李登輝さんin西田幾多郎記念哲学館 2004年12月30日の作品

 時々過去のエッセイをこちらでご紹介することにします。

その初回は李登輝さん(2020年7月20日にご逝去)
美女エッセイPART6に収録したものです。

<情報>
2004年も押し詰まった12月30日、我が家から車で2分の西田幾
多郎記念哲学館に台湾の前総帥、李登輝さんがやってくるとの情報を私は
前日のニュースで知った。
掃除も、おせち料理作りもせずダラダラと過ごしてきた年末。さすがに
30日くらい何かしようと思っていた矢先の情報に、私は年末大掃除の免
罪符を発効されたような気持ちになってしまった。
「会いに行かなくては!」
 
<理由>
そう思うからには何か特別な思い入れがあるのかと思われるかもしれな
いが、そうではない。早い話が野次馬根性である。
「有名人に会いたい」
それだけ・・・いや、こう書いてはあまりに失礼だ。ちょっとくらい理由はある。
  一昨年の台湾演奏旅行で台湾の親日性を知り、すっかり台湾ファンになっている。
  李登輝さんのことを書いた本を少しだけ読み、やはり彼が親日家だと知り、その方がこのかほく市にいらっしゃるのに誰も歓迎に行かなかったら、「それは失礼でしょ」という公徳心(?)
 
<計画その1>
その日は朝から雪。気温も相当に低い。
ニュースの
「李登輝さんは宿泊先の和倉温泉から金沢に向かう途中で西田幾多郎記念哲学館に立ち寄り見学」
という情報から、
「旅館をお出になるのが9時半から10時。10時半に行っていれば確実にお会いできるだろう」
と考え、念入りなメイクアップを施し防寒対策万全で記念館に到着した。
 
<休館日>
 記念館の駐車場につくと、なんと
「本日は休館日です」
の張り紙。
「えー!」
とがっかりしたが、5~6人の男性が動き回り、館の中にも人影が見え
たので、とにかく車を停め入り口まで行ってみた。
すると、こちらが何か言うまでもなく、入り口近くに立っていた男性
から
「歓迎の方ですか?」
と声をかけられ、
「こちらへどうぞ」
と二重玄関の内側に入れてもらうことができた。
 
<李登輝さんの事情>
政治的なことに大変疎い私にろくな説明はできないが、新聞によると
とっても偉い人だがさまざまな理由から
 (1)記者会見しない
(2)講演しない
(3)政治家と会わない
という条件で、来日が承認されたらしい。あくまでも私人としての来日だそうだ。
 
<歓迎の一般人>
玄関で待つ一般人は予想を大幅に下回り、わたしを含めてたった7人。
周りにたくさん人がいると思ったが、それは私服警官と、報道関係者。
一般人を私の見たままに紹介すると
  お母さんと小学校3年生のおりこうそうな息子
この男の子、本当におりこうに、極寒の中静かに待っていた。
  鈴木大拙大好きおじさん
待っている間大変暇なので、私に鈴木大拙のことを話してくれた。が、覚えていない。
  政治ご意見番おばさん
この人もよく新聞読んでるって感じで、中国と台湾の関係や、土井たか子さんの発言など、いろいろ教えてくれた。が、覚えていない。
  元、宇ノ気町の教育長さん。今、何をなさっているかは知らない。
  背の高いおじさん。
 
正直なところ、
「きっと、邪険にされるだろうな~」
と思っていたら、逆に報道の人は排除された場面でも、私たちはその場いさせてもらえたり、写真を撮らせてもらったり、結構関係者は親切だった。
 
<私服警官>
 みんなカッコいい。そういう人を集めたのだろうか。でも、眼光は鋭く、ちょっと動いただけでキッと睨まれる。(睨んでいるつもりはないと思うがそう見える)
しかし、よく観察してみると、カッコいい人は「剣道系(?)」って感じで玄関付近に配置されており、体温の高そうな「柔道系(?)」って感じの人は、雪の降りしきる駐車場や、玄関上のバルコニーに配置されていた。
 
<報道関係者>
おそらくずっとついてまわっていると思われる報道関係者は、なんと台湾からも!確認できた範囲で書き上げてみると
 ~多分台湾の放送局~
民視  華視 中天 東森 三立 TVBS CT
~日本の報道~
 NHK 共同通信 読売新聞 日本テレビ 朝日新聞 中日新聞
 北国新聞 週刊新潮 HAB MRO
台湾からやってきた報道関係者、寒かっただろうなあ~。


 
<来館>
10時半から玄関に立ち続け、やっと来られた時には11時半を回っていた。目の前を3秒で通り過ぎられ、あれれ・・・
 
<計画その2>
この私が、このチャンスに何もせず、寒い中たち続けるはずもなく、当然、歌おうと思ってきているわけだ。しかし、私服警官がぞろぞろする中、
今回ばかりは「突撃」は無理だろうと考え、中でも偉そうな人にお伺いを立てた。
「特別な場はいりませんから、通り過ぎられるときに歌わせていただけませんでしょうか?」
即座に却下された。
 
<ふるさと>
さらに待ち続けること一時間半。(ここで昼食をとられたため)この根気のない私が、極寒の中、姿勢正しく立ち続けたことなど過去にあっただろうか。この日は本当に寒く、次第に足先の感覚がなくなり、腰も痛くなってきた。
午後1時を回ったとき、あたりがあわただしくなってきた。そろそろお帰りになるらしい。
待っていた7人の一般市民のうち、4人は来館されたのを見届けて帰ってしまい、私を含めて3人だけがさらに待ち続けていた。奥から出てこられたのを見て私は他の二人(②、③の人)に言った。
「あの~・・・『ふるさと』とか歌ってお見送りしませんか?」
「いいわね~」
二人ともそういってくれたが、写真も撮りたいし、どうしようかと思っているうちにいよいよ私たちの前へ。この時、報道陣は少し遠ざけられていて、3人はまたとない好条件で李さんをお送りできることになっていた。 私の場所まであと2メートルの時点で撮った写真が↓。


 
李さんがまさに私の前にいらしたとき、私は歌おうとしたのだが、その前になんと、李さんのほうから私に手を出し握手をしてくださったのだ!
そのことに驚いた私は不覚にも歌うのが一瞬遅れてしまったが、手を離した瞬間、私は「ふるさと」を歌い始めた。
すると、ちょうどそのとき前に来られたのが、李さんの奥様。彼女も日本語がペラペラで、私と一緒にふるさとを歌ってくださり、続いてほかの見送りの二人も歌い始め、最後に私たちの前を通られた、李さんの身内の方と思われる方もすばらしい声で歌いながら通っていかれた。
同じく握手してもらったほかの二人は、大変感動して涙ぐんでいた。
 
<終わりに>
ただの野次馬根性の数時間だったが、周りの物々しい様子や、一緒に見送った二人の様子から、ただ者ではない人に会ったらしいということを今になって感じ始めている。
家に帰った私は感覚のなくなった足を暖かいシャワーで暖めたあと、ソファーで熟睡してしまった。暮れの大掃除もせず・・・・


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