NHK 「100分de名著」
カント『純粋理性批判』書き起こし 要約版 2
<第2回 科学の知は、なぜ共有できるのか>
カントによれば、私たちが物事を認識する時、それは3つの判断に分類できるという。
1つ目は「分析判断」
主語の中にもともと含まれているものを述語として取り出した判断のこと。例えば
「富士は山である」
という文章。学術的に誰もが共有できる文章ですが知識は増えない。
2つ目は経験的総合判断
実際に調べることによってあらたな情報を主語に加えた判断で、知識は増えていくが、その反面経験が積み重なることで、で以下が変わり、確実性が担保されないという欠点がある。
3つ目の判断「ア・プリオリな総合判断」
カントによれば、経験に基づかずに新たな情報を主語に付け加えられ、かつ、誰もが信頼できる判断があるという。それが「ア・プリオリな総合判断」。ア・プリオリとは(※a priori先天的)
「先天的で経験を必要とせずどのような状況下でも成り立つこと」。
カントによればこの性質は私たち人間の共通規格から生まれる。
例えば
「2つの点を結ぶ直線は1本しか引けない」
という行為。この行為は経験せずとも誰もが共有でき、しかも主語にない情報を付け加えているのでア・プリオリな総合判断。そしてこの行為は幾何学の土台となりあらゆる知識へと発展していく。
もう一つの代表例が「因果律」
「あらゆる変化には必ず原因があり偶然に物事が生じることは決してない」
という、人類共通に備わった思考パターン。これによって人は自然法則を導き出してきたので、自然科学は共有しうる知識になるとカントは考えた。
カントは自然科学や数学が皆に共有しうる知識である、とその証明に力を注いだ。その最後に
「これらあらゆるものの根本に『私』という存在があり、それがすべての認識をまとめているのだ」
と結論づけている。
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