追悼・さくらももこさん 2019年のエッセイより

      これは美女エッセイPART16に掲載した2019年の作品です

平成の終わりに、この人にはお礼を言おっておかねばならない。
さくらももこさん。
まさかこんなに早くお亡くなりになるなんて思っていなかったから、いつかはファンレターを兼ねたお礼状を出そうと思っていたがそれも叶わなかった。
 
~ウィキペディアより~
さくら ももこ(196558 - 2018815日乳がんのため53歳で死去)は、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。
代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。

 
私がエッセイを書こうと思い始めたというか、文章が書けるかもしれないと思ったきっかけは主に以下の2つ。
1つ目は学校で偶然耳にした国語の先生の会話。
「生徒たちはどうして作文が書けないのかしら。あんなに上手におしゃべりするのに。おしゃべりするように書けばいいのに」
おしゃべりを文章にしていいのなら私にも書けるかもしれない。
もう1つがさくらももこさんのエッセイ。
エッセイを書くようになる少し前、さくらももこさんのエッセイが流行り始めた。私は自分が文章を書けないことは棚に上げて、彼女のエッセイを馬鹿にしていた。
「なんかふざけた感じだし、まるで小学生の文章みたい」
 
ところがその身の程知らずの思いを覆される文章と出会う。
実はこう見えても(どう見えているか知らないが)私は権威に弱い。偉い人や有名人の言葉を割と簡単に信じてしまう。今の所、ツボや数珠を買わされていなくて幸いである。
その時の権威は朝日新聞の読書欄で、詳しい内容は忘れたが、その独特の文章を絶賛していた。
実はさくらさんのエッセイを馬鹿にしつつも
「読みやすい」「おもしろい」
ことには気づいており、しかし
「こんな文章を『すばらしい』なんて言うと、レベルの低い人と思われそうで恥ずかしい」
というネジ曲がった考えで固まっていた私は、この
「朝日新聞という権威がさくらももこ作品を絶賛している」
ことにすっかり安心し、コロッと改心してしまった。
 
改心し、安心してさくらさんの本を読み始めると
・誰もが読みやすい文章を書くことの素晴らしさ
・正直に書くことの楽しさ
・正直に書くことはなにより人の心を捉える
ことに気付かされ、さらに
・難しい言葉を知らないなら、やさしい言葉で書けばいい。学校で使う文章もそれでいい。
・書くことで頭の整理ができる
・書くことは何より自分自身のストレス解消になる
という副産物を得ることも出来た。
 
さくらももこさんが亡くなった後、いくつかの追悼番組を見たが、その中の一つ、NHK10分ほどの番組
「あの人に会いたい」
の中で、彼女の高校時代のことが紹介されていた。
高校の試験で書いた作文に95点がつけられ、評価欄に先生から
「高校生が書いたとは思えないエッセイ調の文体が素晴らしい。まるで清少納言が現代に来て書いたのかと思うような作文でした。作者の成長が楽しみです」
それがきっかけでさくらさんはエッセイを漫画に出来ないかと閃き、その後の人生が開けたという。
彼女の素晴らしさはもちろんだが、そこで私が注目するのは、その評価をお書きになった先生。
作文採点業務の大変さは同じ教員としてよくわかる。多くの作文を短時間で採点しなければならないのに、彼女の作文をきちんと評価し、素晴らしい評価文を添えられたことで、一人の人間の運命を変え、その変えられた一人の作品がその後さらに多くの人たちを楽しませた。私がエッセイを書くようになったということも、運命が変わったことの一つと言っていいだろう。
 
さくらももこさんに直接お礼を言うことは出来なかったけれど、私も残り3年の教員生活で、誰かの人生をプラス方向へ変えられるような授業ができたら、それがさくらさんへのせめてものお礼ということにさせていただこう。

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