善の研究 完全版4 2021年10月29日

 いよいよ最後です。陽子ちゃんが「読みたい」と言ってくださったおかげで、ほぼ誰の目に触れることもないはずだった私の自己満足書き起こしがこうして全世界に流れることになりました(笑)それではどうぞお楽しみください。

 

NHK 100分で名著 

西田幾多郎・著「善の研究」書き起こし

4回 「生」と「死」を超えて 

解説 批評家:若松英輔

 

<ついに最終回>

4回全部書き起こそう」

と決めたので、やります。

これをしている今は、20191029日朝315

めったに残業などしない私が、珍しく遅くまで学校にいて帰ってき、朝までぐっすり眠るはずだったのに何故か目が覚めてしまったので、これは西田先生からお呼びがかかったと思い、書き起こしに取り掛かりました。

でもきっと途中で寝ます。(2ページ書き起こして寝ました)

 

<第4回 生きることとの戦い>

「善の研究」の刊行後も西田はさらに自らの哲学を発展させていく。

そしてたどり着いたのが

「人間は矛盾的存在である」

という考え方。ここから「生と死」「善と悪」など、矛盾し対立するものを乗り越える

「絶対矛盾的自己同一」

という思想が生まれる。

 

「人は人 吾は吾也 とにかくに 吾がゆく道を吾はゆくなり」

悪戦苦闘の思索の末に西田が到達した境地を読み解いていく。

 

司会者

後ろから読んできました「善の研究」も前回で終わりましたが、いかがでしたか。

 

伊集院

難解な本だったのは間違いないんですけど、自分の中に刺さったことがいくつかあって、例えば「自分は今純粋な経験みたいなことに対してきちんと敬意を払えているかどうか」みたいなことは考えるようになりました。

 

司会者

今回は何を教えていただけるんですか?

 

若松

今日は彼の生涯の中で哲学がどう深まっていたのかということを皆さんと考えていきたい。

 

「善の研究」の発表から2年。大正デモクラシーの時代が到来した。西田は京都帝国大学の助教授に就任(明治43年・1910年)。18年にわたって三木清など多くの哲学者を育てていきます。やがてその哲学は自己を主体としてではなく、場所と捉える独自の哲学へと発展していく。

一方大正7年から相次ぐ不幸が再び西田を襲う。母親の死、そして支え続けてくれた妻が脳出血で倒れる。翌年にはまだ22才の若さで長男が亡くなり346女も病に倒れ、、必死の看病も虚しく妻は亡くなる。

 

「しみじみとこの人生を厭(いと)ひけり けふ此頃の冬の日のごと」

 

「存在し、生きることそのものが悲哀である」

というこの人生観は、やがて

「自己存在の矛盾性」

という思想へ西田を導いた。

そして昭和14年、論文「絶対矛盾的自己同一」を発表する。

 

(~続き 書き起こし 114日振替休日~)

 

「現実の世界は何処までも多の一(いつ)でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾自己同一というのである。」       (「絶対矛盾的自己同一」)

 

異なるものが異なるままで一つになる、それがこの世界の姿である。西田は絶対矛盾的自己同一を自らの哲学の集大成とした。

 

伊集院

すごい人生ですね。それが逆に(この番組の)3回目までに習った「大いなるなにか」みたいなこと、この人に哲学をさせる何かを感じますね。

 

若松

そうだと思うんです。哲学をしたくてしたというのでは終わらない何かが西田の生涯にはあるんだと思うんですね。何者かに哲学することを強いられてるようなところがあると思うんですね。

 

伊集院

「善の研究」をまとめた境地なくしては乗り越えられないような出来事の数々ですよね。

 

若松

そうなんです。西田は「哲学の原点というのは『悲哀』である」というわけです。悲哀というのは西田にとって言葉にならないなにか。言い尽くすことができない何かということなんですね。

伊集院

8人のお子さんの内5人亡くなって、奥様も亡くなって、それこそ「悲しい」なんて言葉では言い表せない何かがずっと続くんですね。

 

若松

そういう個人の悲しみが、私達と西田の出会いの場になっているということなんですね。ですので、言い尽くせないという一方で、他者と深く交わる契機でもあるということは、私達は覚えておきたい。ですので、私達の悲しみや苦しみも、自分の中では終わらないと思うんですね。それはもう少しだけ深めることができれば、そこで、他の人と出会っっていけるんだ、ということはとても励みになるんじゃないかと思うんです。

 

司会者

そんな中生み出されたのが、こちらの論理でしたね。

 


   絶対矛盾的自己同一=異なるものが異なるままで一つになること

 

これは西田哲学の代名詞とも言われるほど有名な言葉なんですけど、これはどういうことですか?

 

若松

たしかに一つになることという言い方もできるんですが、もう一つ

「ひとつあること」という言い方もできますね。

私達は色んなものを二つに分けがちですね。典型的なのは善と悪。私達は「これが善でこれが悪」と簡単に分けるんですけど、少し考え始めるとそう簡単には言えないなと。僕から見たら善でも、ある人から見たら真逆になるかもしれない。ですので西田だは絶対矛盾的自己同一というのはそういうものがわからない状態というのが本当なんじゃないかということを私達に教えてくれてるんです。

伊集院

確かに「異なるものが異なるままに」というのはキーワードですね。

 

若松

私達は実はそうですね。人間対人間の関係も実はそうで、「私は私のまま、あなたはあなたのまま」でも、どこかでつながってる。

 

司会者

こんな文章もありましたね。

「現実の世界は何処までも多の一(いつ)でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾自己同一というのである。」       (「絶対矛盾的自己同一」)

 

これどういうことでしょうか?

 

若松

「多の一」と「絶対矛盾的自己同一」とは同じこと。同じことを西田は繰り返している。繰り返して深めている。「多の一」という時私達は、「何を一にするか」がまず問題になってくる。

まず「大いなるもの」があるとします。「大いなるもの」を「一」とするなら「多」は我々です。それと深くつながっている。不可分の関係にある。万物は不可分の関係にある。

ちょっと見方を変えてみると「一」を自分とするならば「多」はみんなだ。自分以外のもの、それと深くつながっているんだ。分けて考えることはできない。違うわけですね。絶対的矛盾なんですけど、離すことはできないんだ、ということなんです。

 

伊集院

自分と他人って対義語に近いと思うんですけど、そうじゃない?

若松

仏教の言葉で「多即一(たそくいつ)」というのがあるんです。「の」というより「即」という方がわかりやすい。そのまま。「多はそのまま一である」ということなんです。「私はそのまま人とつながっているのだ」という考え方なんです。

 

伊集院

具体的に言うとどういうことですか?

 

若松

私達は「個」の人間でありながら「人類の一部」でもある。私達も人類。

 

伊集院

これをなぜ西田は思いついたんですか?

 

若松

愛するものとの別れですね。彼にとって哲学が大変重要だったのは

「自分の大事な人が死んだらそれで終わりなんだろうか」

ということを考え始めていくわけです。そうじゃないんじゃないだろうか。死は終わりではなくてもう一つの生の始まりなんじゃないだろうか。「死は即ち生なのではないだろうか」これが絶対矛盾的自己同一。

生と死がぱっと分かれれば矛盾なんかないわけです。でも西田の実感はある矛盾をはらんだ姿が人生やこの世界の実在、本当の姿じゃないだろうか、というのが西田の深い経験の中にあるわけです。

 

過去と未来との矛盾的自己同一的現在として、世界が自己自身を形成するという時、我々は何処までも絶対矛盾的自己同一として我々の生死を問うものに対する即ち唯一なる世界に対するのである。我々が個物的なればなるほど爾(しか)言うことができる。而して斯くなればなるほど逆に我々は自己矛盾的に世界と一つになるということができる」

(絶対矛盾的自己同一)

 

現在には過去や未来が同時に存在している。人間の生死を問題とするとき、過去・現在・未来の矛盾的関係を超えた世界が現れる、と西田は考えた。

 

伊集院

大事な所に来てる気がする。

 

若松

過去と未来との矛盾的自己同一的現在 ですけど、私達は現在にあるとき過去につながっているのはわかりますよね。ただ、未来ともつながってる。未来とつながってなければ前に行かないんですよ。未来からのは働きかけ、そして過去からの働きかけというのがあって現在がある。現在だけが単独で存在してるんじゃない、というのはわかりますね。それが私達の矛盾的自己同一的現在。現在とは単独で存在してるんじゃない、様々なものとのつながりの中で、様々な働きの中で存在してる、ということなんです。

 

伊集院

最後のその即ち唯一なる世界 が、まとめとして難しんですけど。

 

司会者

西田は「即ち唯一なる世界=永遠の今」と呼びました。これはどういうことでしょうか?

 

若松

永遠の今と言うと、えっ?と思うんですけど、まさに矛盾的自己同一ですね。今というのは過ぎ去りますね、永遠は過ぎ去らない。私達が今と読んでるものは深く永遠とつながっているんだ。私達のいる時間というものは永遠の今、すなわち絶対矛盾的自己同一的に存在してるんじゃないだろうか。人間の生死を考える時、そう考えざるを得ないと西田は考えるようになっていった。

 

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。そのっ後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向かって一回転をなしたと言えばそれで私の伝記は尽きるのである」

                   (「或る教授の退職の辞」より)

 

退官(58歳)後、鎌倉で暮らすようになった西田。重いリューマチを患いながらも筆を置くことはなかった。

時代は昭和に入り日本は戦争へと突入していく。

日中戦争勃発(1937年)の翌年、西田は講演でこの様に語っている。

 

「この歴史的現実の世界は、論理的には多と一との矛盾的自己同一と云うべきものでなければならない。世界とは無数なる物の集合と考えられる。無数なる物の合成として決定せられた一つの形と考えられる。併(しか)し現実の世界と云うのは何処までも物と物とが相働く世界でなければならない。ここでは一は多の一であり多は一の多である。多と一の矛盾的自己同一として現実の世界が考えられる所以はここにある」

                      (「日本文化の問題」)

 

世界と己を分けるのではなく、対立や矛盾を乗り越えて一体化しようとい

う西田哲学は、当時の軍部によって政治的に利用されていく。

 

若松

時代に迷うというのはそういうことなのかなと思うんですけど、否定し続

けたものが、悪しき利用の中に飲み込まれていくというのが歴史の悲劇で

もあるんです。

伊集院

「多の一」のような考え方をする時、一を自分にするのか一を国にするの

かでとり方が全く変わってきますね。「の」をどうとるのかでも。全く曲げ

られるわけですね

 

若松

おっしゃるとおりですね。国が「一」多が「人民」だとすると、それは国

のためなんだという言い方もできる。「一」を個、「多」を国にしてみると、それは「国のために自分が犠牲になる」ということになりかねない。でもそこにあるものは何かというと、「即」というより「」。似て非なるものなんです。「即」というのは分かちがたく結ばれている。吾が事として考えていくということ。でもそこには政治による、力による服従みたいなものがあった。それが故に西田の哲学はある時期には大変批判されるんです。

 

伊集院

せっかくみんなのものにできるように多様性があるように書かれているのに、それを傾けていくと「国のために死ぬ」みたいにできちゃうんですね。

 

若松

そうなんです。そこが言葉の危うさ。やっぱり「言葉」っていうのは「力」なんです。力なので力の用い方を間違うと大変なことになる。それは今の時代も変わらない。私達は言葉をもう少し慎重に考えていくってことも我々は西田の哲学から学べることじゃないかと思う。

 

伊集院

(今は)危ない時代ですよ。SNSは文字制限があるし、ネットニュースの見出しなんて、雑なら雑なほどみんな見るっていう時代だからちょっと怖いですね。

 

昭和20年、米軍による連日の空襲下で西田は最後の力を振り絞って論文を執筆していました。

 

「もう老い先も短き事ゆえ、ヘーゲルがイェーナでナポレオンの砲弾を聞きつつ弁証学を書いたというつもりで、毎日決死の覚悟を持って書いています」

 

やがてくるこの国の大転換を見据え自身の最後の仕事として「宗教論」に

取り組んだ。そして、戦争が終わるのを待たずに亡くなる。

昭和2067日(75歳)。

遺書のように最終論文「場所的論理と宗教的世界観」が残されていた。

 

すべてのものは変じ行く、移り行く何物も永遠なるものはない。我々の自

己は絶対の自己否定において自己を有(も)つ。自己自身の死を知る所に自己自身であり、永遠に死すべく生まれるのである。人はしばしば大なる生命に生きるために死ぬるという、死んで生きるという。しかし死んだものは永遠の無に入ったものである。一度死んだものは永遠に生きない。個は繰り返さない、人格は二つない。もし爾考え得るものならば、それは最初から生きたものではないのである。外的に考えられた生命である。生物的生命である。然らざれば、自己自身の人格的生命を単に理性的に考えているのである。(「場所的論理と宗教的世界観」)

 

「人間は死を経てなお、大いなる生命に生きる存在でもある」それを西田は「人格的生命」とよんだ。その人格的生命を思惟することで真の自己に出会える、その西田の哲学は30代で書かれた「善の研究」とも通じるもだった。

 

伊集院

すごく響いているが難しい。

司会者

まずここです。絶対の自己否定において自己を有つ これはどういうことなんでしょうか?

 

若松

否定という言葉を「自己を握りつぶす」と考えるのではなくて、わたしが思っている私よりもっと大きな私がありそうだ。大きな私が開花していくのが善なんだ。否定すると言うより、「手放す」という感じ。小さな自分を手放すことによって本当の自分を持つ。

 

伊集院

絶対的自己にすぐ到達できるんじゃない、とおっしゃってると思うんです。

 

若松

到達できなくても存在している。そこが大事なんだと思うんです。西田の哲学を読んでいて力づけられるのは、私達は安心して悲しんだり、安心して苦しんだりすることが人生に許されていると思うことがあります。それは本当の自分というものが我々の気づかないところにあるからです。人とつながっている、自分は孤立して生きていない、人とのつながりの中で生きている自分というものが、自分の気づかないところで自分を支えている。

 

私達は永遠に生きないんじゃなくて、永遠の世界に生きているんだということを西田は言いたい。私達が人は死んだら永遠に生きていない、という風に考えているが、その人が考えているのは「生物的生命」。肉体と結びついている生物的生命。しかし、「人格的生命」というのは永遠だ。それは私達の死を乗り越えてなお存在し続けるなにかなのではないか。人間は死んでもなお他者の中のなにかであり続けるようななにか、それが人格的生命と西田は言っている。

 

伊集院

論文なんだけど泣けちゃう。

 

若松

もし西田の言いたいことを一言で言うとなんですかと私が聞かれたら

「いのちの哲学」

と言います。命とはなにかということを教えてくれている哲学。

私達は命をないがしろにしがちなんですよね。様々なところで。そんな時代に西田の言葉を読み返す意味はとても大きいんじゃないかと思います。

 

伊集院

表面的な難しさにへこたれますけど、こうやって読み解いてもらったおかげでちょっとは自分のものになったかなという気がします。

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