(専修大学講義動画書き起こし)
<はじめに>
この話は偶然ネットで見つけ、武井さんの話そのものにもトーク術にも惹きつけられ、書き起こすことにしました。(武井さんおしゃべり言葉のままだと長くなるので、文体は「である調」にしましたが)
ただ、※内容全てに賛同できるわけではないのですが、そこがある意味耳の痛い部分であり、とても参考になりました。
※この部分には本文に下線を引き、☆逆にとても賛同できる部分は太字にし、西野真理のコメントを付けました。
<武井壮プロフィール>
1973年生まれ。(2015年の動画の時点で42歳。西野真理の11歳年下)陸上競技・十種競技の元日本チャンピオン。2015年の世界マスターズ陸上競技選手権:4✕100mリレー40~44才の部優勝)。TV番組でも活躍中。
はじめに
最近世の中を見ていると大人と子供が逆転しているように見える。子供は自分の好きなこと楽しくやって、大人たちは仕事を我慢してがんばったり「世の中つまんない」なんて言ってたり。これはなんかおかしいんじゃないか。
今回のテーマは「大人の育て方」。偉そうなタイトルになっているが、どうやって生きていくのが大人の有るべき姿なのかと、最近芸能界にいる中で考えるようになった。そのあたりを話したい。
僕は42歳で今日も短パンを履いている。まだまだ大人になりきれていない部分がたくさんある。ジャングル行ってサバイバルやったり、すごく子供っぽいことを仕事にさせてもらっているが、今の仕事はどれも好きなことばかり。最高の毎日を過ごしている。
家族と縁のない家庭に育った。母親がいなくて、父はいたがワイルドな父で他に家庭を持っていて、僕は兄と二人兄弟だったが、なかなか父と一緒に住むことができなくて、子供だけで暮らしていた。
僕ら二人は学校へ行くために二人だけで洗濯・炊事をしなくちゃいけない、それが当たり前だった。当時は大変さをそんなに感じていなかったが、
「なんで他のうちにはお父さんお母さんが居るのに内にはいないの?」
くらいは感じていた。ただ、学校には行きたかったしスポーツもやりたかった。頑張って学校には行きたかったので、僕は学費がなかったので、
「成績が一番だと入学金も学費も全部免除」
という私立を探して入って、6年間全部学費をただにすることができた。
その時僕は勉強ができたわけでもしたかったわけでもないが、やらなきゃ学校に行けないという状況だった。しょうがないから授業を一番前の席で真剣に受けて、教科書も4月にもらったら先に全部読んじゃう。向上心や向学心があったわけではなく、それをしないと学校に行けなかった。社会人の人が毎日会社に行かなきゃいけないのと同じような子供の頃を過ごしていたと思う。
今、芸能活動をするようになって収入も大人になってきた(笑)。
アスリート時代僕は陸上競技で日本チャンピオンとかになっているが、正直収入は100万円あるかないか。多い年でも2百何十万とか。今、二桁位上がっている(驚!)。
僕はスポーツで生きていこう、身体能力で世の中から逃げ切ってやろうと思った時期があった。それは小4から小5の間だったが、日本の社会は厳しく、スポーツや遊びみたいなことで人生をやっていこうとすると「そんなに甘くないよ」というのが大半の見方。ほとんどの人が失敗するし、大学くらいまですごくスポーツをするが、なかなかうまく行かないという現実がある。でも、失敗したくない。子供の時好き位でもない勉強を一生懸命やったっんだから、大人になったら大好きなことだけで生きていきたいという欲がすごく強かった。なんとか成功したいと思った。
スポーツをする若者がすごく頑張って頂点に達しても、そのスポーツではトップかもしれないが、ちょっと横にずれるとド素人。多くのアスリートや学生が一生懸命努力しても、大学卒業後プロのスポーツ選手で活動することはできない。ほんとにギャンブル。
それから脱却するために自分なりにトレーニング方法を考えた。
その道程だが、まず、小学校の5年生の時友達と校庭で野球をやっていて
「毎回ホームラン打ちたいのに打てない」
これがとても不思議だと思った。
例えばペットボトルの蓋を開けて飲みたいなと思ったら飲める。飲めなかったことは一度もない。ホームラン打つのも同じはずなのになのに、これはできないのが不思議でしょうがない。それで、先生や体育大のお兄さんなどいろんな大人に聞いた。でも誰も答えがわからない。
「トップクラスの選手でも毎回打てないんだからそういうもんなんだよ」
という答え。
「じゃあ偶然なの?」
と聞くと、
「いや、それに向けてすごい練習をすると、打てる確率がちょっと上がるんだよ」
という答え。そんな偶然でしかうまく行かないものに、これから先10年かけなきゃいけないっていうのがすごく心もとなかった。自分で考えても、もちろん思いつかない。
そんな時、僕のワイルドな父が、家庭用ビデオカメラを買って、僕の部屋にやってきた。そして、僕がキャッチボールをしているところとか撮り始めた。その父が撮ってくれたのを見たら、当時ファンだった西武ライオンズのピッチャーのマネをして投げているつもりだったのに、全然フォームが違っていることに気づいた。
「なるほど、自分が◯◯したいと思ってできるのは、目に見えていることを自分の体に運ぶことだけだ」
自分がボールを投げるときには、投げるその手を見ることはできない。ボールを打つ時、足の方を見たりしない。自分は自分が思った通りに動いているつもりなだけで思ったとおりには動いてなかった。それならまず、自分の体を自分の思ったとおりに動かせる練習をしてからスポーツをやろうと思った。
例えば、目を閉じて両腕を自分の体の横真っ直ぐに上げようと思ってやってみたら、思うより上に上がってた。自分は真っ直ぐだと思っているのにそうじゃなかった。見えてなかったら腕を真っ直ぐ上げることすらできないんだとわかった。
それから毎日、自分の腕を色んな角度に上げる練習を始めた。真っ直ぐができると、それよりちょっと上、ちょっと下もわかるようになる。それをしているうちに、自分の体が大体どのへんにあるか、ゼロのときより明らかに少しわかるようになった。それを全部の関節でやって、そのうち誰かの写真とかを見ると、自分の体をその形にする能力だけは他のどの選手よりも高くなった。一ヶ月もやればできる。
今知らないことを一ヶ月本気になって調べたら、周りの人間よりだいたいのことは全部一番詳しくなる。
☆教員生活初期に、音楽史の勉強を結構ガッツリやったことがある。が、今思うとそのガッツリは1ヶ月じゃないにしてもまあ3ヶ月ほど。その貯金を基にその後の音楽史の授業は成り立っている。
大学時代にこういう能力を高めて、2年半くらいで陸上の10種競技のチャンピオンになったが、チャンピオンになってみたら、陸上の10種競技なんて誰も知らない。でも、自分はすごく価値のある大会だと思っていた。でも一歩外に出てみたら自分のやってることなんて誰も知らないっていう世界だった。それでお金を稼ぐなんてことはできない世界だった。
「あ~」と思って、世の中で価値のあるものってどういうものだろうって色々勉強した。
ゴルフも1年位やっただけでかなりできるようになって、自分は才能あるなと思った。でもその程度の人間は世の中に150~200万人くらいいる。さらにその上にはたくさんのプロの選手がいる。ここでも、自分はプロになっても飯が食えないとわかった。
こんな時期をさんざん過ごして30歳くらいになり、もがいていた時期にある芸人さんと出会って、ご飯を食べさせてもらったり、一緒に野球をするようになった。そこから芸能界の人脈が広がってだんだん色んなものが見えてきた。
その人達についていくと、すれ違った人が「あ、〇〇さんだ!」と笑顔になる。テーブルについて話し出すと、わ~っと笑いが起きる。僕にはこれが衝撃的で
「この人達は俺が欲しい物を持ってる。魔法使いじゃないだろうか!」
例えば森山直太朗くんが歌うだけで5000人が泣いたり喜んだりする。自分になくてこの人達にあるものにちょっとずつ気づき始める。
☆私は芸能人をかなり尊敬している。人前であれだけ笑顔を作り続けたり、仮に本意でないとしてもファンの前でいい人を演じ続けるってすごい。
物事の価値とは
物事って何が価値を生むかと言うと「人が求める数」。これに尽きる。
僕のスポーツのクオリティーってある程度高いと思うが、価値がない。なぜかと言うとそれを求めている人の数がすごく少ないから。
※☆これは賛否両論。確かに求めている人は少なかったかもしれないけれど、経済的価値がないから価値がないっていうのは乱暴じゃないかな。
例えば世界最高品質のものを作ったとしても、誰にも告知していなかったら、これには価値がない。でも、世界で10番目くらいの品質なんだけど世界中の人が知っていて世界中の人が欲しがってて1年に10億個売れたらこれはものすごい経済価値を生む。それが僕は社会的価値だと思う。
陸上競技は世界中で誰もが知っているメジャースポーツ。でも日本の陸上競技は例えば25種目あったとして、男女あるから50種目ある。だいたいどれにも50人くらい選手がでるから、日本で最高峰の大会に出場する選手が2500人いるってこと。国立競技場は満席で5万人くらい入る。2500人の選手が一人たった20人お客さんを呼べば満席なるはずだが、陸上の日本選手権が満席になっているのを僕は一度も見たことがない。2500人のその道のトップの選手が争う年に1回しかない大会を見に行きたいと足を運ぶ人が、1万にいるかいないか。てことは、一人の選手に対して20人の客様を呼べる価値も生めてないってこと。これが今の日本スポーツ界の現状。
☆これは西野真理には耳が痛い。コンサートにお客様を呼べない現状。
最近特に違和感があるのはジュニアの育成。確かにジュニア育成を初めて日本のスポーツレベルは上がった。いろんなトップレベルの選手も増えた。でも、それ以上にそうではない、成功していない選手も増えている。なぜそうなるかというと、誰もそれらのスポーツを見たくないから。殆どの選手がプロに慣れない理由はそこ。お客さんを呼べない。もし先程の2500人の選手たちが一人100人お客さんを呼べたら25万人見に行きたいと思っていることになる。そうすれば5万人入る競技場のチケットは即日完売。僕はお客さんを増やすことが価値だと思う。
子供が好きだったり親がすすめるスポーツをやった子供が大人になり、自分がやっているものが社会的価値を生めるどうかわからないまま世間に放り出されて、しかも自分の思ったとおりに動かない体を使って、毎日うまくいくかどうかわからない確率でスポーツをやって、トップになれるかどうかを競わなきゃならない。今のジュニア育成の形は中途半端なアスリートを育てている。すごくもったいない。
僕が親だったら、高校生くらいになったらインドに行かせる。で、クリケットやらせる(笑)。いま会場の人は笑ったが、クリケットって世界で2番めに競技人口の多いスポーツ。1番目はサッカー。クリケットで一番稼ぐ人の年俸は27億円。プロ野球選手の比じゃない。インドは人口12億人だから企業も投資価値がある。クリケットはインドで国技のような扱いを受けているから街中のビジョン全部クリケットの放送をしている。インドの人はクリケットの選手を誰でも知ってる。インドではクリケットの視聴率が80%を超えている。それをまる2日くらいやる。企業はそこに協賛して自分の企業の名前を競技場に出す。PR効果が高いから。でも、日本ではこんなこと全く知らないでスポーツを始める。
子供の10年間をギャンブルにしないためにも、思ったとおりに動く体の使い方を教えてあげたり、今やっているスポーツがどんな経済価値、社会的価値を持っているのかそれをちゃんと教えてあげて子供と共有できるのが本当のジュニア教育だと思う。
僕は自分が成功したいと思っただけでやっていたスポーツを変えてみた。世の中の人が僕のやるスポーツをあの芸人さんたちを見るみたいに楽しみに見てくれる人になれないかなと思い始めた。そこから色々変わり始めた。僕は自分が成功してチャンピオンになりたい、お金持ちになりたい、強くなりたいという思いでトレーニングをして試合に出ていたが、それはもう自分のため。そうじゃない。あの芸能人たちの価値は、自分が芸能人でいることで周りが笑顔になったり元気になったりすることがこの人達の価値だと思った。人や商品の価値というのはクオリティじゃない、それを見て喜んでくれる人の数。そのことに30歳くらいで気づいてその活動を始めた。
※☆先程も書いたが、クオリティは高くても様々な理由で世にでない人や物はいっぱいある。それを「価値がない」と決めつけてしまうのはあんまりじゃないかな。経済的価値が低いものをすべて否定したら世の中成り立たないし、世界の人々の人生を否定することになってしまう。ただ、「経済的価値を生むのがプロ」であるという考えから、私は私自身「プロ歌手」とは言えないと思っている。
家を借りるのをやめる
でも僕には人を楽しませるトークの術もなんにもなかった。だからその日から家を借りるのをやめて、西麻布に行き、芸人さんたちの集まるバーに行って、自分の洋服やかばんににICレコーダーを仕込んで、芸人さんのトークで周りの人がわ~っと笑ったところを全部編集して、それをつないだCDを車の中で流して一人でずっと聞いていた。8年かかった。
8年全部その人達のトークを研究して真似して、車の中で一言違わず喋れるようになったりした。
(Wikipediaによると、この期間武井さんは人の家・ホテル・車で生活していたそうです)
今年、世界マスターズ陸上という40歳以上のおじさんたちのフランスでの大会で金メダルをとった。たいした記録でもないし、現役選手のほうがずっと速いタイムで走るにもかかわらず、僕の優勝が決まったフランス時間の1時間後には日本のヤフーニュースでそのことがトップニュースになってた。本当にありがたいこと。
武井壮、一度も就職したことがないし、どうしようもない子供だが、もしかしたらこの子供のまま、この大人の社会を歩いていけるんじゃないかという幸せを感じている。
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