夕飯を食べ終え、だらだらした一時を過ごしていたとき、母から電話がかかりました。息切れしたような声です。「ちょっと来てくれない」。高血圧がひどくなったのかなと思ったら「ソファーから落ちてね、肋骨をやったんじやないかと思うよ」。ずいぶん痛そうです。
すぐに彼の車で母のアパートへ行くと、ソファーの横に母が倒れていました。顔を確認すると血色はよく、命に別状はないようでしたので、改めて倒れたままの母に話しを聞きました。ソファーに立って壁のカレンダーをめくろうとしたときバランスを崩し、床に落ちたようです。
しゃべり方はいたって正常ですし、自分から「救急車を呼ぼう」と言い、お薬手帳の場所など私に指示するしで、これは心配ありません。しかし、痛がる母を私たちは二人では到底運べませんし、病院を見つけることもできませんから、すぐに救急への電話を決断しました。
母のアパートから消防署は目と鼻の先。すぐに救急車は到着しました。が、救急車は受け入れ病院が決まるまで動けないので、10分ほどアパート前に停まっていました。その間母が救急車の中で救急隊員さんからの質問にハキハキ答える姿は、ますます母の健康(?)状態は問題ない(?)と安心させてくれました。
結局、金沢医科大学病院への搬送が決まりました。
金沢医科大学は東京ディズニーランドのネーミングと同じで、金沢ではなくその隣の河北郡にあります。家から10分ほどの場所で、もし入院ということになっても、とても便利です。彼も救急車の後ろからついてきてくれているだろうなと思いながら、私は救急車に同乗していました。間違いなくブログに書くことになるので、車内を撮影したくてたまりませんでしたが、ぐっと押さえました。
流石救急車、あっという間に金沢医科大学病院に到着しました。病院はコロナのためか、ほとんど人影がありません。
小一時間待ったところで看護士さんに呼ばれ、ドクターとの話しになりました。
1 骨に異常はない
2 脳の中にわずかな出血があるが、これから大出血ということがゼロではないので、一応入院して2~3日様子を見させてもらう
1に関してはとてもありがたいと思いました。骨に異常があると体を動かさない時間が長くなり、それで一気に体が衰えるという話しをよく聞くからです。 これなら母が退院してからすぐに歩きなさいと言えます。
2に関しては、脳の僅かな出血は以前にあって、ひょっとしたら今回のことではないかもしれないなと思いました。でも、この事故で再確認できて幸運だったかも知れません。
あと2時間で退職1日目が終わります。
今日は「Sing幾多郎」を始めて、「ぼくはくま」のYouTube動画をアップして、保険証のお金を振り込んで、TV局からオファーがあって、母が救急搬送。そして、これを読み直しているところへ、私の次に津幡中学校に赴任になった新卒の音楽の先生から問い合わせのメール。
本当に記念すべき日になりました。
(病院の廊下にて)
0 件のコメント:
コメントを投稿