんですね。なぜこのとき新植民地主義って言葉が生まれたかって言うと、現地の人はそこに参加してないんですよ。イラクの政府だったりイラクの公務員だったり国内企業の社長さんだったり被災者だったりそういう人たちの声は一切蚊帳の外なので。

じゃあ誰が入ってきたかと言うと、アメリカのファストフードの最も有名なチェーン店が入ったりイギリスの石油会社が投資してきたり、イラクという白紙になったところが、まるで新興株と言わんばかりにみんな入ってきて草刈り場になった。

もう一つは、アメリカの納税者。

莫大なイラク復興の予算が国会で承認されてそっちに流れた。その分社会保障が減らされます。だからアメリカの国内はますます貧困大国化する。だからこのとき間違ってはいけないのはアメリカが加害者でイラクが被害者ということではないんですね。アメリカ国内でも市民が被害者になっている。


王様に捧ぐ薬指 2023年6月21日(水)

毎週火曜日の夜に楽しみにしていたドラマが、昨夜で終わりました。
「王様に捧ぐ薬指」
です。
全く見る気なんてなかったのに、その時たまたまテレビがついていて、うっかり見てしまったら、すっかり夢中になっていました。
ストーリーは
「契約結婚という形で愛のない結婚をした大金持ちの男と大家族大貧乏な女が、結局本当に愛し合うようになってめでたしめでたし」
見始めたときからこうなることはわかり切っているドラマです。
結末に至るまで、結構大変な問題や、とんでもない策略をめぐらす人物など出てくるのですが、どれもそれほどちゃんと解決されないままのハッピーエンドです。
でも、そんな事どうでもいい!
主人公の二人 橋本環奈、山田涼介(Hey! Say! JUMPの一人) がとにかくかわいい、美しい!!!この二人をずっと見ていたい!そんな気持ちになります。
橋本環奈、山田涼介あってのドラマ。
まるでマンガから抜け出して来たみたい・・・っていうか、原作はマンガです。マンガを見ていないのですが、ひょっとするとマンガよりこの二人のほうが可愛いんじゃないかと思ったり。
おそらく見逃し配信とかされてるんじゃないかな?
ぜひご覧ください。






100歳体操 2023年6月20日(火)

「100歳体操」という町内会のサークル(?)に参加してきました。
参加理由はいたって利己的。
「Sing幾多郎」とコンサートの営業活動です。いくら私のメンタルが強いとは言え、Sing幾多郎の参加者がこんなに少なく、コンサートご来場者が一桁なのをいつまでも放っておいてはいけないのではないかと反省したからです。
でも具体的な行動は思い浮かびません。
ところが突然目に浮かんだのです。いつものSing幾多郎の会場に貼られている
「100歳体操 火曜日13:30~ どなたでも参加いただけます 椅子に座ったままのゆっくりとした運動」
のポスターが。
これに顔を出して、チラシを配らせていただこう。

あと数分で始まるというときに会場に着くと、私のSing幾多郎よりはるかに多くの方がお集まりです。全員女性で8人ほど。最年少者は70歳くらいの方かな?そっと顔を出すと、代表者の方が対応してくださって、ご親切なことに
「西野さんという方がちょっと宣伝にいらっしゃいました」
と、開始前にお話の場を与えてくださいました。
お言葉に甘えてひとしきりご紹介をしたあと「ふるさと」を1番だけ、「北国の春」をさわりだけ歌わせていただいて、失礼し・・・ようとしたところ
「せっかくだからいっしょにやっていかれませんか?」
参加しました。
ビデオを見ながらのゆっくりした運動ですが、薄っすらと汗をかき、いつの間にか50分が経過していました。なかなかいい感じです。
この体操、家でもかほく市のYouTubeを見ながらお一人でもできますので、皆さんどうぞ見てみてください。
私は100歳まで生きる予定ですが、これをやれば101歳まで生きる予感がします。

※↓これは②ですが、①から④まであります。「かほく市 100歳体操」とYouTube検索するとで出てきます)

これを検索していると、日本各地に同じような体操があることもわかりました。毎日違う市町村の動画で体操するのも楽しいかもしれません。






通信手段についての愚痴を聞いてください 2023年6月19日(月)

つい先程の事です。
Aさんからレターパック郵便が届きました。
小冊子と直筆お手紙が入っていました。

内容は
「石川県〇〇協会が毎年春に出す小冊子に原稿を書いていただけないか?」
というもの。
喜んで書きます。普通なら。
ところが今回それをお断りすることにしました。
理由は下の通り。

①ご依頼くださったAさんとは、1~2度の面識はあるもののお話したことはない
(あったとしても記憶していない程度)
②Aさんへの連絡手段はお手紙か固定電話
③石川県〇〇協会をネット検索したところ、お問合せ先は固定電話のみ

ここまでで私の気持ちをお察しいただけましたでしょうか?

Aさんにお断りするにしても承諾するにしても連絡は電話か手紙。ろくにお話したこともないのに電話はちょっと・・・すると今回の場合手紙になります。
これが本当に苦痛です。
現在私の連絡手段はライン、メール、SMS、メッセンジャー。

また石川県〇〇協会さんのご依頼を受けた場合、電話でやり取りした上で封書で原稿提出になる可能性大です。そしてもし原稿の訂正などあった時は、いちいちそれが必要になります。そもそも原稿は来年です。このことを来年の春への原稿まで引っ張っておくのは精神的によろしくない気がします。

そこで早速Aさんにお断りのお手紙を出してしまうことにしました。
もちろん手書きではなく、ワードで。
そして今、ポストに入れて帰ってきたところです。

心が狭くせっかちな西野真理の愚痴にお付き合いいただきありがとうございました。




第29回美女コンのお知らせ 2023年6月16日(金)

第29回美女コンまであと1ヶ月になりました。














日時 2023年7月16日(日)13:40~(開場13:30)
会場 石川県かほく市宇野気ト110-1
   本町コミュニティーセンター
入場料 1000円(中学校3年生まで500円)

第29回美女コン開催の7月16日(日)は、合唱団関係のなにかイベントがあるそうで、いつも来てくださる方や、もしかすると来てくださったかもしれない方も、おそらく合唱団に何かしら関係していらっしゃる可能性が高く、お客様のご来場が危機的な状況です。

しかし、それはそれとして、お客様が仮にお一人でも、その状況を楽しみたいと思っています。

プログラムはいつものようにクラシックからJpopまで、しかもたっぷりのおしゃべり付き。
皆様どうぞお誘い合わせの上おいでくださいませ。

会場への地図

出版社へアタック② 2023年6月15日(木)

先日ご報告しました「出版社へのアタック」ですが
つい先程アタック1社目から 
「・・・・・今後のご活躍を心より祈念申し上げます」
メールをいただきました。

では、次の出版社へアタックします。


保阪正康・最後の講義 より 2023年6月15日(木)

NHK「最後の講義」保阪正康
~日本はなぜあんな愚かな戦争をしたんだろう、愚かさの理由を具体的に見ていく~

「ショック・ドクトリン」の書き起こしをしていた時、録画していた最後にこの番組のCMが入っていたので興味がわき、録画予約をし、今朝それを見終えました。
これも書き起こししようかとも思ったのですが、これはご自分でご覧になるのが良いと思います。保坂さんの感情的にならない話し方など、とてもじゃないですが文章に起こして伝えられるものではないと思ったからです。おそらくNHKのアーカイブに入っている、またはこれから入るか、再放送されるのではないでしょうか。(後で調べると、これがそもそも再放送で、初回は2023年3月9日でした)

そこで、
「この番組の中でなにか一つ」
と言われたら、ということで、保阪正康さんについての説明部分と私がこれぞと思ったその1つを書き起こします。

<保坂正康>
1939年札幌生まれ。(83歳)6人兄弟の長男。終戦の年青函連絡船の中で撃沈されないか死の恐怖に怯えた。読書が好きで物書きを目指し大学卒業後雑誌編集者として多忙な日々を過ごす。
30歳を過ぎ子どもが生まれた時、

「お父さん、日本はどんな国だったの?」と聞かれたときに
「日本はね、悪い国で、色んな国を侵略したんだよ」
それだけ、というのはあんまり。きちんと反省しなければならない。
だがその前に、私達の国がなぜ戦争をし、二十歳を過ぎた青年たちがなぜ南方の名前も知らない島に送られて行って鉄砲担いで死ななければならなかったのか、それでなぜ二十歳を過ぎた青年たちが、南方の輸送船の中で沈められて今なお太平洋の底で屍となって眠っているのか、戦争をした時兵隊たちは何を考えていたのか、指導者たちは何を考えていたのか、とお言う事をきちんと調べる。そして証言を集める。そして、実証主義的に調べていく。上からの演繹的な方法ではなく、下から積み重ねるように史実というものを確定していく。

そういうような方法が大事ではないでしょうか。私はジャーナリズムの世界にいましたからよく学者の方たちと議論しました。証言の重要性に気づいたというのは大学の先生と話をしていても、資料だけなんですね。学問は。資料がなければなかったことになる。つまり私達の国は残念なことに、官僚が戦争に関しては資料を燃やしてしまった。(敗戦前日の閣議決定で陸海軍・外務省組織で重要文書を償却する司令が出された)責任を問われるから。
学者の先年生たちは
「君、そういう、人がどう生きたかとかそういった個人の顔というものを調べて追いかけるっていうのはジャーナリズムの仕事だよ。学問はそうじゃないよ。学問は資料とか歴史の中の法則とか歴史がどう動くかというメカニズムについて科学的に勉強して行くことなんだよ。君、そんなこと言うんなら君がやればいいじゃないか。ジャーナリズムが主体的にやってないじゃないか」
と言われたんです。
行きがかり上
「ぼくがやります」
と言ったんです。
そこでこれに専念するために仕事をやめた。妻も子どももいる中での決断。

<泣くということ>
昭和49年、殆どメディアに会わなかった東條英機の妻から話を聞いた。
 ※色々な方が保坂さんに話をしてくれたが、保坂さんなら話をしてくれたのは、保坂さん
  がどこの組織にも所属していない個人だったかららしい

「戦争だと決まった時、あなたのご主人はどういう気持だったんですか?」
「あまり人には言えないんだけど、宅(東條英機のこと)の隣の部屋に娘と寝てたんですよ。戦争が始まる2日前、隣の部屋で泣き声がする。私はびっくりしてちょっと戸を開けて見た。そしたら東條は布団の上に正座して皇居の方を向いて子どものように泣いてる。私は見てはいけないものを見た気がして、そっと戸を閉めた」

私はそれを聞いた時、東條の心理は、戦争をするということは自分がリーダーで引っ張っていく。もし負けたらどうなるんだとか、天皇はあまり戦いたくないという意志を持ってましたから、その中で戦うとはどういうことなのか悩んで、結局泣くんです。
泣くというのは日本の指導者の最後の手なんです

昭和20年8月14日、戦争が終わる前日の会議でもみんな泣いてますね。私達の国は政治が理性とか理知とかいわゆる合理的精神とかそういうもので分別して行われるべきなのに、それが涙でごまかされていくんです。そういう弱さがあるんだと思うんです。
泣いて、そして泣くという感情で事態と向き合うんです。だから私達の国は戦争というものも感情でしかものを見ない。





西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...