詩と宇宙  2022年3月31日

「詩と宇宙」
というブログがあります。
ペンネームは「sapporo1972」、私の知人のブログです。大変教養高くしかも愛情深く、また難解なものが多いことも確かで、読ませていただいてはいるものの、実は「読んでいる」のではなく、それに添えられたセンスのいい写真を見ているだけだったりします。
ぜひ皆様も一度覗いて見てください。

さて、今日はFMかほくのリハーサルに行きまあまあ上手く行ったものの、これを毎週続けるというのは大変なことなのではないかとやっと気づきました。ネタが切れたらどうしよう。
そこで閃いたのが、「詩と宇宙」の詩を時々読ませていただくのはどうかということでした。
先程も書きましたように、難解なものも多いので、読ませて頂く場合は私でもなんとか理解できるものでなくてはなりません。

そこで、なにかいいものはないかとブログ内を探索していて見つけたのが
「1円切手の世代交代」
という詩です。
ここには転載しませんので是非検索してお読みください。

その詩を読んで急に新1円切手と旧1円切手が気になったので買いに行きました。
「前からの1円切手1枚と新しい1円切手1枚ください」
「新しいのは1シートからしか買えません。シールになっているので」
「・・・」
旧1円切手を10枚、新1円切手を50枚、60円払って帰りました。

新しい1円切手は50枚からしか買えませんがシールになっていてとても使いやすそうです。












辞令交付式 2022年3月31日

金沢教育事務所から通知が来ました。

「管内教職員退職者(一般)辞令交付式について」
 ~下記のとおり実施しますので・・・
  3月31日(木)
   14:00~14:15 受付
   14:20       受領説明
       14:30       開式
   15:00       閉式

まあいいんですけど、家から受け取りに行く石川県教員総合研修センターまで30kmもあるのに、郵送とか校長にもらうってだめなのかな・・・なんて我儘は最後だし言わないで素直に貰いに行きましょう。

会場には14時前にはついてしまいました。
会場に入ると机の上には名前の書かれた封筒があり、すでに辞令が入っています。

皆さん暇なのか早々に全員集まったようで
「皆さんお集まりですので、10分早いですがはじめます」
まず注意事項から。これにはコロナ禍のためと思われることがいくつか。
・名前を呼ばれたら「返事をせずに」立ってください
 ←今までなら「返事をしてお立ちください」だったのかな
・辞令は代表者お一人にお渡しします
 ←今までなら一人ひとり渡されたのかな

というようなことで、10分早く14:20に始まり、終わったのは14:30でした。
なんて楽な!
これからもこれでいいんじゃないですか?
卒業式もそうだったけれど、楽に済むことは楽に済ませればいいのに。

こうして私の教員人生もあと数時間で終わりです。
あとは学校に健康保険証を返却するだけ。
これから行ってきます。




リハーサルのリハーサルとリハーサル 2022年3月31日

今日はFMかほく最初で最後のリハーサル日です。
あまりにスピーディーな展開に、私もよくわからなくなっていますので、整理しておきます。

①応募メール送信
 2022/03/18 17:35, 西野真理 wrote:

◆送信内容:
 パーソナリティ/キャスター希望

 西野真理と申します。
 この3月で中学校音楽教師を退職します。
 コロナのため突然始めることになった音楽授業YouTubeが楽しくなり
 主として自身の歌唱動画のアップロードをはじめました。
 2020.3.18現在280本超の動画をアップしています。
 (YouTubeで「西野真理」と検索していただけると嬉しいです)
 もともとおしゃべりが大好きで、教員生活ではそれを存分に生かしてきましたが
 そのスキルをもっと多くの方に知っていただくために、FM放送で試してみたいと思い始めました。

 また今後は音楽活動、歌の好きな方との歌の会を始めていきますが
 その宣伝方法の一つとしてもFM放送で西野真理の名前を
 お知りいただければと思い、応募いたしました。

②FMかほくからの返信
2022/03/18 19:09
ご応募ありがとうございます。
了解しました。
条件は、サイトに記載のとおりです。
https://fm.kahoku.net/clipmail/#boshuu

お好きなテーマで、24分番組を放送できます。(番組内には音楽を最低1曲入れてください。)
1年間(体験期間)無料で番組を放送!(2年目~設備の維持のため月会費2,000円要)

まずは、お電話で、詳細をお話いたします。
私の方に電話をお願いします。

③メールが届いた10秒後に電話

④3月21日春分の日、FMかほくのスタジオで打ち合わせ

⑤3月31日(木)最初で最後のリハーサル

⑥4月5日(火)初回放送

・・・ということで最初に思いつきでメールしてから初回放送まで18日間の出来事です。

3月30日、朝3:00起床というか目が覚めてしまったので、この時間を利用して自宅でリハーサルのリハーサルのリハーサル。
メンデルスゾーンの「無言歌」を流しつつ、24分間、とにかくやってみました。それを録画もしてみました。パジャマ姿で。

3月31日、朝3:00起床というか目が覚めてしまったので、この時間を利用して自宅でリハーサルのリハーサル。今度はちゃんとドレスにティアラ・・・と言いたいところですが、首から上はちゃんとしましたが、首から下はパジャマ。これは近々やることになっているYouTube配信を意識したことと、やはり私の仕事に掛ける意気込みとでもいいましょうか。ドレスにティアラをFMパーソナリティ西野真理の制服にします。

本当のリハーサルは8:30から。
やはり手土産の一つも必要かと思い、ホームベーカリーでパンを焼いて焼きたてを持っていきます。現在焼き上げの美味しそうな香りがしています。
さて、スタジオには着替える場所がないので家からドレスを着てでかけますが、ご近所の目に触れないよう注意しながら素早く車に乗り込むことが本日(これからも)最大の課題かもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

リハーサルから帰ってきました。
練習した甲斐あって、番組そのものはまあそこそこだったでしょう。
あとは機械の操作を間違わないだけ。
音量を下げてから、カフ下げて・・・いや、逆かな?
あそうだ、先に次の曲あわせておかないと・・・
これは前途多難。



Sing幾多郎初回まであと2日 2022年3月30日

皆様、Sing幾多郎初回まであと2日となりました。
そんな今日3月30日、現在早朝3:40です。
昨夜は送別会で、とはいえ飲み会があったわけでもないのに妙に疲れて21:00に寝てしまったため、こんな早くに目覚めてしまいました。
しかし、こういう時間は充実させることができると3ヶ月前あたりに気づき、無理に寝ようとせずパソコンに向かうことにしています。
3ヶ月前はちょうどSing幾多郎を真面目に考えはじめブログを始めた頃だったので好都合。この時間にチラシを作ったり段取りを考えたりしていました。

今日は先日作ったSing幾多郎のチラシに貼り付けた地図とにらめっこです。
本町コミュニティセンターの場所説明!
   かほく市宇野気ト 110-1

・そもそも道がごちゃごちゃしていて場所が判りづらい
・チラシに印刷した地図が薄い
・すぐ近所に住んでいるのに、今もどの道がどこへ続いているのか理解していない
・地図を見てもうまく説明ができない

そこで先程から、自分でデフォルメした地図を書こうと悪戦苦闘。
無理でした。
文章のほうがまだまし。

<国道8号金沢方面から>
  ①かほくイオンあたりまで来ると、消防署があります
  ②消防署のところの信号を1とすると3つ目(内日角北・すき家が見えます)を右折 
  (変則交差点・注意)
  ③丁字路っぽいところの右です(向かいは司スポーツ)

<のと里山海道から>
  ①白尾ICでおります
  ②ファミマとセブンのある信号を通り過ぎると、すぐ2つに別れます。
   左側を進んでください。
   ※万一右に進んでしまったら、「狩鹿野IC」までルート変更不能になります。
    「狩鹿野IC」で降り、Uターンして<国道8号金沢方面から>の説明へ
  ③その次にある信号(内日角北・すき家が見えます)を左折(変則交差点・注意)
  ④丁字路っぽいところの右です(向かいは司スポーツ)

<高松方面から>
  ①大阪屋(トマト)を通り過ぎます
  ②大阪屋のところの信号を1とすると、4つ目(2つ目と3つ目は超近距離)を左折
   (内日角北・すき家が見えます)
  ③丁字路っぽいところの右です(向かいは司スポーツ)

<宇野気駅から徒歩>
  ①金沢から能登方面に向かって左の出口を出ます
  (右に出ると西田幾多郎が立っています。タクシーを使いたい人はこっちからのほうが
   いいかな)
  ②「こっちに行けば大通りに出る」って感じになっているのでそちらへ歩きます
  ③出たところを左折(左角は串焼き屋さん)
  ④そのまま真っすぐ「宇野気医院」と「NTT」と書かれた使われていない感じの建物の
   間の細めの道を進みます
  ⑤進み切ると「八講屋」というお菓子屋さんが見えますから、道路を渡り「八講屋」さ
   んの右にある細い道を進みます
  ⑥細い道を進み切るとほぼ正面に本町コミュニティセンターが見えます

<カーナビのある人>
  カーナビを使ってください

<スマホのある人>
  スマホでルートガイドしてください


2022年3月末 津幡中学校職員の年齢構成を見て思うこと 2022年3月29日

そんなこときちんと考えていたわけではないけれど、
「自分が退職する時には自分がその学校で一番年上で、なにかと責任ある行動・言動をしなければならなくなっているんだろうなあ~。ちゃんと落ち着いてるんだろうなあ~」
なんて思っていました。
実際、私が20代の頃50歳以上の先生はとても落ち着いて見えました。運動会で着ぐるみ帽子をかぶったり、卒業式にドレスを着たり、もちろん誰も担任なんてしていらっしゃいませんでした。校長室に飾ってある歴代校長先生の写真など、現在の私と同い年だなんて到底思えない落ち着きようです。

また、これは今でも忘れられない職員室での会話です。
私が29歳の時、ちょうど10歳年上・39歳の先生が
「西野さん、私来年で40歳。だから今年で担任は終わり」
とおっしゃいました。それを聞いて私は
「40歳になったら担任じゃなくなるんだな~」
教育現場はそんなものだと思っていました。

ところが、そんな会話を交わした4~5年後からなんとなく現場の感じが変わってきました。
まず、生徒数が減少し始めました。
その会話をした内灘中学校は当時1学年8クラス。(もっと前は11クラスでした)
現在は1学年6クラスです。
ですから先生も減ります。
新人の先生の数も以前この規模の学校なら4人程度入ってきていたのに1人いればいいほうです。
そのまま平行移動が続き、私は歳を重ねるのにいつまでもポジションは同じ。
そのうち40歳になりましたが、とてもじゃないけど
「担任やりません」
なんて言える状況ではありません。
そして60歳。3年生の担任です。

さらに、数年前から始まった「再任用制度」によって、60歳以上の先生が現場にいらっしゃるようになりました。その結果津幡中学校には60歳の私と同年齢の先生が一人。60歳以上の方は、校務士さん・講師・週に数回いらっしゃる講師・サポーター・相談員の方も含めると7人。
そんな環境で私は60歳にもなって精神的に甘えたまま退職の日を迎えることになりました。
ただ、ここ数年は少人数学級のことや、退職者が増えたことからか採用人数も多くなり若い人も増えてきました。

別にこれがいいとか悪いとかということではなくて(・・・というか、正直私には大変ありがたかったのですが)2022年3月末はこうだった、ということを後で思い出すために書き残すブログです。
落ちも何にもなくてすみません。


送別会 2022年3月29日

コロナ前は当然のように飲食を伴った送別会が行われていましたが、当然今年はそのような会はありません。代わりに学校の会議室で送別の会が行われることになりました。
退任・離任する職員一人ひとりに花束とメッセージ、それに答えて一人数分ずつお別れを述べます。
皆さん感動的に、また心からの感謝の言葉を述べられる様子に、「大人だなあ」と60歳の私は感心しました。

西野真理は先のブログにも書いたとおり、そんな大人の感謝の言葉などほとんど言わずに、自分のやりたい指揮法の授業をさせていただきました。
お約束の10分を守るために教室からタイマーを持ってきてセットし、ぴったり10分で授業を終了。これ、得意技。これで本当に授業フィニッシュです。

その後、私にも花束贈呈。
贈呈担当は2年前大学卒業したてで津幡中学校に赴任した、とっても可愛い国語の茶谷先生です。2年前彼女は私が担任する1年4組の副担任。生徒たちは茶谷さんが来てくれると明らかに嬉しそうでしたし、ただ可愛いだけでなく国語の先生としても人物的にも優秀で、バレーボール部の副顧問としてもしっかり活躍していました。
そんな彼女が私に言ってくれたのは
・初めて学校に来た時、隣の席は西野先生だった
・その時そのパワフルさとオーラに圧倒されていたが、その後の配属で西野先生のクラスの
 副担任になり、大丈夫かなと不安になった
・私が辛い時、お菓子をくれたり、ご飯に連れて行ってくれたりした
   ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これこれ!
私は以前から思っていたのです。
「食べ物をくれるのはいい人だ」と。
茶谷さんに食べ物をあげておいて本当に良かった。

さて、送別につきものなのがプレゼントの品物ですが、やはり今回特筆すべきはこのケーキでしょう。














これの何がすごいか説明なしでは私もわかりませんでした。
このケーキ、2つのお菓子屋さんに頼み込んで作ってもらってくださったのです。
まず、真ん中にある、黒板を模したメッセージクッキー。
これはこの中学校から30分以上離れた、メッセージ入りのクッキーを製造販売するお菓子屋さんに注文。それを津幡町にあるケーキ屋さんにお願いして、このクッキーが上手く乗るようにその周りをアレンジしたケーキを作っていただきました。しかも、今日このケーキ屋さん、本来定休日なのに。
もったいなくて食べたくないけれども食べないともっともったいないので、こうしてブログに載せました。ブログやっててよかった。

他にもたくさん頂いたものを写真に撮っておきました。













          
 
送別会が終わると、町の教育委員会へ挨拶。それから帰ると自分の学級、音楽室、職員室の机とロッカーを再度確認して、本当に最後の仕事としてパソコン内にある自分のフォルダーを削除しました。最後を締めくくるのが「パソコンのフォルダー削除」というのが今だなあという感じがします。頂いたものと持ってきたキーボードを車に詰め込んで、明日・明後日はもう学校に来ないと決めて学校を出ました。しかし、後で電話がかかってきて、保険証を返しに行かなくてはならないことが判明。最低もう1回はいかなくてはなりません。駐車場を出て信号待ちをしているときにちょっとウルッと来そうになりましたがその瞬間3月31日FMのリハーサル、午後は辞令交付式、4月1日Sing幾多郎初日、4月3日Sing幾多郎2回目、4月5日FM初回、4月10日Sing幾多郎3回目、午後は関先生の2年ぶりのレッスンというスケジュールが一気に頭に沸き起こってきて、たそがれてる場合ではない!と焦った気持ちになりウルウルはどこかへ行ってしまいました。皆様、新生西野真理に乞うご期待!





最後の職員対象ミニ授業・指揮法 2022年3月29日

今日、2022年3月29日が実質教員生活最後の授業日かもしれません。
それも、先生たち対象の。

津幡中学校では昨年、退職される先生に若い先生たちが、ご家族のインタビューなどを盛り込んだ素敵な映像をプレゼントする時間を持ってくださっていました。暖かな心配りに退職されるご本人もとてもお喜びで、とても素敵な時間になりました。

しかし来年もし「自分にそれを」となると、西野真理向きではないことは確かです。
そこで、割と早い段階から周りの先生に
「最後に何かしてくださるんじゃなくて、私に何かさせて欲しい。できれば『先生方対象の指揮法の授業』させてほしいな。この2年、合唱コンクールもなくて、指揮法を先生たちに見ていただけることもなかったから」
と話しておきました。

・・・ということで、そうさせていただけることになりました。
「30分くれる?」
「時間ありません。10分で」
「・・・10分でやります!」

私が若い先生たちに伝授するのは以下のこと。(これは生徒に配ってきたプリント)
これは音楽の授業で生徒たちに教えてきたことです。
ブログをお読みくださっていて、指揮に興味のある方は是非ご参考になさってください。



義務教育で最低学びたい ♪合唱指揮法♪

<第1段階 基礎中の基礎:まずは、歌えること>

①上体を倒さない

②手首を振らない

③両手を交差しない

④片手だけで振るときは、使わないほうの手を、軽くおへそあたりに置く

 

<第2段階 基礎>

①腕の・・・・体より前、目より下、おへそより上。同じ長さ、同じ高さ。

②手・・・・・・・・・・握らない、開かない、指を立てない、手のひらは下向き

③口・・・・・・・・・・歌詞を口ぱく

 

<第3段階 ちょっとだけ高レベル>

①曲のテンポを考え、手を上げ、準備を促し、出の1拍前に曲のテンポで息をする

②左手を合図に使う・・・・出す、止める、ソロの合図をする 等

③演奏者に威圧感を与えない、よい表情で立つ

 

これだけできれ義務教育としてはOK。

あとは「歌っていただけますか?」という、謙虚な態度で演奏者に接すれば、

そこそこの指揮になります。




東京駅8000円事件 その3 (2000年5月の出来事)

 このお話は、2000年に「美女エッセイPART1」掲載した作品です。印刷物として販売したもので、現在のブログとは違って語尾が「だ。である」調です。


東京駅8000円事件 その3

2000年12月28日。午後。
20世紀も終わりに近づいたこの日、ついに東京駅8000円事件に結末が訪れた。
私が毎年恒例の
「西野真理オリジナルお正月飾り」
を玄関にしていると(今年のはなかなかの出来栄え)、結構ハンサムな郵便局のお兄さんが、現金書留を持ってきてくれた。
「ハンコお願いします」
と言われ差出人を見ると、知らない男性の名前。首をひねっているとハンサムなお兄さんは
「心当たりありませんか」
と、ちょっと困った様子。
が、その瞬間、
「アッ、あの人だ」
「よかったですね、わかって」
「ええ、私ちょっと騙されてて、そのお金が返ってきたみたいです」
「へえ......?詐欺には十分お気をつけください」
ハンサムなお兄さんはよく事情が判らないであろうに、上手に私に話を合わせて帰って行った。
 
現金書留封筒を開けると、貸した8000円と、ワ-プロで書かれた手紙が同封されていた。
 以下にその文を書き写すことにする。
 (点、字、改行等原文のまま)
 
 
西野マリ様
先日来、彼方様には、息子、○○が多大なご迷惑をおかけ致しました。
息子の不謹慎な生活態度から、同じような経過で多数の方々にご迷惑をかけました。皆さんは、息子の話に同情して親切でお金を貸してくれました。息子のしてきたことは、それを裏切る行為であり決して認められることは出来ません。さる、19日に判決が下りました。現在、本人は拘置所で拘束されています。近日中に他の刑務所に移監され2年は反省の償いをすることになりました。判決後の本人からの手紙にもありましたが、皆さんに多大なご迷惑をおかけしましたことに深くお詫び申し上げます。
これからの弁済にあたっては、本人が実行すべきであります。しかし、現状から当分は困難であります。
先のあなた様からの申入れがありました弁済について、大変おくれまして申し訳ありませんが一つ区切りがつきましたので、本日、金、8,000円を弁済させて戴きますので領収お願い致します。
本当にご迷惑をおかけ致しました。深くお詫び申し上げます。
 
           平成12年12月27日
                        父 ○○○○○
 
これを読みおえて、私は父親に返事を書いた。
(以下、原文のまま)
 
前略
本日、息子さんに御貸ししていた8,000円、確かに現金書留で受領いたしました。
実は私は、中学校で教員をしており、息子さんにお会いした翌々日の月曜日の朝(2000年5月15日)この出来事を生徒に話しました。
その時点では、私は息子さんに騙されたとは思っていなかったのですが、その話をした途端、殆どの生徒が
「先生は騙されている。いい大人が、見ず知らずの人にそんなお金を貸すもんじゃない」
と言われ、結構ショックを受けました。
それでも心のどこかに信じる気持ちがあり、また、それほどの高額でもありませんでしたから
「これくらの額なら、人生勉強に払ったお金だとあきらめよう」
という気持ちでしばらくは過ごしました。
しかし、生徒にも時々
「先生、あのお金どうなった」
と聞かれたり、私自身、納得したい気持ちもあって、夏休みの終わりに金沢東警察署へ行ってみることにしました。
 
事情を話すと警察の方は、すぐにだれのことと言い当て、(この急展開にはさすがに驚きましたが)○○さんへお電話をつないでくださいました。○○さんとお話していうるちに、息子さんを思われる気持ちや、大勢のお金を貸した方への返済でお困りであろうことが察せられ、何だか大変恐縮してしまいました。また、かなりの高額を貸しておられる方もあるとお聞きしましたし、成人されている息子さんのことに関して、親に弁済義務はないわけですから、私にお金が戻ってくることはないだろうと思いながら電話を切りました。
20世紀も終わりに近づいた本日、息子さんを思い、お金を貸した私他沢山の方を思い区切りをつけて下さったことに感謝いたします。お金に添えられた○○さんのお手紙も大変胸に響くもので、心中をお察しすると言葉もありません。
ぜひ息子さんが更正されることをお祈りいたしております。
                             かしこ
          2000年12月28日  西野真理
 
 
この事件は、決してよい話ではないけれど、沢山学ぶものがあり、またいろいろと話題性もあり、2000年を思い出す時、欠かせない出来事であることは間違いないだろう。
 
 
さて、先程の話だが、現金書留を開けて中を見ながら子供たちに、
「ねえねえ、あの8000円返って来たよ!」
と喜ぶ私に娘が言った一言。
「エッセイ書かなきゃ」

東京駅8000円事件 その2 (2000年5月の出来事)

 このお話は、2000年に「美女エッセイPART1」掲載した作品です。印刷物として販売したもので、現在のブログとは違って語尾が「だ。である」調です。


東京駅8000円事件 その2

前編の粗筋>
「なんとしても今日中に、最悪でも明日の朝までに金沢市まで帰らなくてはならないのに、お金がない。できれば金沢までの電車賃全額貸してほしい。」
と、東京駅で、最終便に乗ろうとしていた私に青年が声をかけて来た。
私は、8000円を青年に貸した。
私は私の名刺に
 「5/13 8000円お貸ししました」
と書いて青年に渡した。
青年は私に免許証を見せたが、私は青年の名字と、住んでいる町の名前だけを簡単にメモして、電話番号、仕事など詳しいことは何も聞かなかった。詐欺師ならば、免許証の住所になんて現在いるはずもない。電話番号を聞いたところでうそに決まっている。
  →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→
夏休みも終わりに近づいた8月28日。
私は5月のあの事件に、一応の解決をみたいと思った。そして、その唯一の手がかりとなりそうな場所に行ってみることにした。
その場所とは、金沢駅前の「時計駐車場」という年中無休の駐車場。
東京駅で
「お金をあまり持っていなくてたくさん貸すことは出来ない。駐車場から車を出すためのお金も必要だし。」
と言う私に青年はこんなことを言っていた。
「あの立体駐車場ですか。あそこなら僕はただで出してあげることが出来ます」
それをきいて私は心の中でこう思った。
「この人は、確かに金沢の人らしいし、あの駐車場に知り合いでもいるんだろうな」と。

それを思い出し、とにかく私は駐車場へ行き、事務所へ入れてもらい、簡単に事情を説明した。
するとそこの事務の方はこう答えてくださった。
「今おっしゃるような名前の方はいませんし、私たち従業員のだれも、決してただで車を出せるということはありません。信用にかかわりますから」
この方の答えで私は詐欺にあったのだと確信し、礼を述べて事務所を後にした。
そして向かうは警察。
 
金沢東警察署。
行ったことのない場所で、ちょっと怖く、ちょっと興味もある。キョロキョロ見渡すと、1階は交通関係らしく、その他の事件は2階より上のようだ。

とりあえず2階へ行ってみようと階段のところまで行くと、向かいのエレベ-タ-にはこう書いてあった。
「健康のため署員は階段を使いましょう」
 
2階に上がったのはよいが、どこへ行けばよいのだろう。
ふと見ると
「困りごと相談所」
(よしこれだ!)
おどおどと入って行くと
「どうなさいましたか」
「ちょっとお金のことで......」
「盗られたんですか。騙されたんですか」
(後でわかったが、これはだれが担当するかという、結構大事な質問) 「う-ん。まあ、あのお。騙されたと思います。」
「手からひったくられたとかじゃなくて、渡したんですね」
「はい。そうです」
それではとすぐ横の小さな部屋へ案内されながらボソボソと
「東京駅で8000円ほど困ってる青年に貸したら...」
と、そこまで言っただけで
「もうわかった。そいつ今、東京で警視庁に逮捕されてる」
「エッッッッッッ!」
 
このまま会話形式で書くと長くなるので要約すると
私が8000円貸した青年は、名前や住所は間違いなく私に彼が東京駅で言ったものだった。私に言ったのとよく似た言い方で、東京駅、新宿駅などで、やはり私と同じように1万円弱を貸してほしいと言っては罪を重ねていたらしい。捕まった時は置き引きで、荻窪警察で取り調べられ金沢東署へ照会があったという。
(私もうまく金沢東署へ来てよかった)

私は彼を24、5歳だと思っていたが本当は28歳で、金沢で自営業を営む56歳の父親も困り果て出来る限り被害者には弁償したいと言っていてる。ただ、私のような少額がほとんどだが、中には75万円、30万円という高額の被害者もいるという。
警察の方がおっしゃるには、今回私は被害届を出してもよいのだが、結論から言えば出さない方がよいという。もし出すと被害に遭った東京駅まで自費で行き、実況検分というのをやり、写真を撮ったり、調書を書くのに付き合わされたりで大変らしい。

ただ、幸い、この父親は弁償してくれる気もあるし、(法的には、父親は弁償しなくてもよい)私からの話はメモを取ったということでおいておくことになった。

そこで、警察の方はすぐに父親に電話をし、事情を話し、私はその父親と電話で話をすることになった。
息子のことで肩身の狭い思いをしているその父親は大変に哀れで、こちらは被害者だが何だか申しわけないような気にさえなって来た。
結局、
「高額の被害の方もおられますので、今すぐはお返しできませんが、2、3か月中にはできる限りでお詫びしたいので、連絡先を教えてほしい」
ということで電話を終えた。
「全額は無理だな」と感じた。
 
これでこの話は一応終わりだが、この日警察で教わったことを書き残しておこう。
 
・私のように、貸す段階で
 「ひょっとしたらこのお金は返ってこないかもしれないな」
 と感じた場合は、詐欺罪は成り立たなくなる。
 (このことは結構詳しく聞いたが忘れてしまった)
 これを、
  「ギモウサクゴ(疑蒙錯誤)と言う。
 
・こういう犯罪を扱う担当者のことを
 「知能係」という。
 
・警察にもよくお金を貸してくれと言ってくる人がいる。いかにも返してくれそうも
 ないなあという時もあるが、自分の処理範囲内で考えてやっている。自分が貸した
 ことで2次的、3次的被害がでるような金額ならだめだが。

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 私は今回この事件で、損をしたのか得をしたのか?
 ・この話をもとに道徳の教材を作って、1時間生徒と遊んだ。
 ・また、私の学級の生徒は、このことを家庭でも話題にしてくれて、それなり
  に話題性はあった。
 ・このことをいろんな人に話して、そのたびに大いに盛り上がった。
 ・見ず知らずの人を簡単に信じてはいけないという教訓を得た。
 ・警察に足を踏み入れた。
 ・この話を聞いてくださった警察の方は、私が5、6年前に担任をしていた男子生
  徒の父親であるということが途中で判り、「世間は狭いですねえ」と、その生徒
  のことや世間話ができた。
 
 さて、エッセイも書きおえたし、警察でいただいた冊子でも読むことにしよう。
 その冊子の題名は
 「被害にあわれた方へ」

東京駅8000円事件 その1 (2000年5月の出来事)

このお話は、2000年に「美女エッセイPART1」掲載した作品です。印刷物として販売したもので、現在のブログとは違って語尾が「だ。である」調です。


東京駅8000円事件 その1

2000年5月13日(土)
私は奏楽堂日本歌曲コンク-ル一次予選を受けるために東京へ行き、終了後すぐに、その日の最終の新幹線
20:08分発 あさひ3号
に乗るために、東京駅のプラットホ-ムに立っていた。
少し早くついたので、まだ15分ほど電車を待っていなくてはならなかったのだが、かなり疲れていた私は、特に何をすることもなく立っていた。 その時、24、5歳の青年が私に声をかけてきた。
「この電車に乗られるんですか?」
「はい」
「どこまでですか、もしかして石川までとか?」
「はい、石川までですけど.....」
「えっ!ほんとうですか?金沢市に住んでらっしゃるんですか?」
「住んでるのは金沢市の隣の宇ノ気町ですけど.....」
「一生のお願いがあるんです!本当に本当にお願いです!」
「そう言われても内容によります」
「話すと長いんですけど、....」
 
青年の話を要約すると、

なんとしても今日中に、最悪でも明日の朝までに金沢市まで帰らなくてはならないのに、お金がない。なぜかと言うと、キャッシュカ-ドが割れてしまってお金がおろせなくなってしまったからだ(そう言って、割れたキャッシュカ-ドを見せる)。友人に連絡を取ろうとしているのだが、どうしても携帯に通じない。今日帰れなければ、せめて安いホテルに泊まって明日の朝までになんとかしたい。そういうわけでお金を貸してほしい。できれば金沢までの電車賃全額。
 
実は私はあまりお金を持っていなかった。私自身金沢駅に停めてある車をパ-キングから出すのにもお金が必要だし、途中無一文というのも心細いので、貸せるとしてもごくわずかだ。財布を確認してみると、何とか貸すことのできそうなお金が8000円ほどあった。電車賃全額にはとても足りない。
その事を青年に告げると
「それじゃ、ホテル代だけでも」
 
青年は、この駅に24時間やっているキャッシュコ-ナ-があるかもしれないから、あったらそこでお金ををおろしてくれないかと提案してきた。 私は先にも述べたように、とても疲れていて、断ることがとても面倒になっていたので、その提案を受けた。青年は急いで駅員さんに場所を聞きに行ったが、この駅には無いと言われ、しょんぼり帰ってきた。
私は貸すことのできる上限の8000円を青年に渡すことにした。
私は私の名刺に
「5/13 8000円お貸ししました」
と書いて青年に渡した。
青年は私に免許証を見せたが、私は青年の名字と、住んでいる町の名前だけを簡単にメモして、電話番号、仕事など詳しいことは何も聞かなかった。
もし、青年が本当に困っていて借りたのならば、こちらの連絡先は教えてあるわけだから、当然返しにくるだろうし、詐欺師ならば、免許証の住所になんて現在いるはずもない。電話番号を聞いたところでうそに決まっている。それに、私はこのことで一層疲れ、詳しい青年の連絡先を書き取るなんて、本当に面倒に感じられた。
青年は私に
「8000円で逃げたり絶対しません。信じてください。必ず返しに伺います」
と言い、私は
「良いホテルが見つかるといいですね」
と言って電車に乗り込んだ。
 
私がこのような行動を取ったのには、小さなわけがある。
 
それは私が高校生のとき。
その朝急に降り出した雪のため、いつもは自転車通学だが、その日バスで行くことにして、慌てて家を出た。
バスをおりる直前になって財布を持っていないことに気付いた私は、真っ青になった。恐る恐る運転手さんに言うと
「ちょっと事務所まで行ってもらいます」
と、とても怖い調子で言われた。
その時、一番前の席に座っていたおじさんが
「これで」
と、バス代の200円(位だったと思う)を出してくれた。
運転手さんの怖さに震え上がっていたのと、その時差し伸べられた親切とのギャップで、どうしていいか判らず、お礼の言葉すら発することのできない私の横から、運転手さんが
「ちゃんと住所聞いて!」
と、口を出した。
私はその時、やっと我にかえって住所を聞いたが、おじさんは優しく
「いい、いい」
と、ちょっと恥ずかしそうに手を振った。
私はお礼を言って、バスをおりた。
 
この出来事から、38歳になるまで、私はずっと
「いつか、だれかを助けてあげられることになったら、そうしよう」
と決めていた。
あのときのおじさんに直接恩返しはできないけれど、世の中、順繰りにこうしていけばいいのではないかと。                 
そのチャンスがついに訪れた。

映画関連エッセイその10・完成試写会 2022年3月27日

2022年3月27日 日曜日 晴天
ついに映画完成試写会の日がやってきました。
13:30から津幡町シグナスへ家族で向かいます。

正直、客席の半分埋まればいいかなと思っていたのですが、会場近くまで来ると駐車場は満車(彼が離れた駐車場まで停めに行ってくれました)ホールに入ると客席の80%は埋まっていました。よしよし。

津幡町長さんの挨拶で、この映画は津幡町に大河ドラマを誘致しようという作戦の一つだということを改めて確認し、そのことで映画に登場するの2人の女性の名前が「葵」と「巴」であることの必然性を、映画を見ながら感じることになります。

またそのことから、映画オープニング映像はざっくりとした津幡町紹介映像が流れるのですが、とても自然に素敵なパーツが集められていました。スタッフの皆さん、「これぞ」という映像素材を探すためにどれほど町内をご覧になったことでしょう。
私が特に気に入ったのは「白鳥橋」の波打ったデザインの生かし方です。是非実際に映画でお確かめください。











さて、正直なとろこ私の関心事は唯一つ。「西野真理の使われ方」です。
結論から言えば100点・・・120点!
私の希望的予想は
「顔は映らなくていいけど、歌はまあまあ流してほしいな」
でした。
実際はそれを上回り
「顔はほぼわからないけれど、ドレスにティアラだということはわかる。歌は4回も、しかもかなりしっかり流された」
です。
あんまり書くとネタバレになるので遠慮がちに書きますが、私の歌はこのストーリーの情景を敢えてぶち壊すような現れ方をします。その感じに私のアナウンスの仕方や歌の感じがぴったりなのです。
でも、これは私の手柄ではありません。
嬉野監督のチョイスや録音中の指示、なんと言っても音質に拘って編集してくださった音響係の藤野さんのお陰です。

ネタバレ無しでなにか特筆するとしたら、役者さんの津幡弁の旨さでしょうか?とても自然で驚きました。

映画が終わると出演者のトークショー、その後は吉本芸人さんのステージ。
2人めに登場された落語家・月亭方気さん、いい人です。話のつかみで映画の話をされたのですが、
「今回の映画なんといってもあの『フニクリ・フニクラ』の歌が印象に残ってませんか?アナウンスも林家パー子さんかと思いました」と笑いを取りながら、
「この歌の方、津幡町の人らしいんですよ(本当はかほく市ですけどね)。会場に来ていらっしゃいますか?」
と話題を西野真理に持っていってくださいました。恥ずかしいけど座ったまま手を上げて、会場の方から拍手をいただきました。

演芸はどれも楽しかったのですが「ハイキングウオーキング」さんのお客様の掴み方、参加のさせ方は大変参考になりました。美女コンで使わせていただこうと思います。

すべてのプログラムが終了してさあ帰ろうと思ったところへ津幡町役場の人らしき人が近づいてきて
「西野さん、吉本興業のマネージャーさんがちょっとお話があるというので楽屋までお願いします」
と呼ばれました。

この続きは今はできません。
ブログを楽しみにお待ち下さいね。


食用菜花が咲きました 2022年3月27日

 食べようと思って買ってきた菜の花ですが、
「咲いたらきれいかも」
と、ポットに入れておいたらこうなりました。

~買ってきた翌日 3月23日~














~今朝 3月27日~


金沢駅5時20分の独唱からの八ヶ岳 2022年3月25日

「北信越大会以上の大会に生徒が参加するときは、ドレスにティアラで見送りに行って校歌を歌う」
というのをいつやり始めたのか・・・。おそらく内灘中学校卓球部全国大会出場からだと思いますが、はっきりしません。エッセイを見直してはっきりしたらまたブログに書かせていただきます。
 
ということで、今回は津幡中学校女子卓球部の全国大会出場です。
日時と場所を顧問の堀さんに聞くと
「出発は325日。集合は朝520分 金沢駅」
金沢駅!!
 
朝早いのはいいとして、金沢駅・・・
どうしようかな~~~
朝ならだれもいないかな・・・
「わかりました、行きます」
 
前夜、4時に目覚ましをかけましたが、3時に目が覚めました。
私は結構なあがり症で、かなり緊張するタイプです。
絶対そうは見えないとほぼ100%言われてきましたが仕方ありません。
でも、結果的に3時から余裕を持って準備できることになりました。
 
ドレスを着てパニエも入れてティアラも付けて車に乗り込むのはとても大変です。とにかく
「自分を車に詰め込んだ」
という感じです。
 
435分に家を出て、真っ暗な朝の道を発声練習しながら金沢駅へ向かいました。
当然ですが空いているし信号は多くが点滅だしで、30分ほどで金沢駅西口駐車場に到着してしまいました。
早く着いてもこの姿でしかも気温の低い中金沢駅構内に一人で立っているのは、いくら西野真理でもためらわれます。
しばらく暖房をかけた車で時を過ごしていると、学校長の小村先生が車から降りるのが見えたので、すぐに私も車から降りて一緒に集合場所まで歩きました。二人ならもうこっちのものです。ちょうど上がりきっていなかったファスナーも上げてもらうことができてラッキーでした。
 
金沢駅構内は人影もまばら。しかし、まばらとはいうものの「まばらの皆様」の注目は嫌でも浴びます。
だんだん嬉しくなってきました。
 
顧問の堀先生・部員の保護者・そして理科の鶴山先生も来てくれて、卓球部の生徒が全員集まると堀さんが
「それではもうすぐ退職される西野先生が応援に来てくださったので、校歌を歌っていただきます」
♪~学びの里に~(曲をお聴きになりたい方はYouTubeで「津幡中学校校歌 西野真理」で検索をお願いします)
 
人が少なく空気の澄んだ金沢駅構内はとても声がよく響き、なんだかうまくなったような気持ちにさせてくれました。「まばらの皆様」からも小さな拍手が起こりました。













(生徒も写った写真をご覧になりたい方は、津幡中学校のホームページでご覧くださいね)
 
こうして私の教員人生最後の「ドレスにティアラでお見送り」は終わりました。

実はこの話には少しおまけがあります。TV番組「ナニコレ珍百景」からの取材依頼です。
2021年夏に硬式テニス選手が全国大会に出場するというので上記の見送りをしたところ、それを「ナニコレ」に投書した方がいらっしゃったのです。
そこで「ナニコレ」から取材の申し込みがありましたが、その時点ではこれから先、全国大会のお見送りをする予定もなく、そもそも西野真理がドレスにティアラでお見送りすることが「珍百景」とも思えませんので、丁重にお断りしました。
その時TV曲側ではネタがないのか
2021年末に取材に伺いたい」
「学校でドレスにティアラでなにかしないか?」
とかなり焦った様子でした。でも、お見送りどころかドレスにティアラで学校に行くイベントもありません。
そんな会話をしているときに卓球部顧問の堀さんが
「卓球部が今年度末、325日頃、全国大会にいきますよ」
3月末といえば私はもう退職秒読みですし、3月末の予定などこの時点で全くわかりません。
でも一応そのこともお伝えしましたし、もし歌うことがはっきりしたらまたご連絡しますとも言ってありました。
 
20222
「最後だから朝早いけど見送りに行こう!」
と決断し、お約束どおり歌うことになったことをメールしました。
そして当日の今日、テレビ局の方の姿はありませんでした。

さてこの日ですが続きがあります。
金沢駅から戻り着替えを済ませると、彼の運転で母も一緒に八ヶ岳高原ロッジへ。「八ヶ岳日本歌曲セミナー」の終了演奏会を聴くためです。




ホテル正面


セミナーとコンサートの行われる音楽堂






この車内では長時間動かさずに母の足がこわばってしまわないように、先日購入した「楽ラク歩く」が活躍。これを車内で使うために、彼はカー用品店に行ってシガーソケットから電源をひく機械を取り付けてくれました。









6:30に出発して11:00到着。八ヶ岳周辺には多くの雪が残っていてとてもきれいでしたが、私の記憶の中で今年が最も雪が多いように感じましたが、それは感じだけではなく実際今年はとても雪が多かったそうです。

聴き終えてレストランで鹿肉を使ったパスタを堪能(彼と母は鹿肉のカレー)。また以前からお世話になっていた元支配人の小池さんも一緒のテーブルで食べてくださって、支配人時代の秘話も堪能。しかもこれらは全てプロデューサーの堀内さんからごちそうになりました。
レストラン
窓際には野鳥やリスが来ます

八ヶ岳滞在4時間でもう帰りの時間です。
お天気はどんどん良くなって、景色も堪能しながらの帰路となりました。

自宅到着は21:00。
朝3時から夜の9時までフル活動の1日でした。




 

お気遣いのお葉書 2022年3月26日

 Sing幾多郎のご案内をお正月と3月中旬に200名弱の方にお出ししました。

お知り合いの方やコンサートを聞きに来てくださった方のみとはいえ、いわゆる「ダイレクトメール」に変わりありません。

 ところが今日帰宅すると、1枚のお葉書が届いていました。かつての同僚Mさんからです。
とても美しい字で書かれたそのお葉書には
「・・・自分なりに検討しましたが不参加ということで心苦しく・・・・」
と、大変丁寧に心を込めた文章が綴られていました。
私はもちろんご参加いただきたいとは思うものの、多くの方がご参加くださるとは想像していませんし、8割、近況報告のような気持ちでお出ししていました。ですから、Mさんをこんな気持ちにさせてしまって、申し訳なくてたまらなくなりました。
 
Mさん、もしこのブログをお読みいただいていたら、
「ほんの近況報告です。西野真理元気にやってます。またご連絡させていただくこともあるかもしれませんが、スーパーの広告だと思ってくださいね」

退任式 2022年3月24日

2022年3月24日(木)

「今日はついに離任式です」
・・・と 私の場合言わないということが、学校で今日の日程が書かれた紙を見てわかりました。私のような退職者はもう「離任」ではなく「退任」なんですね。

同僚みんな
「西野真理はドレスで出る」
と思ってくれていると勝手に思い込み、半ば当然のように学校長に
「服装自由ですよね?」
と話しかけて許可を得た気になり
「入場は後ろの入り口から生徒の真ん中の花道を通るんですよね?」
とこれも当然のように言い放って式の集合体型を変更させるという我儘も
「最後だから」
の一言で許されると思いこむことにして退任式(離任式・普通に離任する先生もたくさん)は行われることになりました。

前夜、我が家では最近恒例になったドレス選定の
「これだめかな?」「派手かな?」
「何がだめなのかわからない」「何が派手なのかわからない」
という感覚の麻痺した家族との会話が交わされ、何事もなくドレス選びは終わりました。

コロナの影響で授業数確保のためこの退任・離任式の日まで午前中は授業があり、もちろん私も最後の2クラスの授業(作曲の授業でした。作曲と言ってもコード進行を与えて、その中で作るのですが)を終えました。
2年3組では私の授業がこれで本当にラストだと知っているのか、いつにも増してお利口な授業態度で、手間取りがちな作曲の授業が10分も早く終わってしまいました。
「じゃあ、あと10分は自由に作って、できた人から見せに来て」
すると
「先生の話」
と数人の生徒が言い始めたので
「何話す?」
そこでN君が
「先生が石川県へ来たこと」
ははあ~N君はきっと知っていて上手く私に振ってくれたんですね。

実は私、学校で何でもペラペラしゃべるくせに、家族のことは全く話していません。
「結婚してるんですか?」
という質問にはいつも
「さあね」
とかわしていました。
別に喋ってもいいのですが
・生徒は私のことを結婚もしていなければ子供もいないというイメージを作っている感じがするので、それに乗っかっておこう
・喋り始めると何でもしゃべるので、家族のプライバシーが損なわれる。だったら始めから何も喋らない
と決めていたのです。
でも、担任していた3年4組のまとまった話のできる最後の時間、とても雰囲気が良かったので、彼との出会いのときからのことを話しました。私が結婚していて子供がいることを本当に知らなかった生徒も思ったよりたくさんいて、真面目にびっくりした顔をしていました。
おそらくN君はその情報を得たのでしょう、自分も直接聞きたいし、他の子も聞きたいのではないかという配慮だと思います。N君大人だなあ。

せっかくなのでお読みくださっている皆様に簡単に内容をご紹介しますと
・大学4年の夏に受けた山口県教員採用試験に落ちる
・大学4年末の2月、彼と知り合い、卒業までの1ヶ月半で結婚することになる
・彼は石川へ私は山口へ帰り1年間の遠距離恋愛
・山口では1年間小学校の音楽専科講師
・その間に石川県教員採用試験を受けて合格したので4月から石川へ
・その年の6月、23歳で結婚
・24歳で長男を、28歳で長女を出産

簡単に言うとこんな感じです。
さすが西野真理、37年間に磨いたトーク術。10分間できちんと喋り終えました。

最後の授業を終えると、会議室を私の楽屋にしてヘアメイク。
14時。いよいよ退任・離任式です。














変更してもらった後ろの入り口を入ると大きなどよめきが・・・と書きたいところですが、津幡中学校の生徒はとてもおとなしくお利口で、それほどの歓声は上がりません。また、この式には毎年卒業生も半数くらい参加してくれるのですが、今年はほぼ全員なんじゃないかという数です。これにはとても嬉しくなりました。

今回退任は私ともうひとり北橋さん。北橋さんとはお誕生日が1日違いで私が1日お姉さんです。彼は津幡中にいるときに大きな病気をしたそうで、そのときに先生や生徒に助けられたことを心を込めてお話されて感動を呼んでいました。式のお話とはこうあるべきという見本のようなお話です。

さあ2番めは西野真理です。
先ず、演台のマイクをマイクスタンドから外して手に持ち前に出ました。
「皆様、西野真理でございます。ちょっと地味だったでしょうか」
と軽く笑いを取った後、
「最後の自慢話をします」
と切り出して、次のことを話しました。
実はこの話、今まで2回してきましたが、やはり私の教員生活はこれに尽きるので、今回もこの話をしました。
「『素晴らしい出会いがある。それはあなたの才能です』この言葉は100歳を過ぎても現役の医師をしていらした日野原さんの言葉です。私は歌の世界では関定子、教育の世界では野口芳宏という師と出会い、それが今日まで私を支えてくれました。私にはこの二人と出会う才能があったのです。さて、皆さん、皆さんは西野真理と出会いましたね。皆さんには西野真理と出会うという才能があったのです。ここにいる皆さんはそういう素晴らしい才能の持ち主です。それでは素晴らしい人生を」

式が終わり職員室に戻ると同じ学年スタッフの星場さんが
「そのまま着替えずに待っててくださいね」
と、私と北橋さんに声をかけました。
きっと記念撮影をするんだなと待っていると、学校とほぼつながっている、町の体育館トレーニング場へ案内されました。
そこには卒業した3年生がたくさん待っていてくれて、私と北橋さんの退任を祝う時間を改めて持ってくれる会が行われました。

会ではいつの間にか用意された、私や生徒の写った3年分の細々とした楽しいシーンの写真と生徒全員の寄せ書きの詰められたアルバムをプレゼントしていただきました。これを準備するためにどれほどの時間が費やされたかと思うと、言葉がありません。











改めて最後の一言となった時、私は危険を覚悟でこう言いました。
「・・・Y君は両親学校の先生。私も両親が学校の先生、私はかつて高校を落ち、Y君も高校を落ちました。色々共通することがあります。高校合格発表の日、私は急遽、曲を1曲YouTubeにアップしました。それ、Y君、あなたに向けてです。気づいてくれたかな?」

3年4組で不合格だったのはY君一人でした。いくらY君が明るくポジティブであるとしても、中学校3年生での不合格体験が辛くないはずがありません。そして、多くの友人達が合格で喜んでいるその場所に身を置くことが心地よいはずがありません。でも彼はこの式に来てくれたのです。
退任・離任式のステージからはY君の姿を確認できなかったのですが、この会を催していただいたお陰でY君が来てくれていることがわかり、危険だと思いながらも彼が不合格だったことを話しました。
Y君、嫌な思いをさせてごめんね。
でも人生を振り返ると、「嫌なこと」「つらいこと」のほうが「今自分がこうしているのはあれがあったから」「あれがなければ今の自分はない」と強く思えます。
あなたの素晴らしい才能は、きっとこのルートで花開くようにできています。

さて、記念すべき一日が終わって家に帰り、ドレスを片付けようとバッグから出すと、学校の廊下をとてもきれいにしたことがわかりました。


西野真理の色々なお話

お山の大将ピアノ伴奏 2024年11月25日(月)

このブログは 野口芳宏先生記念碑「師道の碑」除幕・祝賀パーティー 2024年11月23日(土) をお読みになってからどうぞ。 ↑そういうわけで、野口先生にもぜひ「お山の大将」をお歌いいただければいいなと思い、ピアノ伴奏をYouTubeにアップしてみました。いつも書いていますがピア...