石原慎太郎 2022年2月2日

石原慎太郎さんが亡くなりました。
本を読んだこともなければファンでもなければ関心があったわけでもないのに、こうして名前が出れば「あっ!」と思う人というのは、間違いなく「スター」だと思います。

それにしても
・小説を書いて
・国会議員をやって
・東京都知事をやって
・石原裕次郎のお兄さんで
・息子たちも有名人で
・容姿に恵まれて

揃う人には揃うのだと改めて思った訃報でした。

~Wikipediaより~

石原 慎太郞(いしはら しんたろう、1932年昭和7年〉9月30日 - 2022年令和4年〉2月1日[3])は、日本作家政治家

参議院議員(1期)、環境庁長官福田赳夫内閣)、運輸大臣竹下内閣)、東京都知事(第14代 - 17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任。

三島由紀夫と。奥にいるのが石原。1956年千代田区紀尾井町文春ビルにて

一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった[4]

1968年に参議院議員となり、政治家に転ずる。福田赳夫内閣環境庁長官を、1987年竹下内閣運輸大臣を歴任。1995年議員辞職。

1999年東京都知事選挙に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、舛添要一鳩山邦夫明石康柿澤弘治といった有力候補を抑え初当選する。2003年東京都知事選挙2007年東京都知事選挙2011年東京都知事選挙で再選し4選した。石原都政では新銀行東京首都大学東京の設立、外形標準課税の導入、ディーゼル車排ガス規制など議論を呼ぶ政策を実施した。2012年、後継に猪瀬直樹副知事を指名し、次期衆議院選挙に出馬するため東京都知事を辞職。同年の第46回衆議院議員総選挙日本維新の会の候補として比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰。その後同党の分裂と次世代の党の結党に参加。2014年第47回衆議院議員総選挙では党の熱意により落選覚悟で出馬、落選の確定を受けて政界引退。

趣味サッカーヨットテニススキューバダイビング射撃[5]。実弟は俳優の石原裕次郎。長男は自由民主党元衆議院議員の石原伸晃。次男は俳優・タレント・気象予報士の石原良純。三男は自由民主党衆議院議員の石原宏高。四男は画家の石原延啓

0 件のコメント:

西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...