西田先生 エッセイPART7より

美女エッセイPART7より
 「西田先生」

宇ノ気うのけ町(現在かほく市)で
「西田先生」
というと、
「哲学者・西田幾多郎(きたろう)
をさす。
本当はこんな風に呼び捨てにしてはいけない!
「西田先生」
と言わねばならない。
私のような県外出身者はそのようなことを知らなかったから、正直なところ最初ちょっと引いた。
 

哲学者・西田幾多郎は宇ノ気町出身で、その出身校である宇ノ気小学校の外壁には氏の字で「無」、校門には氏の銅像、体育館には氏の写真が飾られている。銅像に一礼して校門を入るという習慣も過去にはあったらしい。

私のいい加減な知識で書けば、西田幾多郎は確かに宇ノ気町生まれだが、知識を身につけ花開き生涯を送ったのは宇ノ気ではない。が、まあ有名人は大抵
「生まれたらこっちのもの!」
らしく、日本中のあちこちに
「○○出生の地」
みたいな看板の立った家とか石碑があるなあ~なんて思う。この人たちも大抵、その地では活躍していなくて、どこか都会へ出たりして花咲いている。逆に言えばそれくらい
「生まれた」
というのは大切なことともいえるのだろう。
 そんな宇ノ気町だから宇ノ気小学校の生徒には
「寸心読本」
なる、小学生向けの哲学入門書(?・・・西田幾多郎紹介書かな?)が配布され、
「西田先生は偉大だ!」
教育が施されるのだ。
さて、これからが本題。
西田幾多郎と誕生日が同じ息子が小学校1,2年生のとき
「西田先生は偉い」
教育のため、担任の先生に連れられて学級全員で小学校の隣にある西田記念館を訪問したときの話である。
 館内を見た後、館長さんが西田幾多郎の話をしてくださり、最後を
「・・・・・で、西田先生はかまくらでお亡くなりになりました」
と締めくくられた。
 そのとき息子は館長さんに質問した。
「西田先生は凍死したんですか?」
 
 


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