神津カンナさんに会う!(美女エッセイPART13 より)2015年の作品

 これは美女エッセイPART13 2015年の作品です

神津カンナさんに会う!

4回竹多文学賞

コンクールを卒業してから「敗退」とは縁遠くなっていたが、ある日「発見」した「第4回竹多文学賞」にエッセイを応募してみたところ見事に敗退。出品作は、明石康さんのパーティーで歌ったあの「史上最高の突撃ボランティア」。

応募の動機は2つ。

1つ目は、ひょっとしたら優勝して30万円もらえるかもしれない。

2つ目は、審査員の神津カンナさんに会えるかもしれない。

1つ目はもちろん×。

2つ目は○!

 <お知らせ>

10月初旬に届いたお知らせの本来の目的は

「あなたは落選しましたよ」

の通知だが、その下のほうに

1119日に表彰式の後で講演会と懇親会があるから、落ちた人も来ていいよ」

という内容が丁寧に書いてあったので行くことにした。

場所は「しいのき迎賓館」。

まだ足を踏み入れたことはないが、旧石川県庁を改築した素敵な会場である。一度行ってみたかったんだ!

しいのき迎賓館は

表(大通り側)から見ると上の画像・・・もとの県庁の感じをそのまま保存

裏(これ、裏かな~、両面表ってことにしよう)から見ると下の画像・・・ガラス張り



<竹多文学賞とは>

よく知らないで出した「竹多文学賞」だが、これを書くために、改めてよく調べてみると次のように書いてあった。

石川県教育文化財団では、竹多為治の遺志を継いで創設した「竹多文学賞」を開催、小説、随筆、児童文学作品を募集。応募資格は石川県内在住者および石川県に縁のある人。

ついでに「竹多為治」でネット検索してみたが、1902年にお生まれになり1980年に他界された実業家であること以外、何も見つからなかったが、その後いただいた本によると、竹多為治さんは

石川県美川町生まれ。撚糸業で成功したがその後撤退し、伊豆開発に。財産のほとんどを石川県や美川町のために生かして生涯を終えた。

立派な方である。

 <参加準備>

・名刺

・美女エッセイPART12

 <道徳副読本のカンナさん>

懇親会前に行われる講演も私は楽しみだった。なぜなら、今までに道徳の副読本で読んだカンナさんの文章「木箱の中の鉛筆たち」が、私の中では副読本のお話第1位だからである。お話もお上手に違いない。感性もきっと私と合っているはず。


ちょっと(相当)人(副読本)の悪口になるがお許しいただきたい。

学校で使っている道徳の副読本だが、内容が悪いというわけではないが、道徳って、目指す価値観は最初からわかっている。

「強い意志を持とう」「挨拶をしよう」「人に親切に」etc.

これらを長々と文章にされてもねえ~という感じは、教える側にも教えられる側にも見え見え。文章を読む意味が感じられないものがほとんど。あらすじを伝えればそれでよかったり、そもそも文章が良くなかったり。

例えば

「明かりの下の燭台」

という題名のお話。大口たたけば、私はこの題名だけで授業ができる。

しかし、カンナさんの書かれた文章は違った。最後まで読む価値がある。

「木箱の中の鉛筆たち」の内容を簡単に書くと…

カンナさんが、物書きとして生きていくかどうか悩んでいた時、作曲家である父:神津善行さんに「なぜ音楽の道を志したのか?」とお聞きになったその内容。

お父さんは昔、学校の先生に音楽の才能があると言われ、その気になって音楽の道を進んだ。大人になって同窓会でその先生に会ってそのことを話すと、「戦争中だから、体の丈夫そうな子を選んだだけだった」と真相を告げられ、そこから本気になって勉強を始めた。

 あらすじを書くとたいしたことなく感じられるかもしれないが、短いけれども読みがいのある素晴らしい文章。中学生の道徳の教材としてもぴったりだし、それでいて、大人にも十分読みごたえがある。

 <カンナさんの講演から>

お知らせに従って、14時からの講演会に間に合うように10分前には到着したはずだが、表彰式が早く終わったらしく講演会はすでに始まっていた。

カンナさんの講演はとても楽しく、興味深いものだったが、この内容、カンナさんはまだ文章にしていらっしゃらないようなので、

「私が自分のエッセイに書いていいですか?」

とお聞きしたところ、

「どうぞ!」

ということだったので、書きます。

 

・将棋の羽生名人からカンナさんがお聞きになったお話

 将棋もチェスもインドのチャトランガがもとになっている。しかし、インドから東へ向かうと、その国に合わせて微妙に変化するが、西へ向かうと中東あたりまでで変化は止まり、ヨーロッパではチェス1つ。このあたりにEUで一つにまとまれる秘密があるかもしれない。

  また、将棋も囲碁も必ず勝敗が付く、つまり、引き分けというのはないが、チェスはある。しかも話し合い(駆け引き)。

例えば、いつもは負けるはずのない相手に負けそうになっているとする。もっと先へ進めば逆転もあるかもしれないが、万一負けたら困る。こういう時、「ここらで引き分けにしておきませんか。その方がお互いいいんじゃないでしょうか」などと持ちかけて、引き分けで終える。

弱いはずの相手も、もっとやって負けで終わるより「あいつと引き分けた」という方がカッコいいかもしれない。

 こういうことからも、「平和」に対する考え方が違う。日本では勝敗が付いたらそれで「後腐れなく」となるが、ヨーロッパでは「平和」は争いと争いの間。(…こういうおっしゃり方ではなかったような気がするが、西野真理はそう理解した)


・「・・・よね」について

 最近テレビでアナウンサーが「○○ですよね」という言い方をする。これは「○○です」とは違い、相手に同意を求めている。これを批判するつもりではなくて、なぜ今こういう言い方が主流になっているのか考えてみたい。(…これもこういうおっしゃり方ではなかったような気がするが、西野真理はそう理解した)

 

・テレビの字幕について

 映画の字幕や聴覚障碍者のための字幕ではなく、マスコミ側が強調したいところにだけ勝手に字幕を入れる。時に、笑い声さえ「ワッハッハ」みたいに字幕にされている。受け手側の好きにさせてくれない。

 

・言葉の名詞化

 「感動をありがとう」「元気をもらいました」など、「感動しました」や「元気になりました」ではない言い方で、何に感動したのか、どうして元気になれたのかをぼかしている。その人の感情をはっきりさせないでおく。このことに文句を言うというより、このことで何が起こるのか、何が変わるのか。

 

・料理研究家土井善晴さんのお話

 土井さんが男の人に「お料理されますか」とお聞きになるとたいてい「パスタくらいなら」とか「カレーくらいなら」と答え、決して「味噌汁くらいなら」とは言わない。

カンナさんが

「だってお味噌汁って、おだし取らなきゃいけなくて大変でしょ」

と言うと

「それがいけないんです。おいしいお水とおいしいお味噌。後は冷蔵庫にあるものをちょこちょこっと入れれば、おいしいお味噌汁ができるんですよ」

 へぇ~そうなんだ。

 ついでに書くと、私は土井さんのお父様:土井勝さんのお料理番組をおそらく中学生くらいまで見ていたはずである。料理に興味なんてない人もつい見てしまう楽しい番組だった。

40年近く前であろうその番組の今でも忘れられない一コマ。

土井勝さんが、揚げ物を作られていた時の事。

「お料理の『ジュッ』って音は本当においしそうで食欲をそそりますね」

と言って、材料を油の中へ。

しかしその時なぜか、『ジュッ』と音がしなかった。すると土井さん

「こういう時は自分で『ジュッ』って言ってやるといいです」

 

・「ございます」

 政治家や官僚の方が発現されるときに多く聞く語尾の「ございます」。

 「準備してございます」「書いてございます」など、「準備してあります」「書いてあります」でいいものを、「ございます」を着けて、丁寧に言いましたよ感をアピールしている。

 実はこれ、私も連合に参加し始めたとき、ものすごく違和感を持って聞いていた。連合の幹部の皆さんも発言されるとき、必ず語尾が「ございます」だから。今も違和感は続いていたので、カンナさんの発言はとてもうれしかった。

 

 話はややそれるが、かなり前に新聞で読んだ内容が思い出されてきた。

「私の上司(その記事の感じで言えば、ご存命ならおそらく2015年現在140歳くらいの人。この記事を書かれた『私』も、ご存命なら110歳くらいだろう)は、私が『おはようございます』と言うと、とても機嫌が悪かった。『おはようござります、と言いなさい』と」

言葉は日々変化しているから、あまりどれがいいとか悪いとか言いにくいが。

 

・自分に負荷をかける

 今、「電気新聞」という電機業界だけの新聞に小説を書いている。土日お休みの新聞だから、尊敬する小説家佐藤愛子先生から「楽じゃない」

注:否定の「じゃない」ではなく「…でいいわね~」の意味の「じゃない」です。

と言われたりしたが、そうでもない(笑)。

注:佐藤愛子さんって大物作家さんだってことは知っているがよく

知らない。カンナさんはこういう人とお友達なんだな~。

毎回400字詰め原稿用紙2枚半ほどの分量を書くが、その時数で内容を完結させ、しかも月曜日には金曜日から2日置いた人に、さりげなく2日前の内容を思い出してもらわなければならなくて大変。しかし、こういう制約があるととても勉強になる。これから文章を書いてみようとする人は、字数や頻度など何か自分に負荷をかけてみるといいかもしれない。

またこの連載は、毎回イラストレーターさんが挿絵を入れてくださる。い

つも文章を書くのは孤独な作業だが、これはイラストレーターさんとの共

作という部分が出てきて、打ち合わせは大変だが、今まで体験したことの

ない楽しさがある。

 

<懇親会>

懇親会参加費1000円払って、ドーナツ1つとコーヒー1杯をいただいた。

ほかにもお料理はいっぱいあったけれど、そんなものどうでもいい。

私の狙いはただ1つ。カンナさんにエッセイをお渡しすること。

 

懇親会が始まって5分程のち、カンナさんに近づき

「私、エッセイ書いてるんですけど、もらっていただけますか?」

って、美女エッセイPART12をお渡ししました。

カンナさん表紙を見て

「美女エッセイ?!」

「はい、言ったもん勝ちですから(笑)」

「木箱の中の鉛筆たち」の話も、もちろんちょっとだけしましたよ。これ

で次に道徳でこれを取り上げる時、生徒に自慢できる!

 

<妄想>

今頃カンナさんの家のリビングに私のエッセイが置かれているんだろうな。

そして、リビングのテーブルにカンナさんが読み終えた私のエッセイを置

きっぱなしにしていらしたら、お母様の中村メイコさんが手に取り読み始

め、完読!

「あなた、これ、おもしろいわよ!」

と、神津善行さんにもおすすめになる。

 

妄想は果てしなく広がる。

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