石原 慎太郞(いしはら しんたろう、1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日[3])は、日本の作家、政治家。
参議院議員(1期)、環境庁長官(福田赳夫内閣)、運輸大臣(竹下内閣)、東京都知事(第14代 - 17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任。
一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった[4]。
1968年に参議院議員となり、政治家に転ずる。福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年に竹下内閣で運輸大臣を歴任。1995年議員辞職。
1999年東京都知事選挙に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康・柿澤弘治といった有力候補を抑え初当選する。2003年東京都知事選挙、2007年東京都知事選挙、2011年東京都知事選挙で再選し4選した。石原都政では新銀行東京、首都大学東京の設立、外形標準課税の導入、ディーゼル車排ガス規制など議論を呼ぶ政策を実施した。2012年、後継に猪瀬直樹副知事を指名し、次期衆議院選挙に出馬するため東京都知事を辞職。同年の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会の候補として比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰。その後同党の分裂と次世代の党の結党に参加。2014年の第47回衆議院議員総選挙では党の熱意により落選覚悟で出馬、落選の確定を受けて政界引退。
趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃[5]。実弟は俳優の石原裕次郎。長男は自由民主党元衆議院議員の石原伸晃。次男は俳優・タレント・気象予報士の石原良純。三男は自由民主党衆議院議員の石原宏高。四男は画家の石原延啓。
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